徒然なるままに。
あれは今から十数年前のことだった。
まだ独身だった私は、いつものように道楽のために、
広島から新幹線に乗って東京に向かっていた。
季節は夏で、ちょうど関東地方に台風が接近しており、
外は、雨・風の物凄い悪天候だった。
ひかり号は、安全のために京都あたりから徐々に減速し、
そのせいでダイヤが乱れ、幾度も謝罪のアナウンスが流れた。
やがて指定席まで途中から自由席になり、
車内が混雑し始める頃には、まわって来た車掌さんを捕まえて、
ブーブー文句を言う人も出始めた。
と、私の隣が偶然空いたとき、絶妙のタイミングで、
ひとりの、若い白人男性が乗ってきた。
そのとき私は運悪く、英字新聞のデイリーヨミウリを持っていた。
それは、向学心に燃えて買ったは良いが、
私の英語力では読みこなすには至らず、
既に、ただの「新聞紙」になりかけていたシロモノだった。
が、白人男性は、それに目を留め、オオ、と笑顔になった。
彼は勝手に、私のことを英語が話せる人間だと見なした。
「ここに座ってもいいですか」
と彼は英語で私に訊いた。全然よくなかったが、仕方がなかった。
それから、ひどい天気ですね、みたいな日常英語会話が始まった。
私の英語はその時点からオカシかった筈なのだが、
彼はよほど話し相手を欲していたのか、
私の返事がとんちんかんでも、あまり気にしていない様子だった。
彼はほとんどひとりで、陽気に語った。
自分はスイスから来たということ。東京に友人がいるということ。
今は休暇で、日本には観光も含めて十日ほどの滞在だということ。
そのあと彼は故郷の写真まで見せてくれた。
それはまさしくアルプスの少女ハイジの世界だった。
緑の山。緑の谷。遠くには、白く雪を頂いた山々。
彼「ディス・イズ・マイ・ハウス。
ディス・イズ・ア・ポーストオフィス。
ディス・イズ・ア・チャーチ」
それだけだった。凄い田舎だった(爆)。
ホスピタルはどこ?と私は見ただけで不安になったものだ。
さて、しばらくして、むこうのほうから
「お弁当は~、いかがですか~?」
と車内販売の声がし始めた。彼はハッと顔を上げた。
彼「ホワット・イズ・ベンタウ?」
私「イット・イズ・ア・ランチ・イン・ザ・ランチボックス」
彼「オウ、イッツ・ア・ボックスランチ!」
……ったく。
私なんかに訊くから、こんな変な会話になるんだぞ(^_^;)?
悪天候のため、新幹線は減速しまくり、更に東京駅に入れず、
のろのろ運転になり、結局、定刻より二時間半も遅れた。
二時間半も余計に英会話させられた私の身にもなってほしい。
そして、ようやく到着のアナウンスがあった。
そのとき、特急料金払い戻しに関する案内があり、車内がどよめいた。
彼「(英語で)何があった?放送は何を言っている?」
私「JRから私たち全員にお金が支払われる」
彼「なぜだ!?」
私「これは、もはや特急ではなくなったから」
彼「……?」
私「ユーノウ?ひかり号は、速い。速いから、普通の列車より、高い。
だが、この列車は、遅く走った。台風のために。
速くなかった。ひかり号と同じくらいには。
ゆえに、これは、ひかり号とは見なされなくなった。
ひかり号の特別料金を、JRが我々に返すだろう」
彼「どうやって」
私「(精算所、という英語がわからず)駅に着いたら、
ほかの人々と一緒に、あなたは行く。お金を受け取るために。
私も行くだろう、そこへ」
彼「わかった」
結果的に、この男性には大変感謝された。
ひとりだったら払い戻しに気づかなかっただろうから当然だ。
彼は二時間半の遅れなど、あまり意に介していなかった。
東京にいる間に、是非もう一度会おう、と満面の笑顔で言われたが、
万が一、これがきっかけで何かがどうにかなって、
マッターホルンの彼方に嫁に行くことになったら困るので、曖昧にした。
あのとき、国際親善に努めている私のヨコで、
大勢の人々が、駅員に食ってかかっていたものだった。
大事な商談に遅れた人もあっただろうし、
家族のために一刻を争っていた人だって、いたかもしれない。
東京駅を目前にしながら、他の列車との接触を避けるために、
本当に僅かずつしか進まなかった最後の小一時間は、
誰しも忍耐を強いられただろうとは思う。
各々の事情は想像するのみだが、とにかく、皆の、
やり場のない苛立ちが、精算所付近に充満していたものだった。
このところ、JR西日本の安全管理や企業責任の問題にくっつけて、
JR西日本が定刻運転を重視し過ぎるから悪かったのだとか、
日本人は時間にこだわりすぎるから駄目だとかいう話を、
テレビでよくやっているが、彼らは本気で言っているのだろうか?
私には、それらはどうも現実離れのした議論に思えて仕方がない。
時刻表通りに列車が来ないということが日常的に起こっても、
「安全第一」だからと快く受け入れますか?本当?
あの日、夕刻の東京駅で、
この危険な台風の中、よくぞ無事に東京に到着できた、
という点に思い至り、JRに感謝していた人は居なかったと思う。
不可抗力とさえ言える、あのような非常事態においてさえ、
実際に安全を重視して運転したとき、乗客はそれを少しも評価しない、
ということを私は思い出さずにはいられない(逃)。
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