おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

約束の旅路

2021-12-20 08:16:08 | 映画
「約束の旅路」 2005年 フランス


監督 ラデュ・ミヘイレアニュ
出演 ヤエル・アベカシス
ロシュディ・ゼム
モシェ・アガザイ
モシェ・アベベ
シラク・M・サバハ

ストーリー
エチオピアの山中にファラシャと呼ばれるユダヤの民が古代より暮していた。
彼らは太古の昔から、聖地エルサレムへの帰還を夢みていた。
そして1984年、イスラエル情報機関モサドによって、エチオピアのユダヤ人だけを救出しイスラエルへ移送するという「モーセ作戦」が実行される。
スーダンの難民キャンプにある母子がいて、キリスト教徒の母親はエチオピア系のユダヤ人だけがイスラエルに脱出できることを知り、9歳の息子をユダヤ人と偽り、イスラエルへの飛行機に乗せた。
イスラエルで少年は偽りの母ハナの助けで入国が許され、シュロモという名をもらう。
しかし、ハナは病に倒れシュロモを残して逝ってしまい、シュロモはヤエルとヨラム夫婦の養子となった。
差別に対するファラシャの抗議運動がテレビで報道された。
シュロモはそこで知った宗教指導者のケス・アムーラに会いに行く。
時は数年後、シュロモはテレビでアフリカの干ばつを知り、実の母を捜しにアフリカに行きたいとケスに訴える。
真実を隠して生きることに苛立ち、荒れるシュロモはケスに告白した。「僕はユダヤ人じゃない」。
ケスは言った。お前の母は、お前を愛すればこそ、ここへ送ったのだと。
やがて、シュロモはパリに行って勉強し、医師になることを決意した。
1993年、シュロモはパリで卒業証書を受け取り帰国しようとするが、ケスに止められる。
ユダヤ人と偽ったエチオピア人が訴えられ、大問題になっていると。
養母のヤエルはずっと彼を待っていたサラとの結婚をシュロモに勧める。
ケスは真実をサラに告げるよう促すが、シュロモはためらっていた……。


寸評
モーセ作戦なるものがなぜ行われたのかを語るには3000年を遡らねばならないだろう。
史実なのか伝承なのかは知らないが、紀元前10世紀ごろにユダヤを繁栄に導いたソロモン王のもとを、エチオピアのシバの女王が表敬訪問し、シバの女王はエチオピアへ帰国後にソロモン王の息子を出産したというのだ。
その伝承により、エチオピアには自分たちはソロモン王とシバの女王の間に出来た息子の子孫であり、正統なユダヤ人の血をひくものだと主張する人たちがいて、外見は他のエチオピア人と変わらないが自分たちはユダヤ人だという人たちが存在していたらしい。
イスラエルは、このエチオピアのユダヤ人にイスラエル国籍を与える政策を実施して実行されたのがモーセ作戦だったのだ。
エチオピアのユダヤ人であるファラシャをエチオピアから隣国のスーダンの難民キャンプへ脱出させ、そこからイスラエルへ移送するというもので、映画もそこを発端としている。
更に複雑なのは、少年の母親がユダヤ教信者ではなくキリスト教信者であったことだ。
僕はこのような映画を見ると、いつも日本人でよかったと思うのだ。
日本人である僕にここで描かれたようなことが起きることはないであろう。
この物語が国境を越えた人類愛と親子の絆を描いていることは理解できるのだが、、シュロモが体験する差別や苦悩を心底から分かち合えるかと問われれば、僕はやはり首をかしげてしまうだろう。
エチオピア人であることがなぜいけないのか、キリスト教徒であることがなぜいけないのか。
本当のことを言えないシュロモの苦悩を分からない僕は幸せな国に生まれたのだと思えるのだ。
大抵の日本人は生まれると神社神道の宮参りを行い、キリスト教で結婚式を挙げ、仏教で葬儀を行うような宗教観で、宗教紛争が存在しない中で生きている。
神も仏も姿を変えてそれぞれの国に現れているだけなのだと言う解釈を生み出した日本人の知恵である。
僕には理解できないことなのだが、民族と宗教の壁は厚いと感じる事は出来る。

シェロモには4人の母がいる。
一人は息子を救うために、「行け、生きて生まれ変われ、そして何かになれ」と息子を突き放つ実母である。
二人目は難民キャンプでシュロモを預かりイスラエルに送り届けて死んでしまうエチオピア系ユダヤ人ハナだ。
三人目は、白人家族でありながらシュロモを愛し育てる養母のヤエルで、四人目がシュロモとの子供の母となるサラである。
それぞれの母は慈愛に満ちている。
不幸に見えるシュロモは、実はサラが言うようにたくさんの母に愛されてきたのだ。
母はシュロモをユダ人と偽らせイスラエルへ脱出させ自分は難民キャンプに残る。
ハナは赤の他人の子供を自分の子供として預かり、ユダヤ人としての最低限の知識を与えて死んでいく。
シュロモを養子にしたヤエルがシュロモに寄せる愛情は実の母親以上だ。
それでもシュロモは感謝しながらもヤエルをママと呼ぶことはない。
シュロモにとっては母たった一人なのだが、頼る相手はヤエルしかいない。
サラは両親も兄弟も捨ててシュロモと一緒になった理解者だが、たった一つの約束を願い出る。
その願いとは、自分と生まれてくる子供を捨てないでほしいという事だっただろう。


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