≪ 2017・5・17 掲載≫
こ、こ、これが「記者会見」と言えるシロモノか?
5月17日、薄曇りの空の下。午前6時過ぎ。横浜市港北区に建つ、古い賃貸マンションから、宮内庁の警護担当の職員、俗称「側衛」に導かれるようにして出てきた(写真)、渦中の「小室圭」。
余計なことは、一切話さない方が良いと想うよ、という、かつて全く同じ体験をした立場になった黒田慶樹(よしき)からの「レクチャー」をかたくなに守って、クチを固く真一文字に、モロに閉じていた小室圭。
その約4時間後。
職場である、法律事務所が入っている東京都中央区のビルのなかにある一室の扉近くで、従前に記者団に言われていた「記者会見」とは、とても言えない、囲み取材。
それも! 10分ほどで、と言われていたのが、フタをあけてみれば、たったの5分!
ふざけんなよ!
そう叫びたいカンジ。
まして、マトモに答えたのは、早朝の眞子との、携帯電話でのやりとり、「行ってきます」「行ってらっしゃい」だけ。アホ、か!
あとは、全篇、「まことに申し訳ないのですが、お答えを控えさせて、いただきたい」
普段は、使い慣れない、ていねい語を駆使しまくり。
「今日は、申し上げることは出来ない」
「ソレに関しましても、時期が決まりましたら、申し上げさせていただきたい」
「ソレにつきましてもですね、しかるべきときに」
せめて、元「海の王子」
---率直な、今の感想を?
と聞かれた質問にだけは、キチンと正面から応じ(王子)て欲しかった。
愚かな子羊の群れたる、「宮内記者会」の、今月の幹事社の、若いテレビ東京の記者は、ソレを受けての、代表質問の締めは
「わかりました」
アホ!の極み。
だから、馬鹿でも勤まる宮内記者会、とも言えるのだが・・・・・。
にしても、黒田慶樹と、偶然にせよ、なんと似ていることか。
顔、ではない。経歴と環境が、だ。
共に、4年制の大学を卒業後、銀行に入社し、数年して退社し、転職しているだけでなく、共に、婚約内定前に、父親を亡くしており、母親のチカラで育てられている。共に、母は再婚していない。
レクチャーを受けつつ、その奇遇に、共に驚いたと聞いている。
まともに、この小室圭も、取材陣にクチを開くのは、2人揃っての際の、短時間で終えようと努める「婚約会見」の時だけ。
その後は、ナニが起ころうとも、どんなことを報じられても、一切、答えない姿勢を貫くはずだ。
黒田を、直撃取材した身としては、そう想う。
さらに・・・・・。
小室圭の母、佳代(かよ)は、まだ老いておらず、東横線の大倉山駅から電車に乗って、都内目黒区にあるケーキショップで元気に働いているほか、同居している自分の父の介護と面倒もみている。
圭の父親が亡くなったのは、彼が10歳前後。彼は、一人っ子。
高校に代わるインターナショナルスクール通学。
やがて、離れて暮らしていた祖父を呼び戻し、3人でいまの賃貸マンションに住み始めている。
圭が、数々のアルバイトを経験したのは、家計を少しでも助けるためであった。
いつもは、もちろん、あんな敬語しゃべりは、絶対にしていない。
いまふうのチャラチャラした、にいちゃんではないが、7年前の、あまりに有名になった、この「海の王子」になった前後しばらくは、メチャもてたし、さまざまな女の子のタイプと積極的に交際していた。
なもんで、むろん、童貞ではない。
ただ、眞子と真剣に交際を始めた頃からは、二股掛けてはいない。
厳密に言うと、微妙だが・・・・・・・。
さらに、眞子に会いたさに、イギリスに飛び、レスター大学付近で再会。抱擁し合い、マスコミの目も光らず、激情も後押しし、あっ、あっ、あ、あ、あ・・・・・・。
別れた女性に、マンにひとつ、マスコミに「告白」されても、きっぱり別れたオンナもいれば、交際が自然消滅したオンナもいるが、傷付かない・・・であろう。
