ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 石川文洋著 フォトストーリー「沖縄の70年」 (岩波新書 2015年4月)

2016年06月19日 | 書評
報道カメラマンが、生まれ故郷沖縄の戦後70年を撮る 第2回

第1章 沖縄に生まれて
「戦争とは命を奪う。個人、公共の財産、自然を破壊する。軍隊は民衆を守らない。」

第2章 沖縄戦の記憶
「沖縄の集団自決は捕虜になるよりは潔く死ねという日本軍の戦陣訓を民間人に強要したことが原因である」
「もし沖縄が今後どこからか攻撃を受けるとすれば、それは米軍基地と自衛隊の基地が沖縄にあるためであり、その時米軍も自衛隊も沖縄の民衆を守ることはできないだろう」
「この惨劇にまで民間人を追い込んだ皇民教育や日本軍を憎み、自決とは絶対に呼びたくはない」
「私は日本人である前に沖縄人であると思っている」
「私にとって天皇、日の丸、君が代は戦争と重なっている」

第3章 南陽群島の沖縄人
「第1次世界大戦後ドイツ領であったマーシャル、カロリン、マリアナ諸島は日本委託料統治領となり、砂糖以外に産業を持たない貧しかった沖縄人は南洋諸島へ移住した。その数は約6万人、うち1万2826人が戦争で悲惨な最期を遂げた。1944年サイパン、テニアンはアメリカ軍の空襲を受け、7月7日南雲総司令官が総攻撃を命じて、日本軍は壊滅し戦闘は終わった。民間人は自決を強いられた。」

第4章 ベトナム戦争と沖縄
「1964年8月4日、米駆逐艦が北ベトナムから魚雷攻撃を受けたとする「トンキン湾事件」が勃発した。北ベトナムへの北爆が開始される口実となった。これはアメリカ軍の謀略であることが外交資料より判明した」
「連日沖縄嘉手納飛行場より、黒い空の要塞B52が北ベトナムを目指して飛び立った。沖縄基地の動きは、ベトナム戦争の動きに一致していた」
「沖縄系の米兵當間さんはベトナム独立戦争に参加した。1975年3月解放軍の攻撃でサイゴン政府は崩壊しサイゴンは解放された」

(つづく)