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< リアル 裁判 ルポ > あの前園泰徳「赤とんぼ”魔王様”」が、身も心も尽くした愛人を、深夜の車中で3度も首絞めて殺した事件。その”狂った判決”から8か月。遺族からの損害賠償請求 民事訴訟始まる

2022-12-06 10:37:08 | ニュース

 ≪ 2017・5・12 掲載記事 ≫ ≪ 2021・1・13 再掲載 ≫

 5月10日の午後。

 一息ついて、パソコンを開くと、かつてワイドショーまで事件発覚直後数日間のみ騒いで話題を呼んだ「赤とんぼ先生」(写真左下)による絞殺事件を、たんねんに追い続けた多くの記事が、なんと、いきなり本あたり数千ものアクセス数。総数、1万件を優に超えた

  ん? なんだあ、こりゃあ???

 時折り、この事件、忘れちゃあいないよ、とでも言ってるかのように、ポツリ、またポツリと、100前後のアクセスこそあったが、こんなに一挙は、ここしばらく無かった。

 コレ、ひょっとして!?

  何か、あったな?と、逆に調べ始めたところ、「赤とんぼ先生」こと、前園泰徳(まえぞの やすのり)現・受刑者に対して、尽くした末に、殺された無給の女性助手・菅原みわ(写真左上)の遺族が、損害賠償を求めていた、民事訴訟がこの日、5月10日に、千葉地裁で始まったとの、一部報道が判明した。

 そういうことかあ・・・・・・。

 正直、初めて知った。遺族が、損害賠償請求を、あの、信じられない軽微な極楽とんぼ実刑判決後、半年を経て、今年の3月22日に千葉地裁民事部に起こしていたことも。

 うかつ、と言えば、うかつ。

 が、冷静に考えれば、遺族のやりきれぬ、悔しい想いを少しでも晴らすには、残る手だては、この訴訟しか無かったということは、良く分かる。

 なにしろ、その前園の手口からして、例え周到な事前の計画性は、100歩ゆずって、無かったとしても、三度も、彼女の首を絞めた、冷徹で、身も凍りつく殺害方法。

 そして、その後の、証拠隠滅の数々。

 なのに「殺して欲しいと、何度も菅原みわサンの方から頼まれて、迷った挙句、仕方なく殺した」という、驚くほか無い、逮捕後の、前園の詭弁、奇っ怪弁。

 ならば、絞殺後すぐ、自ら警察なり、119番通報をして、ありのままの現状を見せればよい。

 だが、ソレを一切していない。したことは、冷静に、証拠隠し。

 なのに・・・・・・・。

 そんなアホな「嘱託殺人」の主張が、法廷で通るわけはない。

 そう、思い込んでいた。

 というのも、コレが職業裁判官3人による、合議制の審理であるならば、ひょつとして、万にひとつ、有りうるかも知れない。

 が、しかし、「裁判員裁判」の法廷。

 裁判員6人の持つ一般感覚が、そんな詭弁&奇弁を、「はい、はい。そうですね。な~るほど、分かりました」と、認めるわけは、無い・・・・であろうと、どこかで無意識に、期待していた。

 裁判員の中には、年代こそバラバラであったが女性も混じっていた。

 泥沼の恋愛のさなか、思い余って、「わたし、もう、どうなってもいい。死にたい!」などと、一時の感情で叫ぶことがあったにしても、それが本心か!?というと、まるで違うということを、彼女たちは、おのずと知っているはずだ。

 ましてや、「殺して欲しい」などと言う言葉を、一度ならず、何度も言うかどうか?

 常識で考えても、分かるはず。

 例え、菅原みわが、それまで、厳格な家庭に育ち、男知らずの、一途過ぎた女性だった、としてもだ。

 その一方で危惧していたのは、明らかに無能としか想えなかった、法廷の立ち合い検察官の男女、各1人。

 この2人が、まあ・・・、ダメ、ヘタ、その弁に、他人への説得性皆無という、検事としての不適応能力揃い。

 「死人にクチなし」。だから主張出来た奇弁にも関わらず、裁判員に向けて、何度もしつこいほどに、こんな明らかなウソは無いです!と。

 ここまでやるか!と感じるほど、具体例を手に、強調、力説すべきであったにも関わらず、何一つ言わず。

 そこいら辺に転がっている定型文の、ありきたりの論告文の流れ。被告人質問の際の、力量の無さ、逃れられぬ答えに持ち込む、組み立ての弱さ、持ち時間の短さ。

 この場でこそ!2時間サスペンスドラマに出てくる検事のように、劇的に裁判員に向けて、いかに前園泰徳が、卑怯極まりない、鬼畜であったのかを、しつこく、しつこく、クサいと思えてしまうほど俳優もどきに、ダメで元々と、熱く刷り込み、ねじ込むべきであったのに・・・・。

