あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

愛国心という言葉に潜む麻薬性について。(自我その529)

2022-06-24 19:28:54 | 思想
一般に、愛国心は国を愛する心として好意的に解釈されている。しかし、人間は愛国心があるから、残酷で無益な戦争を引き起こすのである。国を愛している者たちが、なぜ、国を滅ぼす可能性があるような戦争を引き起こすのであろうか。それは、愛国心というのは、国を愛する心として愛すべき心情のように見えて、真実は、国民という自我を愛する心から発した自我の欲望だからである。愛国心は、宙に漂っていたり静止していたりしているものではなく、常に、自我の欲望として、人間を動かしているのである。しかし、戦争を引き起こした者たちは、国のプライドを守るためにやむにやまれず取った手段だと思っているのである。真実は、自我の欲望を満足させるために起こしたのである。愛国心には無意識のうちに自らを偽る麻薬的な要素があるのである。現代という時代は、世界は、国という構造体に分かれ、国民という自我で活動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体における、ある役割を担った自らのポジションである。構造体の最大の単位が国であり、自我として最大の力を発揮するのが国民である。現代は、世界が、国として分けられている。だから、世界の全ての人に、愛国心がある。また、現代は国際化の時代だと言われるが、それは、国という構造体が何事においてもが干渉し合い、国民という自我が何事においても競い合っている時代を意味するのである。国という構造体ごとに国民という自我で独立した動きをし、隣国という構造体との狭い関わり合いから世界という広い関わりまで行っているのである。しかし、人間は自らを意識して主体的に思考してそれを行っているのではない。人間の自らを意識した精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は表層心理で自らを意識して主体的に思考して行っているのではない。人間の無意識の思考が自我を主体に立てて思考して愛国心という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が、国民という自我を主体に立てて思考して、愛国心という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。愛国心という自我の欲望が人間を戦争へと駆り立てる時があるのである。深層心理とは人間の無意識の精神の活動であるから、人間を戦争へと駆り立てる気持ちは、心の内面から湧き上がってくるのである。つまり、人間に、国民という自我がある限り、心の内面から愛国心が生まれ、戦争へと自らを駆り立てる気持ちが湧き上がってくる時、戦争へと自らを駆り立てる気持ちが湧き上がってくる人が、必ず、存在するのである。さて、愛国心に限らず、人間は、常に、構造体に所属し、自我として生き、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて生きている。人間は、常に、構造体に所属して、構造体から与えられた自我に執着して暮らしているのは、深層心理が、自我に執着しているからである。しかし、人間は、常に、構造体に所属して、構造体から与えられた自我に執着して暮らしているが、それを意識したり、疑問に思ったりする人は、ほとんどいない。それは、深層心理とは、人間の無無識の精神活動だからである。人間は、自ら意識しなくても、自ら意志しなくても、自我に執着して生きているのである。つまり、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、自我に執着しているのではなく、深層心理が、人間を自我に執着しているから、人間は自我に執着するのである。そして、深層心理が国民という自我に執着し、愛国心という自我の欲望を生み出し、残酷で無益な戦争を引き起こす時、残酷で無益な戦争を引き起こす人を存在させることがあるのである。さて、人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きているのであるが、構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。国という構造体では、国民という総称の自我があり、総理大臣・国会議員・官僚・庶民などという個称の自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻という自我があり、人間という構造体では、男性・女性という自我があり、男性という構造体では、老人・中年男性・若い男性・少年・幼児などの自我があり、女性という構造体では、老女・中年女性・若い女性・少女・幼女などの自我がある。だから、人間は、自らを自分と称するが、自分は自我の総称であって、固定していない。なぜならば、人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きているからである。人間は、所属する構造体ごとに、異なった自我になるのである。すなわち、所属する構造体が自我を決定するのである。人間は、深層心理に支配され、深層心理が自我に執着しているから、人間も、自我に執着して生きるしかないのである。つまり、人間は、自我に成りきるのである。そして、人間は、常に、自らを意識して思考して行動しているわけではない。むしろ、意識せずに思考して意識せずに行動していることが多い。これが、所謂、無意識の行動である。しかし、無意識の行動とは、決して、思慮することの無い、漠然とした行動ではない。無意識の行動と言えども、深層心理が思考して生み出した感情と行動という自我の欲望よる行動なのである。ただ、人間はそれを表層心理で意識していないだけなのである。深層心理が、常に、自我を主体に立てて、欲動によって、快楽を求めて、もしくは、不快感から逃れようと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。深層心理は、ひたすらその時その場での快楽を求めて、もしくは、不快感から逃れようと思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。時には、欲動にかなった行動を行えば快楽が得られるので、深層心理は思考して、欲動にかなった行動を行動の指令として生み出し、人間を動かそうとするのである。時には、欲動に背いた状況になり不快感に陥っているので、深層心理は思考して、この状況から逃れる行動を行動の指令として生み出し、人間を動かそうとするのである。それでは、欲動とは何か。欲動とは、深層心理に内在し、深層心理の思考を動かす、四つの欲望である。四つの欲望とは、自我を確保・存続・発展させたいという保身欲、自我が他者に認められたいという承認欲、自我で他者・物・現象という対象を支配したいという支配欲、自我と他者の心の交流を図りたいという共感欲である。深層心理は、この四つの欲望を使って、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、人間を動かし、快楽を得ようとするのである。欲動には、第一の欲望として、自我を確保・存続・発展させたいという保身欲がある。そのために、深層心理は自我の保身化という作用を行う。また、深層心理は、自我の確保・存続・発展だけでなく、構造体の存続・発展のためにも、自我の欲望を生み出している。