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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日の、田村響ピアノ・リサイタルの続き。

2月25日(土)14時開演@高槻現代劇場 中ホール
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」
リスト:2つの演奏会用練習曲<森のささやき><小人の踊り>
ショパン:ワルツ第6番変二長調作品64-1「小犬のワルツ」
ショパン:ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-1
ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」
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J.S.バッハ(ラフマニノフ編):無伴奏ヴァイオリンのための
  パルティータ第3番から プレリュード、ガヴォット、ジーグ
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品36
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アンコール メンデルスゾーン:無言歌集から「甘い思い出」
  ショパン:ワルツ第1番変ホ長調作品18「華麗なる大円舞曲」
(更に、演奏終了後、ステージでアフタートーク約30分)


前半は、愛好家にもピアノ学習者にも楽しめるよう配慮された曲目で、
後半は、この人の現在進行形のテーマがラフマニノフなのだろう、
と感じさせる選曲となっていた。
気力体力ともに充実した若い演奏家ならではの、精力的な内容だったと思う。
私は、田村響の、ダイナミックなところと精緻なところのバランスの良さが、
大変気に入っているのだが、それをステージで実現させているのは、
背後に、この人の徹底的な研究や妥協のない追求があるからこそだと、
今回も強く感じた。

巧く、かつ研究熱心な弾き手は、左手に関して用意周到なのと、
フォルテよりむしろピアニシモの中に、迫力と自己主張を持っている、
というのが私がいつも思っていることなのだが、
今の田村響からもそれを随所で感じた。
私の発見を引き出さずにおかないような魅力ある音の多くは、
左手の奏でる低いパートや、異色の存在感を放つ弱音の中にあった。
演奏会後のアフタートークで、会場からも、彼の弱音についての質問が出て、
田村響は「脱力はしなくてはいけないが、全部抜いてしまうのではなく、
指先はそっと弾いても、手のひらのほうに込めているものがあって、
音を掴むように弾こうと思っている。
静かな音であっても、鍵盤の底まで感じるように弾いている」
という意味合いのことを答えていた。

全体では特にラフマニノフのソナタのときに、今、彼の研究しているものが
非常に多く試みられていたのではないかと思ったのだが、
例えば、ある音が鳴ったところから、ふと新たな世界が開けるような瞬間とか、
多数の音が同時に響き合っている中で、重要な音がいくつか際立っていて、
そこだけ音色が異なっているとかいうような部分が、あちこちにあった。
また逆に、ここぞというキメ台詞みたいな音を出すところで、
音の持つ力を全部解放することを敢えてしないで、
音の出始めの瞬間を意図的に抑えているような、興味深い箇所も幾度かあり、
聴き手としては、否応なく、いっそう強く引きつけられる気分になった。
総じて、ラフマニノフ以外でも思ったことだが、音を存分に響かせるだけでなく、
数多く鳴っている音のうちのひとつを、わざと半分殺すというのか、
覆いをかけるようなテクニックがあったことが、大変面白く思われた。

アフタートークのところで、彼が何気なく
「あと5年間、二十代があるので」
と言い、私は彼がまだ25歳だということを再確認して、ため息が出た。
ポゴレリチ登場の1980年はおろか、ブーニン現象の起きた85年でさえも、
彼にとっては生まれる前の出来事なのだ。
なんと若い演奏家なのだろう。
私世代にとって息子と言っていい年齢だ(汗)。
この若さでは、課題も可能性も限りなく前途にあり、
その中で何を取り上げ、どのように弾くかを決定して行くのは、
ご本人にとっても困難が多く、同時にやり甲斐も大きいことだろう。
どうか良い出会いに恵まれますようにと、聴き手として祈らずにいられない。

このあと田村響は一度ヨーロッパに戻り、彼の地で演奏活動を行ったあと、
日本には4月に再び登場することになっている。
次回は、このたびのリサイタルでは弾いていなかったベートーヴェンが、
彼の新たな課題となるようだ。
毎回、あれほどの演奏を確実に実現させるためには、
演奏家としての内面の葛藤は大きいと思うが、
私はそのような全力投球の演奏に触れる実感を、いつも求めているので、
田村響の姿勢には強く心惹かれるものがある。
次の演奏会もまた、本当に楽しみにしていたいと思う。

グランプリ・コンサート(PTNAピティナ)
クラシックな休日を♪ in 音楽堂(神奈川県立音楽堂)


追記: トークで田村響は、自分のことを「心が弱い」と言っていた。
演奏会でも非常に緊張していて、余裕がないと自分で感じているそうだ。
傍目には、少年時代から日本を出たいと願い、十代で単身ヨーロッパに渡り、
ロン・ティボーで優勝したヒトのどこが「弱い」のかと私は思うが(^_^;、
自分で自分を「弱い」と認めるのは、とても大切なことだとも感じた。
他人の評価とは関係なく、自分で自分のことを考えるときに、
どこがどう駄目なのかを認めたうえで、そこから新たな努力をするというのは、
表層的なプラス思考などより、ずっと基本的で重要なことだろう。

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