転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
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HN「転勤族の妻よしこ」、筆名「山田亜葵」。家族は、転夫まーくん(またの名を「ツアコンころもん」)、転娘みーちゃん(1995年生まれ。首都圏在住。会社員)。
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父・退院その後
じーちゃん&ばーちゃん
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2017年06月28日 13時57分19秒
(写真は、父の日に私が贈った、ひまわり。)
本日、久しぶりに家で過ごせる休日が、来た。
怒濤の6月が、あと数日で、終わる。
死 ぬ か と 思 っ た orz
……というのは勿論、大仰な言い様ではあるのだが、
自分比で、「寝てない」「休んでない」の連続で、
ああきょうもちゃんと体が動く!有り難い(涙)!
と今月後半は朝起きるたびに思ったものだった。
死ぬかと思った、のは父に関しては文字通りだったが(爆)、
さすがに90歳近くまで死なないで生きてきた人は生命力が違うのだった。
最初は39度の高熱を発して身動きもできなくなり、救急車で入院したのに、
父は病院の治療で感染症をちゃんと克服し、
良い具合に血糖コントロールもして頂いて、リハビリ期間を過ごし、
17日(金)に、一応歩けるようになった状態で退院した。
大したものだった。
家に戻ってから、また熱がぶり返したり、咳が悪化したりと、
幾度か揺り戻しはあったのだが、全体として日々よく回復し、
先週後半からは家の中での生活には、ほぼ不自由がなくなった。
今は、田んぼのむこうの神社のあたりまでなら、
片道で徒歩数分程度かと思われるが、歩いて行けるようにもなった。
20日(火)と26日(月)に、地元の内科医院受診に付き添ったが、
一度目はパジャマのままカーディガンだけ羽織って行ったのが、
二度目はきちんと普段着に着替えて出かけることができ、
本人としても「しゃんとした気がする」と言うようになった。
ワシは85歳を過ぎた頃から頭がダメになった、
と父はかねてから言っていたのだが、
今回の入院からこのかた、私もかなりつぶさに父を観察するようになり、
なるほど頭が一部、壊れたらしいなということは理解できた。例えば、
父「きょうは、何をするんかいね」
私「2時から、○○内科に行くよ」
父「あい、わかった」
(5分後)
父「ほいで、きょうは、何をするんじゃったかいね」
私「2時になったら、○○内科に行くよ」
父「はい、○○内科じゃったね」
(10分後)
父「これからあとは、何もなかったかいね」
私「2時に、○○内科に行くよ」
父「ほうか、わかった」
という会話が、受診当日、家を出るまで際限なく繰り返されたが、
かかりつけの内科の先生によると、これは高齢者の典型的な症状で、
直近の記憶を入れておく引き出しが、老化のせいで失われた、
という状態であるとのことだった。
以前から経験のあることや、特別な出来事は前頭葉に移動していて、
そう簡単に消え失せることはないのだが、
今さっきの話を入れておく場所がなくなっているのだという。
確かに、父は万事がとんちんかんなわけではなくて、
むしろ、話や行動の大半は一応まともだ。
ただ、今確認したことが全く記憶に書き込まれていない。
その場の返事だけは素晴らしく良いので、これまたタチが悪い(^_^;。
本人にも自覚があるのだから、大事なことは紙にメモしておいたら良いのだが、
書いたという事実そのものを忘れたり、紙を簡単に紛失したりするので、
書き留めておくというのも、必ずしも確実な対処方法とは言えないようだ。
似たようなことは母のほうにもあって、
こちらは、父のように情報すべてを綺麗さっぱり忘れるのではなく、
直前の出来事が、妙にかたちを変えた記憶として残っていることが多い。
例えば、私が母のほうの受診に付き合う日の朝、マンションを出る前に、
『私は9時半にそちらに着く。11時に一緒に○○整形外科に行きましょう。
タクシーは10時50分にそちらに迎えに来てくれるよう、既に予約してあります』
とメールを送っておいたのだが、私が到着すると母は、
「あんたが何時に来るか教えてくれんから、さっきから外に出て待っとった。
あんたが乗ってきたタクシーに、私も一緒に乗らんならんから」
と、私が全然言ったこともないような予定に従って行動しようとしていた。
この件は予め、何時に何をするかを文字にしてメールで送ってあり、
母はそれを開いてちゃんと読んだと自分でも言っているのに、
私が到着する頃には、微妙に違う話を頭の中で作り上げていたのだ。
メールを再度開いて確認する、という行動もないまま、母は、
自分の前提と私の動きが違うことに対して、不満を述べていた。
87歳と88歳が、まがりなりにも元気で頑張ってくれていることは
私は本当に有り難いと思っている。
思っている。が、もう変テコなことは織り込み済みと覚悟せねばならぬ。
彼らが何をどの程度「無かったこと」にしてしまうのか、
どの点がどの方向に変質するのかしないのか、私には予測不能だが、
どっちへ認知が歪んでも、こちらの対処で補いがつくように、
オプションを常に用意しておかなくてはならないようだ。
父の内服薬は既に、壁掛け式のお薬カレンダーに分類して収納した。
血糖コントロールの薬を、朝昼晩の食事直前、及び朝食の後に、
それぞれ服用するようにと、主治医の先生から指示されているのだ。
父本人はあまりきちんと服薬管理ができないが、
母のほうがややマシで、毎回の食事のたびに気をつけていると言っていた。
薬の存在そのものが全く思い出せなくなる、
または、きょうが何日かどうしてもわからなくなる、
となったらアウトだが、今はまだそこまでは行っていないようなので
自分で服用を継続することも、機能維持訓練のひとつとして
頑張って取り組んで貰おう。
当面、来月11日に父は、糖尿病の検査のため、
「朝食抜きで、○○内科で検尿と血液検査を受ける」
という課題があるのだが、これを遺漏無くコンプリートさせるには、
どうしたら良いだろうかと私は今、策を練っている。
「朝ご飯を食べずに」
と百万回、言っておいたって、忘れるものは忘れるのだ。
予め大書して貼り出しておき、前日にもメールと電話をし、
当日は彼らが起きるより早く、私が実家に行けば、大丈夫だろうか。
そこまでやってダメだったら、不可抗力でしたということで(逃)。
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