あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

子供、ストーカー、政治権力者の精神構造は同じである。(意識と無意識2)

2022-06-08 15:52:32 | 思想
人間は、自由な動物でも理性的な動物でもない。人間は、独裁国家や全体主義国家に住んでいなくても誰かに支配されていなくても自由ではない。人間は、常に、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に支配されているから自由ではないのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。深層心理が、人間の無意識のうちに、自我に取り憑き、思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。だから、人間は存在自体が自由ではないのである。人間は、自我に取り憑かれ、自我の欲望に動かされて生きているのである。その典型が子供、ストーカー、政治権力者である。深層心理が自我に取り憑き、深層心理が思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているから、人間は、自ら主体的に思考して、主体的に行動することはできないのである。人間は理性的な動物ではないのである。人間は自らのことを自分と言うが、自分は構造ごとの自我にかしすぎない。人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者から、ポジションが与えられ、そのポジションに応じて行動しようとする、 現実の自分のあり方である。日本という構造体では、政治家・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、銀行という構造体では、支店長・行員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻の自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があるのである。人間は、常に、構造体に所属して、自我となり、深層心理が、自我を主体にして、欲動によって、快楽を求めて、思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、無意識の思考によって動かされているのである。欲動とは、深層心理に内在している四つの欲望である。深層心理は、欲動の四つの欲望のいずれかにかなった状態になれば快楽を得ることができるので、思考して、そのような状態になる行動を生み出し、人間を動かそうとするのである。欲動の第一の欲望が、自我を確保・存続・発展させたいという欲望である。保身欲である。深層心理は、保身化という作用によって、自我を動かし、この欲望を満たそうとする。欲動の第二の欲望が、自我が他者に認められたいという欲望である。承認欲である。深層心理は、対他化の作用によって、自我を動かし、この欲望を満たそうとする。欲動の第三の欲望が、自我で他者・物・現象などの対象をを支配したいという欲望である。支配欲である。深層心理は、対自化の作用によって、自我を動かし、この欲望を満たそうとする。欲動の第四の欲望が、自我と他者の心の交流を図りたいという欲望である。共感欲である。深層心理は、自我と他者の共感化という作用によって、自我を動かし、この欲望を満たそうとする。しかし、人間は、誰しも、日常生活において、欲動の四つの欲望のいずれが阻害され、自我が傷つけられたならば、深層心理は苦痛を味わう。自我が傷付けられるということは、所謂、プライドが傷付けられたことを意味し、自我が下位に落とされたことを意味する。その時、深層心理は、その苦痛から解放されるために、自我を傷付けた他者に復讐し、自我を高めるような自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとする。例えば、学校で生徒が同級生に悪口を言われたり、会社で社員が叱責されたりする。その時、生徒や社員の深層心理は、怒りの感情と自我を傷つけた他者を侮辱しろ・殴れなどの行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとする。感情が強過ぎると、人間は、深層心理に動かされ、深層心理が生み出した行動の指令の通りに、自我を傷つけた他者を侮辱したり殴ったりして、他者を傷付け、自らは罰せられる。