なぜならば、人間は、この世で、社会生活を送るためには、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を得る必要があるからである。言い換えれば、人間は、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を持していなければ、この世に生きていけないから、現在所属している構造体、現在持している自我に執着するのである。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために自我が存在するのではない。自我のために構造体が存在するのである。だから、誰しも、愛国心を持っているのである。それは、国という構造体に所属し、国民という自我を持っているからである。欲動には、第二の欲望として、自我が他者に認められたいという承認欲がある。そのために、深層心理は自我の対他化という作用を行う。ロシアという国の構造体における大統領の自我を持ったプーチンが、自国の軍隊を使ってウクライナという国の構造体に侵攻したのは、ロシアという国の構造体そして大統領としての自我の力を、ウクライナ大統領という自我を持ったゼレンスキー、ウクライナ国民という自我を持った人々、そして、世界中の人々に承認してもらいたいからである。欲動には、第三の欲望として、自我で他者・物・現象という対象を支配したいという支配欲がある。そのために、深層心理は対象の対自化の作用を行う。ロシアという国の構造体における大統領の自我を持ったプーチンが、自国の軍隊を使ってウクライナという国の構造体に侵攻したのは、ウクライナの一部でも支配したいからである。欲動には、第四の欲望として、自我と他者の心の交流を図りたいという共感欲がある。そのために、深層心理は自我と他者の共感化という作用を行う。ロシアという国の構造体における大統領の自我を持ったプーチンが、自国の軍隊を使ってウクライナという国の構造体に侵攻したのは、ロシア国民と心を一つにして戦いたかったからである。さて、深層心理は、常に、自我を主体に立てて、欲動によって、快楽を求めて、もしくは、不快感から逃れようと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我となった人間を動かそうとしているが、快楽を求めるとはひたすらその時その場での快楽を求め不快を避けようとする欲望であり、不快感から逃れとはひたすらその時その場での不快から逃れようとする欲望であるから、深層心理には、道徳観や社会規約は存在しない。欲動に、道徳観や法律厳守の価値観は存在しないから、深層心理にも存在しないのである。道徳観や社会規約は、自らの自我の欲望、他者や他人の自我の欲望を抑圧するために、人間が、表層心理で思考して、生み出したものである。だから、深層心理は、道徳観や社会規約に縛られず、ひたすらその場での瞬間的な快楽を求め不快感から逃れることを目的・目標に思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとするのである。もちろん、深層心理が快楽を得る不快感から逃れるということは人間が快楽を得る不快感から逃れるということであり、すなわち、自我が快楽を得る不快感から逃れるということである。それは、深層心理が自我を主体に立てているからである。だから、人間は、悪事を犯しても、快楽を得る不快感から逃れることがあるのである。自我の欲望がかなえられれば、快楽を得る不快感から逃れるのである。だから、愛国心という自我の欲望をかなえようとして、愛国心という自我の欲望がかなえられない不快感から逃れようとして、戦争を起こすことがあるのである。しかし、人間は、常に、深層心理が思考して生み出した行動の指令通りに行動しているわけではない。人間は、表層心理で、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について、許諾するか拒否するかを、自らを意識して思考して、行動しようとすることがあるのである。人間の自らを意識しての思考、すなわち、人間の表層心理での思考が理性である。人間の表層心理での思考による行動、すなわち、理性による行動が意志の行動である。人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動した後自我がどのような状況に陥るかを、現実的な自我の利得の視点から、思考して、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧し、自らの意志によって行動しようとすることがあるのである。しかし、人間は、表層心理で、思考して、深層心理が出した行動の指令を拒否して、深層心理が出した行動の指令を抑圧することを決め、意志によって、実際に、深層心理が出した行動の指令を抑圧できた場合は、表層心理で、深層心理が納得するような、代替の行動を考え出さなければならないのである。なぜならば、心の中には、まだ、深層心理が生み出した感情がまだ残っているからである。その感情が消えない限り、心に安らぎは訪れないのである。その感情が弱ければ、時間とともに、その感情は自然に消滅していく。しかし、それが強ければ、表層心理で考え出した代替の行動で行動しない限り、その感情は、なかなか、消えないのである。さらに、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否することを決定し、意志で、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧しようとしても、深層心理が生み出した怒りの感情が強過ぎる場合、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動してしまうのである。怒りの感情は、稀には、自らに向かうが、ほとんどの場合、他者に向かうのである。それが、暴力、稀には、殺人という犯罪を引き起こすこともある。それは、他者から、侮辱などによって、自我が傷つけられ、自我が下位に落とされたから、深層心理は、その自我を復活させようとして、他者を攻撃することによって他者を下位に落として、自我をが上位に立たせようと思考してして生み出した自我の欲望によるものである。政治権力者が他国の政治権力者に対して屈辱感を覚えた場合、深層心理は、怒りの感情と戦争への行動の指令という自我の欲望を生み出し、政治権力者を動かし、屈辱感を払おうとするのである。政治権力者によっては、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令のままに戦争を仕掛けた場合、自国の兵士、相手国民がどのような状況に陥るかを、現実的視点から、思考して、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧し、自らの意志によって行動しようとすることがある。しかし、プーチン大統領のように、常日頃から、自らを批判する政治家やマスコミ人を投獄させたり殺させたりしている者は、人間の表層心理での思考は深層心理の思考に加担するのである。プーチン大統領は、迷うこと無く、ウクライナに、兵士を侵攻させたのである。ゼレンスキー大統領は、深層心理が生み出したプーチン大統領に対する怒りの感情が強かったので、表層心理で、自国民の命を守るという抑圧心が起こらなかったのである。つまり、いざとなると、理性は感情の前にひれ伏すのである。








コメントを投稿