こんな1年以上前に公開した記事を、なんでまた? と想われる、読者もおられることでしょう。
すでに、この記事、読んでしまったよお!
何か、新たな事実が発覚したのかよ!?と、パソコンの画面を見て、想う人もいるはず。
実は、今月、5月27日から、表題にも入れ込んだ、「家族はつらいよ」の2作目が、映画館で公開されるとのこと。
山田洋次の、犯すべからずの神格化、その近寄りがたい威厳、先生、絶対君臨ぶりは、この1年、まったく変わっちゃいないまま。
メイキングPR番組のなかでの、メイン出演者7人の、山田洋次への、いくぶんオブラートに包んだ物言いのなかでも、
「監督のお怒りの言葉や表情を見たくなくて」、「もしかしたら、監督からカミナリが落ちるんじゃないか?と」とか、「そうなると、自分の存在を消す努力をする」、「監督に、時々長~い沈黙があるんですよ。そうすると、現場に緊張感が走って、みんな、素知らぬ顔をして、横向いていたり、下向いて、黙っていたよなあ」とか、山田・絶対天皇ぶりが、1に続いて、2にも顔をのぞかせていた。
火葬場での、とっさのアドリブ的な動きをしたら、「意味が、分からない」と山田に一言で斬り捨てられたベテラン俳優、西村雅彦、改め、西村まさ彦。
1作目に引き続き、2作目すらも、山田圧政下では、許されない、認められない。
長年にわたる、そのような絶対君主ぶりに、津川雅彦などは、苦言を呈している。
自らも、映画を監督したこともあり、「あんな撮影現場で、絶対君主ぶりは、良くないよなあ。役者が、萎縮してるんだもん」と言っていた。
終始ピーンと張りつめた緊張感に満ち満ちた、「喜劇」「家族」映画って・・・・・・。
先の記事でも触れた、京成柴又駅前広場に建立した「寅さん像」。
その金額の、予想外の高額さと、誰が見ても、寅さん、渥美清に、まるで似ていないままで、抗議、創り直しを受け付けなかった山田洋次。
あれから、18年。
柴又帝釈天(しばまた たいしゃくてん)もまた、「男はつらいよ」が終わったのち、少しずつ参道界隈に、参拝客をはじめ、観光客もまた途絶え始めてきつつある。
さらに、今年も取材したのだが、参道に居並ぶ店は、どちらも朝6時過ぎに開け、午後5時過ぎには次々と完全閉店というサイクルを、今もって変えていない。
柴又神明会の会議で、協定を結んだわけでもないのに、10年一律、揺るがない慣習。
だから、売り上げもまた、伸びないという。
誰もがコレで良いのかなあ・・・・とは、感じているのだが、誰も先陣を切らないまま。
そんなさなか、18年振りに、兄の寅さんを柴又駅前で見送る「さくら像」を建立しようというハナシが、「葛飾区 観光協会」や、葛飾区のオカミ主導でまとまり、費用も区と観光協会が、多額の助成金を得て支払い、それがこの3月25日に完成。
その「完成除幕式」が行われた。
作者は、まるで似ていない「寅さん像」を創った人物と同じ人。
まして、今度は身銭を切った挙句、痛い目に合っていないだけに、柴又の商店街の方たちは黙って式典を見守っただけ。
以降2か月。
客足は、このように、閑散としており、伸びないままだ・・・・・。
来てた山田は、そそくさと式典が終えると、長い言葉を交わすでもなく、京成電車に乗りこんだり、帝釈天に向かうこともせず。車で去って行った。
この5月15日に行なわれた、この2作目の「公開直前イベント」の檀上では、見るからに老いた姿を、否応なく見せた。
とりわけ、撮影現場では、足腰めっきり弱くりなり、杖付いて歩く姿が、日常茶飯事に。
そんな中でも、1作目に引き続き、父親役で引き続き2作目にも出ている橋爪功(はしづめ いさお)という、役者がいる。
公称、75歳。されど、本当は、1歳若く言って、舞台デビューしており、本当は76歳。
