朱仙鎮は19日の露天床屋でお終いです。今日からは、開封の一部を紹介します。
実は、開封は2度目です。最初は1996年の秋頃に行きました。上海に最初に赴任したのは、1996年の2月ですが、赴任から半年程して漸く落ち着いて来て、出張ではなく、初めての自前の旅行で出かけました。開封が主目的ではなく、鄭州に行き、そこをベースに、東に向かって鄭州、西に向かって洛陽へ行きました。
開封へは鄭州から日帰りで行きました。鄭州の空港は現在の空港ではなく、市街地に近いところにありました。高速道路は、鄭州から洛陽は既にありましたが、鄭州から開封はありませんでした。田舎道を天津で造られたシャレードのタクシーでとことこ行ったことを憶えています。その時、開封はさびれた街でした。当時は、中心地にある龍亭公園と西北にある鉄塔にいけばお終いでした。
それから十数年経過して、今回は上海から動車組で開封に乗り込みました。開封も大変貌を遂げていました。まず開封の市街図です。城壁は昔のまま全周残っています。現在の市街地は城内だけで開封は収まらず、東西、南の城外へ発展しています。
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実は、開封は2度目です。最初は1996年の秋頃に行きました。上海に最初に赴任したのは、1996年の2月ですが、赴任から半年程して漸く落ち着いて来て、出張ではなく、初めての自前の旅行で出かけました。開封が主目的ではなく、鄭州に行き、そこをベースに、東に向かって鄭州、西に向かって洛陽へ行きました。
開封へは鄭州から日帰りで行きました。鄭州の空港は現在の空港ではなく、市街地に近いところにありました。高速道路は、鄭州から洛陽は既にありましたが、鄭州から開封はありませんでした。田舎道を天津で造られたシャレードのタクシーでとことこ行ったことを憶えています。その時、開封はさびれた街でした。当時は、中心地にある龍亭公園と西北にある鉄塔にいけばお終いでした。
それから十数年経過して、今回は上海から動車組で開封に乗り込みました。開封も大変貌を遂げていました。まず開封の市街図です。城壁は昔のまま全周残っています。現在の市街地は城内だけで開封は収まらず、東西、南の城外へ発展しています。
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