あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

なぜいじめは無くならないのか。(欲動その1)

2023-10-10 15:09:37 | 思想
なぜいじめは無くならないのか。それは、人間は深層心理に動かされて行動しているからである。深層心理がいじめを指示し、人間はそれに従って行動しているから、いじめは無くならないのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、人間は無意識の思考に動かされて行動しているからいじめは無くならないのである。人間は自ら意識して思考していじめを行っているのではなく、深層心理が思考していじめを行動の指令として生み出して人間を動かしているのである。つまり、人間は自ら意識して思考して行動していないから、いじめは無くならないのである。もしも、人間が自ら意識して思考していじめをしているのであれば、意志によっていじめを無くすことができる。なぜならば、誰しもいじめは悪いことだと思っているからである。人間の自らを意識した精神活動を表層心理と言う。つまり、人間は表層心理の思考ではいじめは悪い行為だと思っているが、深層心理はいじめを悪い行為だと思っていないからいじめは無くならないのである。そもそも、深層心理は善悪によって思考しないのである。深層心理は快楽を求めて(不快感を味わわないように・不快感から逃れようと)思考しているのである。深層心理にとって、いじめは、ある時は、快楽を求めての行為であり、ある時は、不快感から逃れる行為なのである。人間は深層心理の行動の指令をそのまま行動に移すから、いじめは無くならないのである。いじめに限らず、深層心理が、自我を主体に立てて、欲動に基づいて快楽を求めて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとするのである。つまり、人間の行動の起点は深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望だが、深層心理が、自我の欲望として、相手に憎しみの感情と精神的・肉体的な苦痛を与えろという行動の指令を生み出し、人間が、精神的・肉体的な苦痛を与えろという行動の指令通りに長期にわたって行動すると、いじめになるのである。しかし、表層心理で、深層心理が生み出した憎しみの感情の下で、深層心理が生み出した精神的・肉体的な苦痛を与えろという行動の指令通りに行動すればその後自我がどのような状態になるかを想像し、現実的な利得を求めて思考して、行動の指令を抑圧できれば、いじめは起こらないのである。深層心理は、自我が欲動に応じた状態にであれば快楽が得られるから、そのような状態にしようと思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとするのである。人間の行動は深層心理の思考から始まるのである。しかし、多くの人は自ら意識して思考して、すなわち、表層心理で思考して行動していると思い込んでいるのである。つまり、自らが主体的に思考して行動していると思い込んでいるのである。しかし、それは、深層心理の存在に気付いてないからである。人間が自我にこだわるのも、深層心理が自我を主体に立てて思考して人間を動かそうとしているからである。それでは、自我とは何か。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では友人という自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻という自我があり、人間という構造体では、男性・女性という自我があり、男性という構造体では、老人・中年男性・若い男性・少年・幼児などの自我があり、女性という構造体では、老女・中年女性・若い女性・少女・幼女などの自我がある。人間は、常に、構造体に所属して、自我を持して行動しているのである。さて、深層心理は、欲動に基づいて思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているが、欲動とは何か。欲動とは、深層心理に内在している四つの欲望である。欲動の第一の欲望が、自我を確保・存続・発展させたいという保身欲である。第二の欲望が、自我が他者に認められたいという承認欲である。第三の欲望が、自我で他者・物・現象という対象をを支配したいという支配欲である。第四の欲望が、自我と他者の心の交流を図りたいという共感欲である。深層心理は、自我の状態が欲動の四つの欲望のいずれかに応じたものであれば快楽が得られるので、自我の状態を欲動に応じたもにしようと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとするのである。さて、欲動の第一の欲望が自我を確保・存続・発展させたいという保身欲であるが、この欲望が、人間の基本的な欲望である。なぜならば、人間が人間たる所以は、人間は、常に、構造体に所属して、自我を持って行動しているということだからである。だから、人間は、離婚、退学、退職などを恐れるのである。いじめに加担するのは、仲間という構造体から離れたくないからである。欲動の第二の欲望が自我が他者に認められたいという承認欲であるが、深層心理は承認欲から常に自我を対他化している。自我の対他化とは自我が他者や他人からどのように思われているか推し量ることである。他者とは構造体内の人々であり、他人とは構造体外の人々である。人間は、常に、構造体で、自我が他者に認められたいという気持ちで暮らしている。家族という構造体では、子供が両親などから、学校という構造体では、生徒が教師や同級生などから、会社という構造体では、社員が上司や同僚などから認められたいと思って行動しているのである。