転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



抽選に外れまくり、道楽の神様に見限られたかと諦めていたのだが、
なんと、直前にチケットを譲って下さる方があり、私は18日(水)に、
『第33回ANAチャリティー大歌舞伎 広島特別公演』@上野学園ホール
に行くことができた。
菊之助の『魚屋宗五郎』を、私の地元広島で観ることが叶ったのだ。
それもあって本日の長門公演には行かず、チケットは「お布施」となった(^_^;。
菊之助の宗五郎は再度観たかったが、この半月近く休みがなかったために、
きょうは私の心身が限界で、切実に休養が必要だったのだ。
結果的に、何もかも巧く行ったと感謝している。
お声をおかけ下さった某氏にも、そして、道楽の神様の配剤にも。
ありがとうございました<(_ _)>。

それにつけても、巡業とはいえ、
菊之助の初役の宗五郎を観ることができたのは、
音羽屋ファンの私にとって本当に素晴らしいことだった。
何しろ私は、菊五郎が初役で務めた宗五郎も知っているのだ。
昨今は、私自身の年齢が上がってきたために、
歌舞伎を長く見続けることの幸せを実感する機会が増えたと思う。

目下、菊之助の容貌は菊五郎の若いときに瓜二つだ。
横顔など、はっとするほど似ていることがある。
声や滑舌が涼やかで美しいのも、まさに父譲り。
菊五郎は実に立派な息子を育ててくれたと思うと、大変感慨深い。
その菊之助がこのたび演じて見せたものは、
瑞々しく若々しく、そして、例えようもないほど美しい宗五郎だった。
殿様に見初められてお屋敷に上がったほどの「お蔦」の兄なのだから、
宗五郎自身もまだ若く、また恐らく大変な男前であっただろう、
ということが、菊之助の宗五郎からはごく自然に伝わって来た。

酔うところは、まだ少し、演技的な計算が見え隠れしていたかもしれない。
酔って言うんじゃ、ございませんが
からの、笑い上戸の宗五郎の言葉も、
私にとっては、菊五郎で聴くような切なさは無かった。
でも、それはそれで良いと思うし、現段階の菊之助ならではの、
若く正しく行儀の良い舞台を観ることができたのだから、
私は全く不満になど思っていない。
菊五郎から習った通りに、主役として立派に務めていたし、
それができたのは、菊之助の充実した力量があればこそだった。
ただ、菊之助の課題があるとすれば(ただのオバさんが厚かましいのだが)、
次は、江戸の庶民である「魚屋」になりきることかな、と観ながら思った。
綺麗すぎて、……そこが最大の魅力でもあったのだが、やはり美しすぎて、
今回のは、天秤をかついだり魚をさばいたりする姿が想像できなかった。
歌舞伎だから、別にリアルに魚屋である必要はないのだが、
そうかと言って、音羽屋のプリンスの顔が見えては、やはり違うだろう。

同じように綺麗過ぎても、梅枝のほうはちゃんと女房おはまになっていた。
赤姫が抜群に似合う梅枝に、こんな庶民のおかみさんが出来るとは、
実際に観るまで私は想像できていなかった。
行き届いた、実に良い女房ぶりだったと思った。
ほか、萬太郎の三吉も宗五郎とのバランスが良かったし、
おなぎの右近も、限られた台詞ながら実に真心がこもっていて、
宗五郎一家とお蔦をつなぐ重要な役割を、見事に果たしていた。
何より、若い人ばかりで奮闘したこの舞台に團蔵がいてくれたことは
本当に大きな意味があっただろうと想像できた。
この芝居はもともと、主役の宗五郎で成り立つのではなくて、
周囲のひとたちが「受ける」呼吸のほうが大切なのだが、
その要となっていたのが、團蔵扮する宗五郎父・太兵衛だった。
團蔵の力で、『魚屋宗五郎』の舞台の空気が無理なく維持されていた、
という面もかなりあったのではないかと私は思っている。

