おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

キリング・フィールド

2019-04-19 10:41:50 | 映画
「キリング・フィールド」 1984年 イギリス


監督 ローランド・ジョフィ
出演 サム・ウォーターストン ハイン・S・ニョール
   ジョン・マルコヴィッチ ジュリアン・サンズ
   クレイグ・T・ネルソン ビル・パターソン
   スポルディング・グレイ グレアム・ケネディ
   パトリック・マラハイド ネル・キャンベル

ストーリー
1973年8月。ニューヨーク・タイムズの汽車シドニー・シャンバーグは、特派員としてカンボジアの首都プノンペンに来た。
当時のカンボジアはアメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力、クメール・ルージュとの闘いが表面化した時期でもあった。
カンボジア人のディス・プランが、現地で彼の通訳・ガイドとして仕事を助けてくれることになった。
翌74年に入って、革命派のプノンペン進攻は目前に迫った。
外国人や政府関係者は、必死に国外へ出ようとかけずりまわり、プランの家族も、シャンバーグの手を借りて、無事にアメリカへ旅立った。
同年4月、プノンペン解放、ロン・ノル政権はついに崩壊、新しくクメール・ルージュを率いるポル・ポト政権が誕生した。
シャンバーグ、プラン、そしてアメリカ人キャメラマンのロックオフ、イギリス人記者のジョン・スウェインは、最後の避難所であるフランス大使館へと逃げ込むが、やがて、カンボジア人であるプランだけが、クメール・ルージュに引き立てられ、どこかへ連行されていってしまう。
ニューヨークに戻ったシャンバークは、プランの身を案じながらも、カンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を受賞したが、ロックオフがシャンバーグを訪れ「あの賞が欲しくてプランを脱出させなかったんだな」となじる。
その頃、プランは、過去の身分を隠し、クメール・ルージュの監視下で労働していた。
やがて、辛くも脱走したプランは累々たる屍を踏み越えてタイの難民キャンプにたどりついた。


寸評
前半はドキュメンタリー風に描かれ、後半になって一気にドラマ性を帯びてくる構成がいい。
前半部における内戦の様子と悲惨な映像は、いったいどうやって撮影したのかと思わせるぐらいの真実味で迫ってくる。
プノンペンでの混乱ぶりの描写は迫力が有って、その現状を見せられると戦場カメラマンなどと自ら名乗ってテレビに登場する人などはマユツバに思えてくる。
その極限状態でアメリカ人ジャーナリストのシドニーと現地人助手プランとの友情がはぐくまれていき、プランは自分もジャーナリストだとの意識を持ち始める。
しかし、プランがシドニーのことを思っているのに対して、シドニーはスクープのことを思っているという二人の関係が微妙で、それがまた映画に深みを帯びさせている。
そのことは後日、同じジャーナリストのロックオフからも指摘されることになり、シドニーの心の傷にもなっているのだが、そのことをくどくどと描いていないので、この映画の焦点をぼけさせず、むしろラストの感動をもたらしていると思う。

凄まじいのは強制労働に従事させられているプランが脱走し戦禍の大地をさまようシーンと、それに至るまでの虐殺シーンだ。
ここに描かれたジャーナリストたちがあのような行動を本当にとったのかどうかは疑わしいところもあるが、しかし彼らの努力によって300万人を虐殺したと言われるポル・ポト政権の理不尽な行為が映像化されるに至っていると思う。
その虐殺ぶりとは、無抵抗な人間をいとも簡単に撃ち殺してしまう麻痺性なのだ。
そして知識階級もどんどん処刑されていき、前政権に毒されていない子供こそが絶対だとして、子供をリーダー化してしまうなどと、実に狂気じみていることだ。
20世紀の後半になってもポル・ポト政権の様な社会が存在したことが信じられない。
僕たちはポル・ポト政権がどんなにひどい政権だったかを知っている。
クメール・ルージュについての背景説明がほとんどないし、ポル・ポト政権による殺戮と文明破壊の実態は十分に描ききれているとは思えないが、それは我々の知識に委ねているのかもしれない。
あくまでもアメリカ人記者と現地人助手の絆がメイン・テーマだったのだと思う。

偽造パスポートの一件、「ドイツ車NO1」のエピソード、プランがフランス語や英語を理解するのではないかと疑われカマを掛けられるところなど、ドラマ性も持たせているのでお堅い作品ながら十分に楽しめる出来栄えだ。

ラストシーン。
「許してくれ」とシドニー。
「許すことなどないよ」とプラン。
抱き合う二人をカーラジオから流れるジョン・レノンの“イマジン”が優しくつつみ込んでいた。


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