そのうえ、実母は、公然たる愛人、妾の身。
父には本妻がおり、複雑な感情を胸に抱えて育つ。
そのような生い立ちを経て、その父は、功が中学2年生の時に死去。本妻も、そのあとを追うように他界している。
また、功の高校時代の同級生に、ザ・ドリフターズの仲本工事がいる。
そんな功は、芸歴すでに55年。
長いキャリアだけでなく、演じてきた映画や演劇の賞を、数々、手にして来た。
なのに・・・・・山田洋次は、そのベテラン役者に対して、一切、例え、一言でもアドリブを許さない。
1作目の映画公開前の、完成披露試写会の壇上で、橋爪功が、その事実を、ポロリともらした。
受けて、天皇・ないし巨虚匠・山田洋次。一瞬、顔をひきつらせたが。
「そのセリフに必然性があるならば、良いけれど」と、苦笑い。
許さない、山田。必要ではありません、と一刀両断に、斬って捨てた。
許したのは、ただ独り。渥美清だけであったことは、知る人ぞ知る事実。
そして・・・・この2作目でも、どの役者にいたるまで、許さなかった。
あと何年生きるのか知らないが、そんな人間の隠された素顔に振り回され、耐えてきた「家族はつらいよ」秘話。
改めて、再公開。 お時間が許す方、お読みください。
< 2016・3・1 初掲載 >
この取材へのキッカケは、山田洋次の前作「母と暮せば」を見て浮かび上がった大きな疑問からだった。
物語の舞台は、九州は、長崎市の戦後のはず。
なのに、長崎弁がおかしかった。そのアクセント、そのイントネーション。全篇にわたって、吉永小百合や、二宮和也の話す方言が、どういえば良いのか、標準語の色合い濃い長崎弁と言うべきか、まるで当時の現地の方言とは、ズレと違和感が残った。
いったい、監督の山田洋次は、物作りの根幹をどう考えているのだろうか? こんな安易な姿勢で良いのであろうか?
吉永も二宮も、コレで良いとでも思っているとしたら、俳優失格だ。
ヒット、不人気、観客動員数など関係ない。それでなくとも、吉永は原爆被災者の書いた詩を、長年にわたって朗読してきた経験があるはずなのに・・・・・。
そのおかしさに、自ら気付いて然るべきなのに・・・・・。
いったい、このデタラメに近い方言指導は、誰が担当したんだろうか?
検索してゆくと、川原安紀子(あきこ)という、40歳台の、明かなおばさんだった。普段は声優や、たまに俳優らしきこともやっているようだ。世間的には、無名。そう言って良い。
産まれは、長崎市では無く諫早市。同じ長崎県ではあるが、諫早と長崎では、かなり微妙に方言は違う。
パソコンで、このおばさんの長崎弁が聴けるというので聞いた。
いやあ!ひどい!!
これぞ標準語色濃く全篇まぶした、奇妙な長崎弁だった。上京以来、帰郷すらせず、方言を忘れ去ったのだろうか。
活字に直せば、確かに長崎弁。しかし、話すと、まるで「別物」。
九州の長崎をはじめ、各県に住む友人たちに連絡を取り、聞いてもらったが、全員が疑問を呈し、苦笑していた。
この「別物」のセリフが吹き込まれたテープをヘッドフォンで繰り返し聞き、二宮は「長崎弁」を覚えて、撮影に臨んだという。ソレが正しいと信じ込んで。
これでは、おかしな、リアリティのカケラもない長崎弁がスクリーンに映し込まれていても、仕方がないかもな、と。
川原の所属する事務所に、彼女への取材を申し込んだ。疑問を感じた質問の答え、ソレを聞きたいと。
すぐさま、事務所の代表者名で断られた。
「川原が起用された経緯については、松竹さんにお尋ねください」
そう言って、逃げられた。
こんな女を採用してしまった山田洋次の絶対権威者ぶりについては、よく知っていた。
