政治家・官僚・検察・メディアの闇権力とは 第2回
本書の題名である「闇権力の執行人」とはどういう意味なのであろうか。権力者という個人性を特定するという意味なのだろうか。誰が日本の支配者なのかということは尽きぬ興味を誘うが、誰一人それに肉薄できた人(公表できた人)はいない。そもそも講談社+α文庫の書名には曝露趣味が多いと感じるが、「闇権力の執行人」という題名の割には、本書を通読してみてべつに権力の実態を特定できたとは思えない。では本書の書名の意味するところの重点は後半の「執行人」にあるとするならば、これは明白に権力の代理人である官僚のことである。官僚は内閣・政府、政治家・国会、司法・検察、学界・メディアにくもの巣を張り巡らせて、実際連絡を取り合っているかのような運命共同体的行動をとる。合言葉は「国益」である。そして多少矮小化されたのが「省益」である。ということで本書は官僚機構に対する鈴木宗男氏の闘いぶりを描いた政治小説と理解しておこう。結論からいうと、「宗男疑惑」とは小泉首相の新自由主義政策の延長線上で考えなければならないと理解しているが、政治的には「抵抗勢力打破」という劇場型政治手法の犠牲者(国策捜査)であったに違いない。小泉首相は9.11同時テロ後アフガン侵攻とイラク戦争に邁進する日米関係しか念頭にはなく、日ソ、日中、日韓の近隣外交を破壊し、右翼ナショナリズムの緊張挑発政策にとって替えた。当時(2001年から2006年)には近隣外交路線は存在しなかった。外務省は必要なかった。外務官僚は本来の情報収集・外交を展開するのではなく、裏金や腐敗の限りを尽くしていたようだ。このような状況では鈴木宗男氏という珍しい外務族議員や佐藤優氏という北方量返還のロシア通外務ノンキャリアーは、目障りな存在であったに違いない。伊達男(大判役者)小泉首相にとって面白いのは髪を振り乱しての派手な立ち回りである。鈴木宗男氏は当時自民党に属しており、本書執筆時は自民党政権であったためか、自分を直接いじめた外務官僚への恨みつらみが非常に激しいが、それを支持した小泉首相の新自由主義政策に対する批判が意外に少ないことは私にとって読後一抹の物足りなさを感じる。
(つづく)
本書の題名である「闇権力の執行人」とはどういう意味なのであろうか。権力者という個人性を特定するという意味なのだろうか。誰が日本の支配者なのかということは尽きぬ興味を誘うが、誰一人それに肉薄できた人(公表できた人)はいない。そもそも講談社+α文庫の書名には曝露趣味が多いと感じるが、「闇権力の執行人」という題名の割には、本書を通読してみてべつに権力の実態を特定できたとは思えない。では本書の書名の意味するところの重点は後半の「執行人」にあるとするならば、これは明白に権力の代理人である官僚のことである。官僚は内閣・政府、政治家・国会、司法・検察、学界・メディアにくもの巣を張り巡らせて、実際連絡を取り合っているかのような運命共同体的行動をとる。合言葉は「国益」である。そして多少矮小化されたのが「省益」である。ということで本書は官僚機構に対する鈴木宗男氏の闘いぶりを描いた政治小説と理解しておこう。結論からいうと、「宗男疑惑」とは小泉首相の新自由主義政策の延長線上で考えなければならないと理解しているが、政治的には「抵抗勢力打破」という劇場型政治手法の犠牲者(国策捜査)であったに違いない。小泉首相は9.11同時テロ後アフガン侵攻とイラク戦争に邁進する日米関係しか念頭にはなく、日ソ、日中、日韓の近隣外交を破壊し、右翼ナショナリズムの緊張挑発政策にとって替えた。当時(2001年から2006年)には近隣外交路線は存在しなかった。外務省は必要なかった。外務官僚は本来の情報収集・外交を展開するのではなく、裏金や腐敗の限りを尽くしていたようだ。このような状況では鈴木宗男氏という珍しい外務族議員や佐藤優氏という北方量返還のロシア通外務ノンキャリアーは、目障りな存在であったに違いない。伊達男(大判役者)小泉首相にとって面白いのは髪を振り乱しての派手な立ち回りである。鈴木宗男氏は当時自民党に属しており、本書執筆時は自民党政権であったためか、自分を直接いじめた外務官僚への恨みつらみが非常に激しいが、それを支持した小泉首相の新自由主義政策に対する批判が意外に少ないことは私にとって読後一抹の物足りなさを感じる。
(つづく)