知人の話として、「治るのは本人の力」というニュアンスのことをなんどか書いてきた。
じゃあ、「お前はなにをしてるねん?」という話がでるのも当然。
知人は、あくまで「さあ、、、勝手に本人が治っていくねん」と言うが。確かに、彼の場合は触れずとも治っちゃったりするんで、まあ、、、そう言われても納得できないことはない(苦笑)。
かいつう館的には、こう。
痛みは、カギがかかってる状態。それを知らずに、ドアを開けようとしている。いくらガチャガチャ揺さぶってみても、うるさいばかりで開かない。
で、かいつう館が、カギをはずしてあげるわけ。
すると、スルスルスルと、開くよね。
ほんでもって、かいつう館が例えば「五十肩」なら五十肩という痛みを取ったのかと言うと、
痛みを取った、わけじゃなく、ロックをはずしただけ。そしたら、スムーズに動くようになった。
だから、痛みがあるとかないとか痛みが消えるとか痛みが取れたとか言うよりも、「痛くなく動けるようになりますよ、だって、カギが掛かってるだけなんだもん。それさえ外せば、ね」という理論です。痛むなにかがあるんじゃなくて、動かすと痛い。動けないようなロックが掛かってるだけで、本当はどこも「痛くない」(うーん、ちょっと表現がややこしいね)。だから、そこを見つける、カギをはずす、このステップで改善できますよ、と。
逆にいうと「本当に痛みがある場合は、なかなか取れない」んですよ。ロックが掛かってるんじゃなくて、捻挫とか、挫傷とか、骨折とか、切り傷とか、痛風とか、、、(苦笑)。
じゃあ、「お前はなにをしてるねん?」という話がでるのも当然。
知人は、あくまで「さあ、、、勝手に本人が治っていくねん」と言うが。確かに、彼の場合は触れずとも治っちゃったりするんで、まあ、、、そう言われても納得できないことはない(苦笑)。
かいつう館的には、こう。
痛みは、カギがかかってる状態。それを知らずに、ドアを開けようとしている。いくらガチャガチャ揺さぶってみても、うるさいばかりで開かない。
で、かいつう館が、カギをはずしてあげるわけ。
すると、スルスルスルと、開くよね。
ほんでもって、かいつう館が例えば「五十肩」なら五十肩という痛みを取ったのかと言うと、
痛みを取った、わけじゃなく、ロックをはずしただけ。そしたら、スムーズに動くようになった。
だから、痛みがあるとかないとか痛みが消えるとか痛みが取れたとか言うよりも、「痛くなく動けるようになりますよ、だって、カギが掛かってるだけなんだもん。それさえ外せば、ね」という理論です。痛むなにかがあるんじゃなくて、動かすと痛い。動けないようなロックが掛かってるだけで、本当はどこも「痛くない」(うーん、ちょっと表現がややこしいね)。だから、そこを見つける、カギをはずす、このステップで改善できますよ、と。
逆にいうと「本当に痛みがある場合は、なかなか取れない」んですよ。ロックが掛かってるんじゃなくて、捻挫とか、挫傷とか、骨折とか、切り傷とか、痛風とか、、、(苦笑)。