かつての「男はつらいよ」の撮影現場では、ピリピリムードが漂い、常に緊張感がピーンと張りつめていた。喜劇とはほど遠いモノづくり現場であった。和気あいあいなんぞ、まったく無かった。
山田は、センセイとも、しばしば呼ばれ、天皇的偉大な存在になってしまっている。年に何回講義をしているのか、客員教授もし、講師もしているから、センセっちゃあ、センセではあるのだが・・・・・。
映画監督の他に、講演、テレビ・ラジオ出演にイベント顔出し、宣伝混じり数多く、さらに加えて「葛飾柴又寅さん記念館」や、自分の名前を冠した「山田洋次ミュージアム」にも深く関わっている。
年収は15年ほど前から常に1億円を軽く超え、2億円に届こうというお金持ち。且つ、お住まいは世田谷区の成城5丁目という、高級住宅街に建つ一戸建て。
そこを何度か訪ねた俳優に、山田の家庭の様子を耳にしたこともある。
素顔は短気、怒りっぽいとも聞いていた。
が、オモテに向けて漂わす雰囲気クチぶりは、あくまで温和。昨年から今年にかけては、短いマフラーを首からかけて登場。色合わせなど関係無し。当人は、それがカッコいい、お気に入りの格好だったとみる。
質問されて、答える際の口癖は「・・・じゃないでしょうかねえ~・・・・」。
あいまいな感想に聴こえるが、実際は断言と同じ意味。「・・・だ」「・・・です!」と、同義語、同意語。唯一無二の絶対者、頑固者。
現場で、役者の自由なアドリブは、故・渥美清意外、絶対に許さない。
「そのセリフに、必然性があれば良いけど」と、披露試写会などの檀上などで、ベテラン俳優に向かって皮肉混じりに言う。
昨秋、脚本家・山内久の葬儀には、なんと若い女性を引き連れて出席・焼香。
いったい、ど~ゆ~神経をしているのかなあ? と、あ然とした。年若い彼女が、故人を知っていたという形跡は見られない。
久々の再会で、かつての松竹撮影現場スタッフら、山田と談笑する者、引きも切らず。
なもんで、質問するタイミングを逸し、取材・焼香して戻ってくると、もう、あわただしく、その女性と去っていなくなっていた。
すでに、84歳の老齢。足腰が悪いのか、撮影所構内では、時々、杖代わりか、助監督などの肩に手を掛けて、ゆっくりと歩く姿を見た。
そんなさなか、驚きのハナシを耳にした。
山田が、映画化に向けて脚本作りをするときは、都心にある老舗旅館に詰めて、長期間行なう。そのことは、映画業界の者には、よく知られている。
ところが、山田の妻・よし恵が存命中の時には、自宅に何故か帰らず連泊。
しかし、妻亡きあとは、泊まらずに毎日帰って行ったという。
はあ? 普通、逆じゃないの? そこいらへんの夫婦なら。顔も見たくないほど、熟・老年離婚しかねないほど不仲であったのであろうか。
そう言えば、山田洋次。「家族」や「東京家族」と言う、そのものずばりのタイトルの映画を撮ったり、数多くのじんわりと泣かせる家族愛を描いた映画を脚本化し、監督してきたが、あれっ? 自分の家族のことは、一切公言していないことに気付いた。
いったい、どういう家族、家庭であったのだろう?
ざっと調べてみただけでも、妻のよし恵は、今から7年4か月前に、76歳で死去。
夫婦の間に子どもは2人おり、いずれも女。
次女の山田亜樹(写真下)は、すでに52歳。長く地上波のTBSから、BS-TBSのドラマ・ディレクターとして移籍勤務し、近年は制作現場から離され、最新機器のデジタル関係映像祭のイベントなどに参加している。
例えば、。「デジコン6 アジア事務局 フェスティバル・ディレクター」などの肩書きを付けて。
長女とは、取材の過程で偶然声を交わすことになるのだが、ソレはのちに書く。
にしても、亡くなった山田よし恵というひとは、どういう女性であったのだろうか?
