おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

いそしぎ

2023-08-06 07:29:26 | 映画
「いそしぎ」 1965年 アメリカ


監督 ヴィンセント・ミネリ
出演 エリザベス・テイラー リチャード・バートン
   エヴァ・マリー・セイント チャールズ・ブロンソン
   ロバート・ウェッバー ジェームズ・エドワーズ
   トリン・サッチャー トム・ドレイク

ストーリー
カリフォルニア海岸に建てられた一軒家に、無名の画家ローラ(エリザベス・テイラー)と9歳になる息子ダニー(モーガン・メイソン)が、世間に煩わされることなく自由な生活を送っていた。
ところがある日、ダニーはなかば強制的にミッション・スクールに入れられることになった。
宗教家の校長エドワード(リチャード・バートン)と、彼の妻クレアー(エヴァ・マリー・セイント)はダニーばかりでなく、世間知らずで自然児のような母親ローラをも教育する必要があると感じた。
そしてたびたびローラと接触するうち、エドワードは彼女の裸の人間性に強い魅力を感じるようになった。
ローラの過去はほとんど謎だった。
ただ学校の理事ヘンドリックス(ロバート・ウェバー)によると、彼女は不幸な恋愛のすえ、私生児ダニーを生み、彼の援助で美術学校に通ったのだという。
この頃、エドワードは、新しい礼拝堂を建てる計画を進めローラにも協力を求めた。
しかし彼女は、その建築費を貧しい子供たちの教育費につかった方がいいというのだった。
自ら無神論者だと言いきるローラの前で、エドワードの宗教観はくずれそうになった。
数日後、ありあまる自由を持ちながらも孤独だったローラは、訪ねてきたエドワードに身をまかせた。
罪の意識を失くした彼は、妻を偽り、傷いえたいそしぎが、大空をはばたくように、ローラと旅に出た。
2人の関係がそれとなくクレアーの知るところとなった。
思いあまったエドワードは真実を告白したが、むろん彼女は許すことができない。
一方、ローラにとっても自分たち二人だけのことを、妻といえども人に話したということは許せなかった。
学校を辞めたエドワードは、もう一度考えてみるというクレアーを残し、ひとり、旅に出た。
いそしぎの飛び交う海岸では、ローラが絵筆をとっていた。


寸評
エリザベス・テイラーは7人の相手と8回結婚しているのだが、結婚と離婚を繰り返す理由を聞かれたリズ(エリザベス・テイラーの愛称)は、「私にもさっぱり分からない」と答えているから、私生活の彼女の結婚観はここで描かれたようなものだったのかもしれない。
「いそしぎ」という映画のタイトルを聞いた時に同時に頭の中を巡るのは主題歌の Shadow of Your Smile というフレーズである。
僕はそもそもこの映画を見ていなかったのに主題歌のフレーズだけは耳に残っていたのである。
しかも耳に残っているのは、出だしのそのフレーズだけなのだ。
そう言えば、「ムーン・リバー」も「スタンド・バイ・ミー」もワンフレーズだけだな。
英語力のない僕は結局サビの部分だけしか覚えられないと言うことなのだろう。

リズとリチャード・バートンの共演作は「クレオパトラ」や「バージニア・ウルフなんかこわくない」など11本にも及んでいるのだが、この映画は二度結婚しているリチャード・バートンとの最初の結婚後初の共演作である。
私生活の話題を映画に持ち込んだような作品で、僕には描き方から二人に共感できる部分が少ない。
エドワードの妻クレアーを演じるエヴァ・マリー・セイントに同情してしまう。
クレアーは良妻だし、夫婦は理解しあっているようだし愛し合ってもいるようなのに、エドワードはローラに走ってしまうのである。
クレアーがローラと逢瀬を重ねるエドワードの行動に疑問を持たなかったのは、彼を完全に信頼していたのか、それともまったくの能天気な女性だったのか。
それでも、ローラは自分の21年間は何だったのかを見つめ直すと言っていて最後まで大人だ。

ローラの子供のダニーと言う少年が登場するのだが、彼は母親によって教育されている。
カンタベリー物語を暗唱するくらいで、国語と歴史に関しては抜きん出ているらしいのだが、母親に溺愛されている割には重要な役割を担っていない。
ダニーはローラとエドワードが次第に惹かれ合うようになっていくという流れを生み出すための、きっかけとなる道具にしかなっていない。
つまりこの映画の主題はローラとエドワードの不倫の恋を描くことなのだが、その内容が甘ったるい昼メロに陥ってしまっていて深みがない。

ローラにダニーという一人息子があること、エドワードにはクレアーという立派な妻がいること、またエドワードが牧師と言う聖職者であることなどが、二人の感情の障害として一向に感じられないのだ。
ローラとエドワードのアツアツぶりを延々と見せられるだけで、チャールズ・ブロンソンのコスなども恋敵としての存在感がない。
傷ついた"いそしぎ"の傷が治り大空へ飛び立っていくように、それぞれが傷を負いながらも新たな人生に踏み出すということなのだろうが、それぞれの決断がイマイチ伝わってこなかったなあ・・・。
リズが出ていなかったらどのような評価を受けていたのだろうと思ってしまう。