だから、この欲望が裏切られた時、深層心理は、心を傷つけた相手に対して、憎悪の感情と復讐の行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。いじめに加担するのは、仲間から仲間として承認されたいからである。そして、いじめは常に秘密裏に行われるのは、それが露見すると、社会的に罰せられ、自我が承認されないからである。欲動の第三の欲望が自我で他者・物・現象などの対象を支配したいという支配欲であるが、深層心理は対象を志向性(見方・観点)で捉えている。それを対自化と言う。深層心理は、校長という自我で教諭や生徒を支配し、建設業者という自我で木材という対象を支配して家を建て、心理学者という自我で人間の心の動きを対象にして研究して支配して快楽を得るために思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、人間を動かそうとするのである。いじめは、仲間という構造体に所属している人たちが、仲間以外の人を困らせて快楽を得ようとする行為である。多数が一人と戦えば常に勝利し支配欲が満足させられるのである。仲間という構造体で一人の人間を支配できるから楽しいのである。欲動の第四の欲望が自我が他者と心の交流を図りたいという欲望であるが、深層心理は自我と他者の共感化という作用でこの欲望を満たそうとする。自我と他者の共感化とは、趣向性(好み)によって心の交流を図り、構造体を形成しようとすることである。深層心理は、心の交流を図って、仲間という構造体を作り、友人という自我を得るのである。深層心理は、心の交流を図って、カップルという構造体を作り、恋人という自我を得るのである。また、「呉越同舟」(仲の悪い者たちも、共通の敵が現れると、仲良くする。)も、自我と他者の共感化の現象である。自民党の総理大臣は、ロシア、中国、北朝鮮を日本の敵だと煽って、大衆の支持を得ようとするのである。いじめは、仲間が一団になっていじめという共同作業をすることによって共感欲が満足させられるから起こるのである。いじめが続くのは、仲間内の共感欲が満たされ続くからである。それでは、どのような場合に、いじめは起こるのか。それは、深層心理の趣向性(好み)に合わない人が構造体に存在する場合である。人間は、毎日のように、同じ構造体で暮らしていると、、必ず、趣向性(好み)に応じて、自分が好きな人、自分が嫌いな人、自分を好きな人、自分を嫌う人が出てくる。好きになった理由、嫌いになった理由は、親切にされた、助けてくれた、意地悪をされた、物を盗まれたというような明確なものは少ない。深層心理が、趣向性(好み)に応じて、好き人嫌いな人を決めるから、多くの人は、自分でも気付かないうちに好きになったり、嫌いになったりしているのである。自分が好きな人、自分を好きな人については、ストーカーにさえならなければ、問題はない。問題は、自分が嫌いな人、自分を嫌う人である。自分が相手を嫌いであることを、相手が気付けば、相手も自分を嫌いになる。相手が自分を嫌いであることを、自分が気付けば、自分も相手を嫌いになる。だから、片方が嫌いになれば、相互に嫌いになるのである。自分が相手を嫌いだと意識するようになると、相手の挨拶の仕方、話し方、笑い方、仕草、雰囲気、声、容貌、他者に対する態度など、全てが嫌いになってくる。「坊主憎ければ袈裟まで憎い」である。しかも、自分が相手を嫌いだと意識すると、それが自分の表情や行動に表れる。すると、相手も自分も嫌うようになる。とどのつまり、同じ構造体で、互いに、共に生活することが苦痛になってくる。互いに、その人がそばにいるだけで、攻撃を受け、心が傷付けられているような気がしてくる。自分が下位に追い落とされていくような気がしてくる。いつしか、その人が不倶戴天の敵になってしまう。しかし、嫌いという理由だけで、その人を構造体から放逐できない。また、自分自身が、現在の構造体を出たとしても、別の構造体に見つかるかわからない。たとえ、見つかってもなじめるか不安であるから、現在の構造体にとどまるしかない。そのようにしているうちに、深層心理が、嫌いな人に攻撃することを指令するようになる。深層心理は、嫌いな人をいじめ、困らせることで、自我が上位に立ち、苦痛から逃れようとするのである。ここで、小学生・中学生・高校生ならば、自分一人でいじめると反撃されるかも知れない。また、いじめが露見すると、周囲から顰蹙を買った上に、罰せられるかも知れない。そこで、友人たちを誘い、秘密裏に行うのである。自分には、仲間という構造体があり、共感化している友人たちがいるから、友人たちに加勢を求め、秘密裏にいじめを行うのである。友人たちも、仲間という構造体から放逐されるのが嫌だから、いじめに加担するのである。このように、いじめは、深層心理が生み出しているから無くなることはない。その都度、いじめの加害者を社会的に罰するしかない。また、いじめにあっている人は、訴えるしかない。人間の好き嫌いは、深層心理の趣向性によるものだから、意志という表層心理ではどうすることもできない。いじめられていることを告発して、いじめをしている人を罰してやめさせるしかない。人間が存在している限り、どこかで必ずいじめは発生する。確かに、いじめを訴えた被害者は、加害者と仲良くなれない。しかし、どれだけ話し合っても、いじめの加害者は、被害者を好きになることは無い。趣向性の問題だからである。話し合っても、趣向性は変わらない。そもそも、嫌いな人間とは話をしたくないものである。必要性もなく、快楽も得られないからである。
  




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