ネットで検索すると、出てきたのが「平塚らいてうの記録映画を上映する会」の「副会長」という肩書き。
「平塚らいてう」と書いて、「らいちょう」と読ませる。知る人ぞ知る、女性解放運動家。らいてうとは、いわば運動家名で、ペンネーム。本名は、違う。
自伝の題名に「元始女性は、太陽であった」と書き、その言葉は平塚の人生を現すとき、必ず引用されるほど有名。明治、大正、昭和と生き抜き、昭和46年にこの世を去っている。
山田よし恵は、昭和7年生まれ。戦火の下で、少女時代を過ごしている。
平塚らいてうと同様、日本女子大学に進学。山田洋次と結婚し、2女を産み育てる一介の主婦ではあったが、平塚の没後、今から24年前に設立された「平塚らいてう研究会」の発起人の1人であり、活動に関わっていったという。
平塚に関しては、「平塚らいてう堂」「平塚らいてうの家」「平塚らいてうの生涯普及センター」などの文字がいくつかのぞけるが、実態がよく見えず。且つ、直接の連絡が、不在が多く、取れなかった。
ただ、先の記録映画を製作しようとして、同窓生、知人、友人と協力し、資金も提供。
監督は、女性のドキュメンタリー映画監督の草分け、羽田(はねだ)澄子。彼女もまた、日本女子大学出身。そのつながりで、お鉢が回ってきたのか。現在、すでに80歳にもなるが、今も精力的に制作し続けている。
今から15年前、その映画が完成。
翌年の6月、これまた日本女子大学出身の岩波ホール総支配人である高野悦子の肝いりで、その岩波ホールで上映された。
以降は、自主映画として、フイルムを有料で貸し出すカタチををとっている。
その後、これまた母校の日本女子大学の広報が事務局となり、「平塚らいてう賞」を設立。
昨年で第11回の授賞式を数えるまでになった。
その間の、2008年11月8日。山田よし恵は病死している。
生前、よし恵は、こう言っていたという。
「私が呼べば、夫は来てくれると想う」
葬儀・告別式を前日に終えたばかりの喪主でもあった山田洋次が、11月13日に大学構内で行われた授賞式に出て、こう述べている。
「病床の妻が苦しみながら、日本女子大学には必ず行ってね、と言ってましたので」
「それは遺言なので、必ず行かねばならないと、思っておりました」
なんと、その際に、吉永小百合を同行させ登壇。その年の1月に劇場公開され、吉永が主演した「母(かあ)べえ」を、よりにもよって上映したという。
何でもかんでも、例え葬儀の翌日でも、宣伝に代えてしまうという神経が、私には理解しがたい。
当時の記事によれば、妻のよし恵は、ガンをわずらい、7年間もの闘病生活を送った末の死であったとある。
今年の正月明け。山田洋次は、ラジオに生出演した。
その際に、山田はこういうむねをクチにした。
「仕事で2日も家を空けていて帰宅しますとねえ、ご近所の方が、電気、ずっとお家に付いていなかったので、どうしたのかなあ?と、気がかりだったんですよと言ってくれたりなんかしましてねえ・・・」
さりげなく、84歳の、さみしき老人の独り暮らしを匂わす。さらに、近所の人情さえも。
独り暮らしはともかく、こと人情に関しては、そうかなあ?と、首を傾げた。
高級住宅街の成城5丁目ですよ。隣家はともかく、町内会でさえ、形骸化しているというのに・・・・。
自らが映像化を重ねてきたせいなのだろうか? 今は消え去った幻の人情を、夢想している老人に思えてならなかった。
というのも例えば、寅さんの産まれ故郷の柴又帝釈天商店街、および、その付近に、その手の人情はすでに無い。
カネカネカネ・・・・、他の店より、1円でも多く稼がなきゃ! ウチこそ、「とら家」の本家だよ! 寄ってって! 買ってって!とばかりに日暮れ前まで声枯らし、カネ稼ぎ一辺倒の気風が、あたり一面に漂っている。
正月を除くと、観光客の客足、参拝者は、近年めっきり減っている。
だから、京成電鉄柴又駅前に建てた「寅さん像」。人気復活、起爆剤のつもりであった。
ところが、渥美清にどこから見ても、似ても似つかない仕上がりに、いまだに不満を漏らす人は多い。
「出来上がりが似てないと言ったのに、作り直しは一切する気は無い!と言われてさあ。しっかり、山田監督と松竹に大金とられちまったよ」と苦笑いする人は柴又に多い。
近所付き合いは、薄くなり、老人夫婦は次々他界。子どもたちの遺産相続でもめる家は、跡を絶たない。
かつてあった日本家屋は壊され、新築の一戸建てや、土地分割や、相続税を支払うために更地にして、アパートや小奇麗なマンションに、どんどん建て変わっていっている。
ただし、高層階は規制条例で建てられないが。
何度も小旅行も兼ねて足を運んでおり、行くたびにその変わり様には目を見張るばかりだ。
山田洋次などは、先に書いた「葛飾柴又寅さん記念館」で行われるイベント」に出かける時は、成城から一路、車で入り口に乗り付けるのであろう。
だが、私なんぞは柴又駅から、ゆっくり散策しながらたどり着くので、行き交う人たちに、移り変わりの模様と感慨を聞いて回っているので、移りゆく人情の乏しさをしばしば痛感している。
さてさて、先のナマ放送のあと。淋しき独居老人のもとへ電話を掛けて見た。
先の違和感残る方言のいきさつも含め、いくつか聞いてみたかったから。
ところが、直帰せず。
なにかと、お忙しいようだ。夕食も兼ねて、独り外食三昧の日々なのであろうか・・・。7年間、自炊はしないのか、出来ないのか?