苦痛からの解放は一瞬のことだけで、後に、大きな苦痛が訪れ、悔いるることになる。しかし、大抵の場合、人間は、深層心理の自我を傷つけた他者を侮辱しろ殴れなどの行動の指令を抑圧する。人間は、表層心理で思考sて、抑圧したのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。人間は、表層心理で、深層心理が生み出した怒りの感情の下で、自我に現実的な利得をもたらそうという欲望に従って、自我を傷つけた他者を侮辱したり殴ったりしたならば、後に、自我がどうなるかという、周囲の人の評価を気にして、将来のことを考え、深層心理が生み出した侮辱しろ・殴れなどの行動の指令を、意志によって抑圧しようと考えるのである。人間は、表層心理で、道徳観や社会規約を考慮して、思考するのも、長期的な展望に立って、自我に現実的な利得をもたらそうと考えているからである。しかし、深層心理が生み出した怒りの感情が強過ぎると、表層心理の意志による抑圧も、深層心理が生み出した侮辱しろ・殴れなどの行動の指令を抑圧できないのである。そして、深層心理が生み出した行動の指令のままに、相手を侮辱したり殴ったりしてしまうのである。それが、所謂、感情的な行動であり、自我に悲劇、他者に惨劇という苦痛をもたらすのである。また、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否する結論を出し、意志によって、行動の指令を抑圧できたとしても、今度は、表層心理で、深層心理が生み出した怒りの感情の下で、深層心理が納得するような代替の行動を考え出さなければならないのである。そうしないと、怒りを生み出した苦痛という心の傷は癒えないのである、しかし、代替の行動をすぐには考え出せるはずも無く、自己嫌悪や自信喪失に陥りながら、長期にわたって、苦悩するのである。すなわち、深層心理の思考が表層心理での思考の上位にあるのである。もしも、表層心理での思考が深層心理の思考よりも上位にあれば、表層心理での思考とは自らを意識した思考であり、その結果が意志であるから、常に、意志で深層心理が思考した生み出し行動の指令を抑圧できるのである。そうであれば、人間は主体的に思考して行動していると言うことができ、人間は自由な存在で理性的な動物であると言えるのである。しかし、深層心理が思考して生み出した感情が強い場合、表層心理で思考して生み出した意志は深層心理が思考して生み出した行動の指令を抑圧できないのである。人間は、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望のままに行動することが多く、また、表層心理で思考して生み出した意志は、深層心理が思考して生み出した感情が強い場合、深層心理が思考して生み出した行動の指令を抑圧できないから、自ら主体的に思考して行動することはできないのである。だから、人間は自由な動物でも理性的な動物でもないのである。さて、「子供は正直だ」という言葉がある。この言葉は、大人は嘘をつくことがありだますことがあるからその言葉や行動を信用することはできないが、子供は嘘をつかずだますことが無いから信用できるという意味である。しかし、子供も嘘をついたりだますことがある。子供なりに、正直に言っていいか行動していいかか判断しているのである。それでも、一般に、子供は、大人に比べて、社会性に乏しいから、大人よりも、自我の欲望のままに正直に言い行動することが多いのである。大人も、自我の欲望のままに正直に言い行動したいから、子供の非社会的な言動に憧れるのである。大人の子供に対する憧れが、「子供は正直だ」いう誇張した表現を生み出したのである。しかし、子供の自我の欲望に対しての正直な言葉や行動は、子供の力が弱いから、笑って済まされるのである。しかし、子供は、些細なことで喧嘩を始めることがある。相手の気持ちを考えることなく、自我の欲望のままに、自分の権利を強く主張するから、簡単に喧嘩が始まるのである。それでも、子供は力が弱いから、大人はその喧嘩を止めることができる。しかし、大人が、子供のように、相手の気持ちを考えることなく、自分の権利を強く主張するとどうなるか。復讐合戦、殺し合いに成るのは、想像に難くない。大人が自我の欲望に対してむき出しに正直に言い行動するという幼児性を発揮すれば、悲劇、惨劇を生むのである。しかし、深層心理は、大人になっても、自我の欲望に対してむき出しに正直に言い行動するという幼児性を発揮するように、人間を動かそうとしているから、常に、悲劇、惨劇が生まれる可能性があるのである。