 拍子抜けするほど、あっさりと、短時間に終えた。

 それでなくとも、記事化した中でも触れたが、前園被告に付いた弁護人2人がやり手、キレ者だっただけに、コレ、やばいかも?と、思い始めていた。

 論告求刑は、実刑の懲役13年。

 菅原みわの、父母や姉妹。計4人にすれば、それでも軽すぎると感じたはずだ。出来うるならば、「死刑」の求刑にして欲しい!と。

 そして・・・・職業裁判官3人と、裁判員6人。計9人の総意・合意として導き出された判決。

 入子光臣(いりこ みつおみ)裁判長のクチから出たのは、たったの3年6月。

 求刑の、3分の一以下の、刑期ならぬ、軽期。鬼畜に捧げた、甘いケーキ。

 そして・・・・・なんと、驚くことに、無能検察官2人は、福井地検の控訴検討会議の末、すったもんだも無く、控訴せず!!!

 これにて、一事不再理の法原則にのっとり、例え、前園が刑務所のなかで同じ受刑者や、出所後に、「実はさあ、彼女に殺してなんて、ただの一度も言われたことなんて、ホントは無かったんだよ、うひゃうひゃ」と、告白して、笑い転げたとしても、二度とその告白をタテに、裁かれることは、絶対に、無い!永遠に、無い。

 ・・・・・・・・・・

 それにしても、事案は違うとはいえ、今年の2月10日、同じ福井地裁。同じ入子光臣・裁判長率いる、裁判員裁判で、興味深い判決が下された。

 被告は、県内で、都合6件もの強姦事件を連続して、長年に渡って起こし、被害女性を震え上がらせ、抵抗出来ぬようにして、亀頭を奮い立たせ、淫行に次々と及んで行った。

 殺人にまでは至っていないが、被害者たちの心身の傷と、その後の人生に想いを及ぼすと、「長期実刑は、まぬがれない」と、同じ入子光臣は、判決文を読み上げた。

 そして、求刑16年に対し、11年の実刑を言い渡した。

 かたや、13年に対し、わずか3年6月。

 で、この件は、16年に対し、11年。

 う~ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 裁判員は、むろん、全員違う人。

 裁判官3人は、同じ。

 その前園泰徳は、来年の遅くとも9月初旬には、このような作りの所を出て、満期出所。

  模範囚と認定されれば、来年の大型連休、もしくは来年の今頃、ひっそりと、しかし、内心、大手を振って、胸張って社会に復帰できる、ひらりひらりの、「極楽とんぼ、人生」!

 つい先日、5月7日で45歳の誕生日を獄中で迎えた、前園。46歳直前には、シャバにいる可能性も高い。

 妻子とは離婚したものの、まだまだやり直せる年齢ではあるのが、胸中、複雑でならない。

  「特任教授」として迎えた福井大学大学院の関係者が手配してくれた、木造2階建ての、この借家(写真左上)には、元妻と、男女1人づつの子供は、すでにいない。

 今後の裁判費用を考え、特段の慰謝料や養育費は多額に請求せず。代わりに、子供2人の親権は妻が持ち、且つ、子供との面会は、まず成人になるまで拒否。

 その後は、子供の判断にまかせるという条件がなされたと、聞いている。

 「特任」でもあり、単年契約ごとの雇用。むろん、退職金や、ソレにかわるものは、1円たりとも無い。

 その前の赴任地、菅原みわと知り合うキッカケとなった「東邦大学」では、非常勤講師の肩書き。

 講義代や、赤とんぼ採取・発見の学外講義につき、1回、いくら。

 それだけに、妻は当然のごとく、夫の稼ぎが、世間の見た目と違って、非常に乏しいことを身をもって熟知していただけに、多くの金額は、例え殺人犯に成り果てた元・夫といえども請求は出来にくかった。