三度目の電話で、やっと帰宅されたようで、ヒトが出た。
---失礼ですが、山田洋次監督の御宅でしょうか?
「はい、そうですが」
おえっ! 中年女性の声だ。してみると・・・
---失礼ですが、長女の方ですか?
「はい、そうですが」
なんだなんだ、淋しき独り暮らしだなんて匂わせておいて、ヒトの人情と憐れみを乞う真っ赤なウソだったのか・・・・・・・・。
---すいませんが、監督にお聞きしたいことがありまして
「はい、代わります」
背後で、なんだい?という、監督らしき声が聞こえる。
「はい。山田ですが」
名前を名乗り、質問を切り出す
---ちょっといくつか端的にお聞きしたいのですが、脚本作りで詰められる、神楽坂の旅館がございますよね。奥様が生きていらした時には、なぜか泊まり続けられていて、お亡くなりになったあとからは、今度は泊まらずに、自宅に帰られていたというのは・・・
「それが、どうかしましたか?」
---普通に考えると、逆ではないか?と、想われるのですが。失礼ですが、帰りたくない理由。例えば、不仲であったとか?
「そんなことは、ありませんよ!」
口調が、いきなりテンション上昇!切り口上!
---では、奥様は長期入院なさってらした、とか
「違います! そんなことは、ありません!!」
短気は、本当だった。
---家族の映画を多く撮ってらっしゃるかたなんでお聞きするのですが、では、なんでそうなっていったんでしょうか?
「あのね!他人のあなたにね、自分の家族のコトをなんで話さなきゃいけないんですか!!! 」
ガチャン!!
いきなり、音をたてて電話は切られた。
長崎弁の、「長」すら言うヒマなく、叩き切られた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
監督の言葉通りならば、入院せず、自宅でガン闘病。
だから、介護するのも辛く、その姿を見るに忍びなく、帰りたくなかった?
しかし、周囲の、山田夫婦のことを知るひとたちに話しを聞き込むと、入院もしていらしたようだとも。
妻亡きあとは、さっさと帰宅・・・・・か
むろん、脚本作りに精魂傾け、せっかくの集中力を途切れさせたくなかったという言い訳も成り立つが・・・・・。
それにしても、名だたる高級住宅街における、隣近所からの人情・気配りの嬉しさ。
そして、足腰弱くなってきた、淋しき84歳独り暮らしの日々。
そして、妻は入院していない。
発言に匂い漂う、ウソに・・・・・・。裏と表。外ヅラと内ヅラ。にこやか笑顔と、短気。美と濁。人間の持つ、2面性。
いやね、悲喜こもごもの美しき人情家族愛を描き続けている、我が国ダントツの稼ぎっぷりの有名監督だから、とても気に掛かった訳でね。
映画と言う「虚」では、家族愛をたっぷりとうたい上げるが、「実」を知られることは断固拒否!か・・・・。
折りしも、今月、「家族はつらいよ」なる新作が劇場公開されるためか、宣伝が、テレビで大々的に、番組まで作って垂れ流しされている。
偶然か、物語は熟老年離婚騒動を描いたもの。
なにやら、この映画の発想は、蒼井優がかつて山田洋次に話しした、一言だったとPR。
夫婦の間のプレゼントのオハナシで、妻が夫に「離婚届けに、ハンコちょうだい!」と言ったんだってと。
他人が、キッカケ????
映画のなかでは、老女妻のこんなセリフが夫に向けて吐かれる。
夫「誕生日に、何が欲しい?」
妻、いきなり待ってました!と紙、目の前に突き出す。なんとソレは、離婚届け。
老母、同居する子ども家族に向かって、思いのたけを吐き出す。
「この辺で、お父さんから解放されて、好きなように生きてみたいの!」
「わたし、お父さんといることがストレスになるの!」
コレって、ホントに「虚」?
実は「実」かも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
脚本に、山田洋次の名前あり。
う~ん
もう、おっかなくって聞けねえ、聞けねえ
聞くのは「つらいよ」