磯部邸の家老・浦戸十左衛門は亀三郎。
声が素晴らしいので聞き惚れてしまったが、
亀三郎の実際の年齢や立ち位置からすると、
実際には、御家老様を演じるのは荷が重かったかもしれない。
しかし重厚さも良かったし、誠実さも控えめながら確実に演じられていて、
安心して観ていられた浦戸十左衛門だった。
松也扮する殿様の磯部主計之助も良かった。
この人も台詞が綺麗なので心地よく聴けて、
主計之助が酒乱で失敗したことや、今は心から悔いていること、
お蔦を陥れた者たちを責任を持って処罰する気持ちであること等々、
言葉のひとつひとつが響き、聴く者によく染み通ったと感じた。

菊之助が未来の菊五郎となるであろうことを考えると、
『魚屋宗五郎』は今後も繰り返し、巡ってくる演目なのではないかと思うが、
「兼ネル」役者である菊之助(菊五郎)であればこそ、
私はいつか、通しで『新皿屋舗月雨暈』としてこれを観たいと願っている。
菊之助が、前半ではお蔦を演り、後半では宗五郎を演るのだ。
これは、父の菊五郎でさえ、やっていない挑戦だ。
お蔦→宗五郎の通しには、美しい菊之助こそ相応しいに違いないと思う。
歌舞伎座でも国立劇場でもいい、通し上演される日を、
私は自分勝手に夢に見て、菊之助に期待しつつ、待っていたいと思っている。

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今回は、高校の同級生で三十数年来の友人と一緒に行った。
彼女とは、去年の猿之助・福山公演も観たのだが、
彼女のほうは歌舞伎好きとはいえ、私ほど酔狂ではないので、
最後に歌舞伎座まで出向いたのは25年ほど前のことであり、
そのとき観たのは『曽我対面』、現・松緑が辰之助を襲名した舞台だった。
その後、彼女は菊五郎劇団の面々を観る機会は全くなく、
菊之助など、自分の中で未だに丑之助時代で止まっていると言った。

「カズくん何歳になったんだっけ?」
と彼女が訊くので、
「三十代の終わり、……38歳だったか?」
と私が答えたら、仰け反っていた。
菊之助が結婚したのは、ワイドショーで観てなんとなく知っていたが、
感覚的に、まだ二十歳ちょっとだと思っていたそうだ。
んなワケないだろう、私らが五十過ぎなんだからよ(^_^;。
あんとき高校生だった辰っちゃんだって既に四十で、今や息子が左近だぞ?

ちなみに、これは平成の初め頃の話なのだが、
私の歌舞伎仲間のそのまた友人が、数十年ぶりに歌舞伎を観て、
「梅枝って、あんなに小さかったっけ!?」
と真顔で言った、というエピソードがある。
このとき出演していたのは、初舞台を踏んだばかりの現・梅枝だったが、
発言者の頭の中にあった「梅枝」は、その親の、当代・時蔵の少年時代であった(^_^;。
歌舞伎ファンの認識というのは、この程度にタイムスリップし得るものなのだ。

……というような具合で、今回の配役を見ても、
友人の馴染みは團蔵さんしかなく、観劇後に私が、
「おはまが時蔵の長男、三吉が時蔵の次男、
おなぎさんは六代目の曾孫で清元延寿太夫の次男、
御家老様が彦三郎の長男で、お殿様が松助の長男」
と説明したら、もうほとんど口パクパク状態になった(笑)。
なんと見事な、どこの息子もどれだけ達者なのか、さすがだ、
と、浦島さん状態の彼女は感激した。

「いやー、こりゃ久々、歌舞伎熱に火がついたね。やっぱり生はイイわ!
大阪・京都か博多くらいまでなら、ちょっと行こうかね」
と彼女は言った。望むところだ。案内するぞ(笑)。
「4月になったら、こんぴら歌舞伎もあるよ。日帰りできるよ」
と提案したら、彼女は笑って、
「やだ!!金丸座まで行ったら、泊まる!」
とも言った。よっしゃ、その意気だ。

こうなると、この友人に、近いうちに何かの機会を捉えて、
是非とも海老蔵を見せなくてはならないだろう(笑)。
海老蔵はもはや、彼女の頭の中にいる新之助とは全く違う。
きっと驚くぞ。観んでどうする。

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