 それでなくとも、裏切りの不倫。菅原みわ、とも親しかったし、子供もなついていた。

 見た目と違い、前園泰徳は気が短い。

 児童相手に、赤とんぼのハナシをしている際、子ども達が飽きて騒ぎ出すと、前園は、いつも激怒して、叱りつけることが多かった。

 そこで泣き出す子供たちを、なだめるのが、菅原みわの役目にもなっていた。

 離婚請求は、福井地裁で始まった刑事裁判開始より、はるかに早かった。

 さて、刑事裁判において、弁護・検察、双方が控訴しなかったことにより、この事件も、わずか3年6月で、確定判決となった。

 再審請求は、万に一つもあり得ない。

 殺された被害者の家族は、判決後、マスコミの請求に対して、直接面前で答えることは無く、書面で感想を伝えただけであった

 公判中も、傍聴席や、検事の後列で座り、被告に対しての想いを述べてはいたが、司法記者クラブ記者村の村民にですら、一切、個別に囲み取材にさえ、応じることは、ただの1回も無かった。

 この私でさえ、「今の、お気持ちは?」と、家族4人に聞くのはためらわれると同時に、例え、聞けたとしても、法廷での言葉と、さほどの違いは無いであろうとは、想ってはいた。

 がしかし、せめて1回ぐらいは・・・という想いは残った。

 言ってみれば、スキャンダル絞殺事件。

 故・菅原みわが、前園泰徳の弁護士2人に、「精神を病んでおり、自殺願望があった」とさえ、法廷で真顔で戦術上だったとしても言われ、彼女の姉妹は、悲しみ、いきどおっていた。

 だからこそ、気持ちを1度でも、マスコミにぶつけて欲しかったのだが・・・・。

 さて、前段が、いささか長かった、かもしれない。これまでのすべての記事を読んで戴いた方にとっては、すでに知っていたことであろうから。

 ココから先は、さながら民事訴訟の「第一回 口頭弁論」についての報道されたところからの「まとめ」。

 そして、気付かずにいた、個人的な反省から立ち上がった、取材で判明した、どこも報じていない、調べていない、新たな数々の事実を書いてゆきます。

 当日は、千葉市は昨夜からの小雨が降り続いており、原告となった、菅原みわの父親、菅原仁三(ひとみ)は、弁護士2人とともに、傘をさして、無言のまま、地裁庁舎(写真左下)の中に消えた。

  闘いの場は、10階建ての庁舎の6階にある、民事専門法廷。

 前園泰徳・受刑者に突きつけた賠償額は、約1億2000万円と報じられたが、正しくは、1億2223万円。

 菅原みわ、殺された当時の年齢、まだ25歳という若さ。

 その後、生き続けていたならば、死ぬまでに得たであろう「逸失利益」を算定推定。加えて、残された家族4人への、精神的苦痛に対する総額慰謝料を、合算したものであろうと推定出来る。

 にしても、いささか巨額だなあ・・・・前園は、ほぼカラッケツの無職の身なのに・・・と、感じた方。

 民事訴訟の、損害賠償訴訟の判決。

 その多くが、例え勝訴したとしても通例、大半が3分の一、手に出来れば良い方。

 中には、6分の一も目立つ。

 となると、原告として、勝訴こそしたものの、裁判費用、弁護士に支払わねばならない金額を相殺してゆくと、いくらも手元に残らないと言う場合もある。

 それも見込んでの、1億2223万円と想われる。

 それでなくとも、殆んど知られていないが、この裁判の「申し立て」にあたって、法的に決められた「手数料」がいる。

 この裁判に照らすと、その費用、38万6000円を千葉地裁に、あらかじめ全額、支払わねばならない。

 ソレが出来なければ、訴えは出来ない仕組み。

 基本的には、申し立て用紙に貼り付ける「収入印紙」だが、現金でもかまわない。

 収入印紙でならば、チケットショップに行くと、多少は割り引いた金額で購入出来る。

 そのどちらを、原告である菅原仁三がとったか?までは知らない。

 とはいえ、一般の中堅サラリーマンならば、ほぼ1カ月の手取り月給額が、申し立てに必要。

 菅原仁三は、長年に渡って、千葉県内において、教育関係現場の職務に当たってきた身。

 とはいえ、38万6000円は、予想を超える出費であったであろう。

 開廷は、午前10時30分。

 原告席に、弁護士2名とともに、座った。

  (ニュース映像 より。以下、同様)

   裁判長は、中央に位置する、小濱浩庸(こはま ひろのぶ)。

 右陪席(写真では左)は、青木裕史(ひろし)。そして、左陪席(写真では、右)は、おそらく鈴木千恵子と想われる。

 訴えられた前園泰徳・受刑者が依頼した弁護士は、 

 中年の女性(写真右)。この日は、裁判開廷前。傍聴希望者を入れる前に、法廷撮影が初公判の際に、司法記者クラブの要望により、わずかな時間、許可される。

 撮られることを意識し、入念に化粧をほどこし、服装もカメラを意識した、あつらえにしたようだ。

  「宅調」といって、自宅がある都内の下町で、裁判に関わる調べものをしている日以外は、千葉駅まで通勤している、裁判長である、小濱浩庸(写真左上)に関して

 は、次の記事で、彼が今まで裁いてきた民事事件のいくつかにおいて、誰もが知る有名人が深く関わっており、ソレを分かりやすく書き連ねることによって、この損害賠償請求の審理の行方の手がかりがつかめる可能性があるので、2回目の公判前には記事化したいと、想っている。