次に、ストーカーであるが、ストーカーは、恋愛感情を捨てられない者の悲劇、惨劇である。ストーカーは自分が最も相手の女性(男性)を愛し、最も知っていると思い込んでいる。そして、相手に付きまとっている自分は悪くなく、自分のことを受け入れない相手が悪いのだと思い込んでいる。相手が自分の気持ちをどうしても受け入れてくれないとわかったり、相手に新しい恋人ができたりすると、思い余って、相手を殺す人も稀に存在する。そして、社会的に罰されるのが嫌で、自分の行為を正当化するために自殺する人も存在する。ストーカーは、相手を真に愛しているのは自分だけだと思っているから、他の人が相手を愛すること、相手が他の人を愛することを許さないのである。ストーカーになるのは、配偶者や恋人から別れを告げられ、夫婦やカップルという構造体が消滅し、夫や恋人という自我を失うのが辛いから、相手に付きまとい、構造体を維持しようとするのである。ストーカーの思考は、配偶者や恋人という自我を失うという苦痛の中で、夫婦やカップルという構造体をどのようにしたら守ることができるかということだったのである。そして、相手に無視されたり邪険に扱われたりすると、構造体の消滅を認めるしかないから、相手を殺して、一挙に辛さから逃れようとする者も現れる。もちろん、表層心理での思考は、ストーカー行為を抑圧しようとする。しかし、深層心理が生み出した自我を失うことの辛い感情が強いので、表層心理での思考は、ストーカー行為を抑圧しようとしてもできずに、深層心理が生み出したストーカー行為をしろという行動の指令に従ってしまうである。次に、政治権力者についてであるが、政治権力者が戦争を始めるのである。誰しも、一人では戦争を始めない。一人で戦争を始めれば、必ず、自分が死ぬからである。だから、人間は、政治権力者になって、戦争を始めるのである。勝利すれば、英雄となり、敗北しても、ほとんど死ぬことは無いからである。死ぬとしても、名も無き国民の後である。右翼も、一人では戦わない。恐いからである。だから、国民全体を巻き込むのである。国民全体を巻き込んで、自分がその指導者のつもりでいるのである。もちろん、実質的な指導者は政治権力者である。しかし、右翼は政治権力者に身も心も託すことによって、自分が指導者になった気でいるのである。しかし、戦争はゲームではない。戦争は、人間の自我の欲望をむき出しにさせ、戦場では、監視し裁く第三者がいないから、虐殺、拷問、レイプなどの残虐な行動が多発するのである。今や、戦争の目的は資源確保、食糧確保、領土確保・拡充ではない。もはや、経済闘争では無い。権力への意志に突き動かされて、政治権力者は、国民の愛国心を利用して、戦争を始めるのである。右翼は、愛国心に突き動かされて、それを積極的に支持し、国民全体を巻き込むのである。しかし、愛国心と言えども、自我の欲望に過ぎないのである。一般に、愛国心とは、国を愛する気持ちと説明されている。しかし、それは、表面的な意味である。真実は、他の国の人々に自国の存在を認めてほしい・評価してほしいという自我の欲望である。愛国心があるからこそ、自国の評価が気になるのである。確かに、愛国心があるからオリンピックやワールドカップが楽しめるのであるが、愛国心があるからこそ戦争を引き起こし、敵国の人間という理由だけで殺すことができるのである。人間は、自我の欲望を満たすことによって快楽を得ているが、逆に、自我の欲望が満たされないと不満を抱くのである。だから、時には、愛国心という自我の欲望を満たすために戦争を引き起こし、時には、愛国心という自我の欲望が満たされず、その不満を解消するために戦争を引き起こすのである。しかし、人間は、愛国心に限らず、自我の欲望を、自ら意識して思考して生み出していない。深層心理が、人間の無意識のうちに、自我を主体にして、快楽を求めて、思考して、自我の欲望を生み出して、人間を動かしているいるのである。現在、世界中の人間が、国に所属し、国民という自我になっているから、深層心理が、愛国心という自我の欲望を生み出し、人間を戦争に駆り立てることがあるのである。だから、世界の至る所で、戦争が起こっているのである。国という構造体、国民という自我が存在する限り、人類からは、戦争が消滅することは無く、誰しも、敵国民だからという理由だけで殺し、敵国民だからという理由だけで殺される可能性があるのである。







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