仕事の他に、「一橋大学 大学院」に通学していることも、知られたこととなったが、ココ、彼がかつて幼い頃住んでいた国立市にある「一橋大学」構内に隣接しているのではなく、都内千代田区にある。
さらに言えば、雑誌社の小学館や集英社、そして、毎日新聞との中間にある。
といっても、通学、下校時、直撃しても、小室圭は、やはり一言もまともにしゃべらないはず。
そして、母の佳代も、祖父も。
宮内庁から、公言はしないようにと言われているようになっているから。
母が近所の親しい女性に、息子の婚約のことを問われて
「そ~ゆうことに、なりましたので」とだけ言って去った。
今後も、勤めているケーキショップに訪ねても、同様であろう。
実は、かつて、紀子が婚約内定した当時、その父が学習院大学の教授をしており、構内の教員住宅に住んでいた両親に直撃して、少しでも本当のハナシを聞こうと通ったが、ていねいに断られた。
そこで、「申し訳ないのですが、宮内庁からも何も言わないようにと、言われているんです」という言葉を得て、こりゃあ、仕方ないなと、暗がりのなか、目白駅に向かったことを記憶している。
にしても、テレビのワイドショーを筆頭に、「皇室ジャーナリスト」なる、得体の知れぬ有象無象の人間が出てきて、したり顔で「怪説」しているようで、今日見かけたのが、近重幸哉(ちかしげ ゆきや)なる55歳のオッサン。
この男の話す言葉を聞いていて、あきれた。
今回の2人のことを直接、自身で何一つ取材していない。積み重ねが、無いことが分かる。
言っていることは、すべて感想でしかなかった。
経歴をあたると、「女性自身」の記者をしていて、皇室担当とか。
雅子が、愛子を産んだ前後の当時のコトを、一冊の本にまとめているのだが、雑誌発行元の「光文社」からではない。
皇太子一家のことが詳しいのであれば、眞子と彼のことは、シロート以上に当然、「取材」をして、詳しく知っていてしかるべき!なのに
「電話で、婚約内定のことを知らされて、コメントを求められたんです。そこで、初めて今回のことを知りました」と・・・・・。
まだ、「女性自身」の皇室担当として、フリーながら、曲がりなりにも現役の記者・・・・らしい。
ならば、とも思うが・・・・・。
なお、先の記事で書いた、昨年10月2日の夜の、東横線電車内の、眞子に寄り添う彼は、この小室圭であることを確認した。
配慮、が解けた。不必要と、ココにきて判断したようだ。
さて、最後に・・・・・
再び、黒田慶樹との似た経歴を書き添えて、この記事を終えることにしよう。
現在、小室圭は、先に書いたように、母の佳代と、その母の父、つまり、圭の祖父との3人暮らしだが、来年になる挙式の後は、圭はそこを出て、眞子と新婚家庭で暮らし始めるはずだ。
それも、黒田慶樹同様、セキュリティがしっかりとしたマンションで。
彼は、まだまだ薄給の身だが、眞子の億単位の持参金(皇籍離脱、それも一時金)が、原資となるはずなので、大丈夫だ。
で、やがて、圭にとっては嫌なハナシかもしれないが、祖父が他界を迎える。
母の佳代は、独り暮らしを、先の港北区の賃貸マンションで始めるであろうが、圭が妻の眞子を説得し、母を引き取り、3人暮らしを間違いなく、いずれするはず。
そのくらいは、性格が良く、母親の紀子の教育が隅々までいき届いている眞子は承知のうえで、結婚の決意を固めたはずだ。
まさに、クロちゃんこと、黒田慶樹がたどっている道を、小室圭もたどることになるであろう。
それにしても、母の佳代の勤めている店が、ケーキ・ショップ。
で、黒田の慶樹。ケーキと、慶樹、かよ(佳代)。
さらに言うなら、慶…樹と、圭。
んん・・・・見えぬ糸でたぐり寄せられた、奇遇な人生にも、想えてならない。