ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート  鈴木宗男著 「闇権力の執行人」   講談社+α文庫

2013年04月06日 | 書評
政治家・官僚・検察・メディアの闇権力とは 第6回 最終回

 では鈴木宗男氏の場合の時代のけじめとは何なのだろうか。それは小泉内閣が内政においてはケインズ型公平分配路線(公共工事と福祉)からハイエク型傾斜分配型路線(新自由主義モデル、格差拡大)に転じたことである。族議員として鈴木宗男はもう古い議員なのだ。鈴木宗男氏は「政治権力を金に替える腐敗政治家」として断罪された。国民的人気(ポピュリズム)を権力基盤とする小泉政権では「地方を大切にすると経済が弱体化する」とか「公平分配をやめて格差をつける傾斜分配に転換することが国策だ」とは公言できない。そこで「鈴木宗男型腐敗汚職政治と断絶する」というスローガンなら国民全体の喝采を受けるとみたようだ。橋本龍三郎氏への日本歯科医師会の政治献金事件も格好の腐敗政治として宣伝され橋本氏と野中氏の政治的生命を絶った。外交的にも橋本・小渕・森と続いた国際協調的外交路線を、靖国神社参拝と北朝鮮の脅威と拉致問題の利用で排外主義的ナショナリズム路線へ一気に変換した。今回の国策捜査を命令したところ(小泉政権)が捜査が森元首相に及びそうになったところで突然捜査打ち切りを宣言した。そして2002年9月17日第1回公判がはじまり、鈴木宗男氏は2003年8月釈放、佐藤氏は10月に釈放された。2004年10月検察側求刑、11月弁護側最終弁論をへて翌2005年2月第1審判決となった。佐藤氏は懲役2年6ヶ月、執行猶予4年であった。
本書は分厚い割りに事実関係ばかり(といっても私には事実であるかどうか知りようもないが)で結構読みやすいので一日で読めた。鈴木氏は各所に反省の弁を入れている。箇条書きにまとめると
① 外務省をかばうあまり、官僚の不正や国民感覚のなさを知っていながら、これを正そうとしなかった点を深く反省する。
② 鈴木氏自体、国益が第1と国民的視線を忘れていた。外務省の特異性と思われることも国民の目には不正・腐敗である。
③ 個人情報保護法の対象として、政治家や高級官僚は対象から除外すべきである。彼らに私的活動は無いからである。
④ 政党資金規制法の政党助成金は官僚による政党活動管理に道を開き、政治資金報告書の記入ミスだけで政治家を逮捕起訴できる検察の介入を導いた。私的組織である政党が国家から金を貰うのは邪道である。政党助成金制度は廃止すべきである。 
(完)

文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年04月06日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第97回

* KHM 171  みそさざい
昔は物の音がなんでもかんでも意味を持っていた。鳥の鳴き声を例にして紹介しよう。むかし鳥はてんでばらばらで、ひとつ王様を選挙しようではないかということになり、五月の穏かな日に一羽残らず鳥が集まり、一番高くまで飛べるものを王様にしようと決めました。なべけりという鳥はこの企てには反対で、「ウヲー、ブリーウ、イック?」(おやどはどこ)と鳴いて去りました。青蛙は「ナット、ナット」(いかん、いかん)と鳴いて戒めました。カラスは「クワルク、クワルク」(どうでもいいや、どうでもいい)と鳴いて知らん振り。空高くとぶ競争は鷲が一番だと思って降りましたが、鷲の胸にかくれていた小鳥がいて、自分が王様だと叫んだとさ。この小鳥のことを「垣根の王様」みそさざいといいます。とかく隠れることが得意で,梟の難を逃れて生きています。

* KHM 172  かれい
海の中のお魚が秩序を作るために、王様を選ぼうということになりました。一番早く波を乗り切って進める者を王さまにしょうということで競争しました。先頭は鰊だと呼び声がしたので、後ろの方で泳いでいたひらめが「なんだ、裸の鰊か」と悪態をいいました。その罰としてひらめの口は斜めになっています。

* KHM 173  「さんかのごい」と「やつがしら」
牛飼いの番をする鳥がいました。肥沃な草原で牛を飼っていたさんかのごい(青鷺)と、高い山の荒地で牛を飼っていたやつがしら(ほととぎす)のことです。さんかのごいの牛はわがまま一杯に育ち人のいう事を聞きません。さんかのごいが「ブント、へリューム」(ぶちよ こい)と言っても牛は聞く耳を持ちません。やつがしらの牛は痩せていて元気がありません。やつがしらが「ウップ、ウップ」(起きろ 起きろ)といっても起き上がる元気はありません。ですから牛の放牧地は草が肥えすぎていても、痩せすぎていてもダメです。この話はKHM 171  「みそさざい」の動物の鳴き声に意味があるとした作品と同系列の話です。国、地方、人によって動物の鳴き声は様々に表現されています。
(つづく)