昨日は夜になってから、福田総理辞意表明のニュースがあって驚いた。
こういうタイミングで発表と会見があるとは思っていなかった。
しかし、この程度のインパクトでは、私にとっては、
福田総理辞任会見は、生涯忘れないほどの出来事にはならないだろうな、
とも、昨夜は思った。
今までで私が最も不意を突かれた総理辞任(の発表)は、
94年4月8日の、細川内閣退陣発表だった。
あのとき主人と私は、福岡から松江に転勤・転居したばかりで、
官舎には引越の段ボールが溢れかえっていて、
まだ、テレビも繋いでいなければ新聞も取っていなかった。
なので、世の中から完全に置いて行かれていた。
私たちは、そんなとき、荷解きに飽きて、松江市内に遊びに出て、
途中で偶然に入った喫茶店で、首相の辞意表明を知ったのだった。
あれは本当にビックリした。
首相の退陣だけでもいきなりで寝耳に水みたいな気がしたのに、
それだけでなく、今更驚いているのは自分たちふたりだけで、
世の中にとってはとっくに決定事項になっていた、
という状況にも、心から当惑したものだった。
あんな経験は初めてだった。
ほんの二日ほど、テレビと新聞がないだけで、
こんな重要なことを見逃すものだったか、
と私たちは目の覚める思いだった(?)。
もうひとつ忘れられないのは、もっと古い話だが、
89年8月の海部俊樹首相就任のときのことだ。
このとき、夏じゅう私はニューヨークに行っていた。
(ニューヨーク大学で身につけたことは英語ではなく、
カバンを股に挟む行為だった、ということは以前書いた通りだ。)
現地では日本の新聞や雑誌は割高なので全く買わず、
日本語のニュースを見る機会もなく、
英語ニュースは聞いても何を言っているのかサッパリだったので、
私は自然に浦島状態になっていたのだが、
現地の日本人の間で、あるときから、
『日本では、よくわからない名前の人が総理大臣になったらしい』
ということが、囁かれ始めた。
「ウミベさんじゃなくってカイフさん、とかって」
「それ誰」
と、私の知る限り、周囲の日本人は、皆、言った。
私も勿論、そんな人は知らなかった(爆)。
ほとんど聞いたこともないような人が総理になる、
という状況は、有権者になってから初めてのことだった。
ときに、昨日、福田総理辞任の発表があってから、
後任には麻生太郎氏が有力との話題が、俄にニュースに出てきて、
麻生氏の人気とパワーで自民党はイメージアップを図れるとか、
いやこんな汚れ役を麻生氏にさせてしまうのは勿体ないとか、
様々な見解がネットの掲示板などに書き込まれるようになった。
私は、ここで麻生というカードを切ってしまったら、
自民党にはもう後がないのではないか、と一瞬、思ったが、
登場時には無名でも、世論の支持によって長期政権になる例もあったな、
と海部俊樹就任以降のことを、ふと、懐かしく思い出したり、した。
仮に麻生氏が、党や支持者の期待に応えられないカタチで終わっても、
それはそれなりに、きっと次の人が出て来るものなのだろう。
もっとも、私の素人的な印象では、
このへんで総選挙をやって、いっぺん「ねじれ」を正したほうが
スッキリするんでないの?という気が、とても、している。
私なりに、今の与党の有様には、有権者としての反省があるし、
民主党にとっても、こんな良い機会はそうそう巡って来ないだろうと思う。
『蟹工船』を読んで共産党に入党する人が増えている、という話もあったし、
野党が充実して、政権交代もあったほうが、私は楽しいと思っている。
そして見応えのある政見放送を行って頂けたら、もう、言うことは無い。
私の思う、政見放送の、ひとつのお手本↓
1989年 大日本愛國党 赤尾敏総裁 最後の立候補(YouTube)
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