 刑事と違い、民事と言うことも有り、口頭弁論は、短く終わった。

 午前11時半。

 初めて、原告であり、菅原みわの実父である、菅原仁三(写真下)は、記者会見の求めに応じた。

  「福井地裁での裁判結果は、刑事裁判では前園側の思い通りに進み、嘱託殺人が認められてしまいました」

 「嘱託殺人は、到底受け入れられるものではありませんでした」

 「前園は、みわから、殺害を依頼されたと主張」

 「死にたいと言っていたから殺してあげたという主張が認められたのが、信じられません」

 「みわは、必ず、生きたがっていたはずです」

 「前園の主張する、嘱託の証拠とかは、無い」

 「殺そうとした動機には、自分の特任教授と言う地位、名誉、家庭をこのままでは失うのではないか!とおそれたこと。それです、それが殺害動機です」

 「嘱託殺人罪の認定と主張は、不当だと。殺人罪と、認定するように裁判官には、求めました」

 質疑応答が、その後、あったのか?どうか?は知らない。

 かたや、前園の弁護人の女性は、

 「刑事事件の法廷でも、嘱託殺人は認められています。こちらに責任はありません」とのこと。

 ところで、記者クラブ村民の、縄張り意識は、ヤクザ以上に、驚くほど強い。

 かつて、私は、ある事件の判決後の記者会見に、とりたてて何も言われぬまま出席。

 そこで、質問をいくつか投げかけた。

 ヤクザもどきの村民たちは、しつこく、事後、逃がすまいと、わたしを取り囲み詰問、記者クラブの部屋で1時間。

 俺たちに無断で、断りも無く、なぜ、質問した!との、お怒り。大体だな、俺たち以外は出られないんだよ!常識、知らないのか?

 ところが全員、社名も、名前も、最後まで名乗らず。こちらの事ばかり聞く。

 撮影しようとすると、拒否。

 ならばと、テープレコーダーを差し出し、拒否されたのも拒否。

 回し続けて、村民ヤクザ意識を徹底的に逆質問した過去がある。

 それが、日本の大手マスコミ村の、ある日の、まぎれもない実態だ

 で、村民。よく、傍聴席で居眠りこいている。

 だから、10日のこの席には、私がいても「出ていってくれ。俺たちの仕切りなのだから」と告げられた可能性は髙い。

 翌11日以降、本日まで、2日間。

 菅原仁三の務めている職場へ、電話を入れた。忙しいのであれば、電話で。

 もし、よろしければ、後日。お会いして、お話しをお聞きしたいむね、告げようと想っていた。

 菅原の、かつての職場仲間の人達には、あらかじめ、言われた。

 「仕事のことではなく、わたくしごと、家庭のことですからねえ・・・。ケジメと言うわけではありませんが、むずかしいと思いますよお。あの性格ですしねえ・・・・」と。

 そして・・・・電話口で、用件も取り次ぐことなく、いずれも女性が、けんもほろろ、ほろ、ほろろ。

 「今日は、午後から出張しており、帰らないのではないでしょうか!」

 「用件をすべてお答えされないと、出せません」

 「今日は、外出してます。いつ席に戻るかって? さあ・・・」

 これは!?

 明らかに、取材経験上からして、菅原仁三の意を受けて、厚い壁を立てての、申し伝え。そう、感じた。

 マスコミや、世間の支援などの必要性を認めず。

 最初にして、最期の記者会見では、なかったか。

 孤高の闘いは、今、始まった・・・・・・・。

 次回、「第2回 口頭弁論」は、来月下旬の午後、開かれる。

 だが、非公開だという。

 内容は、今後の弁論の展開の手続きや、今後の争点の整理などを詰めることになるとのこと。

  おそらく、ワッと報じて、サッと引く、村民たちのこと。

  業務としての取材には来ても、報じることは、判決まではしないのが常。

 独り、頑張ってみるべかあ・・・・・・。

 1万2000件もの後押しは、記者の腰を浮かせるもんなあ。

 

 

 

 

 

 

 



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