おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

海辺のリア

2023-08-28 06:27:18 | 映画
「海辺のリア」 2016年 日本

                 
監督 小林政広                 
出演 仲代達矢 黒木華 原田美枝子 阿部寛 小林薫

ストーリー
舞台に映画にと役者として半世紀以上活躍し俳優養成所を主宰する往年のスター、桑畑兆吉(仲代達矢)。
芝居をこよなく愛した彼も今や認知症の疑いがかかり、長女の由紀子(原田美枝子)とその夫であり兆吉の弟子だった行男(阿部寛)、さらに由紀子の愛人である運転手(小林薫)に遺書を書かされた挙句に高級老人ホームへ送られる。
しかし、ある日、兆吉は日施設を脱走する。
シルクのパジャマの上にコートを羽織った姿でスーツケースを引きずりながら、なにかに導かれるように海辺をあてもなくさまよい歩く。
すると、妻以外の女に産ませた娘・伸子(黒木華)と突然の再会を果たす。
兆吉に、は私生児を産んだ伸子を許せず、家から追い出した過去があった。
そんな伸子に、シェイクスピア作の悲劇「リア王」に登場するリアの末娘・コーディリアを重ねる兆吉。
兆吉の身にも「リア王」の狂気が乗り移る。
かつての記憶が溢れ出したとき、兆吉の心に人生最後の輝きが宿る・・・。


寸評
題名が示す通り、ウィリアム・シェイクスピアの「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」と並び四大悲劇と称させる「リア王」がモチーフとなっている。
作中でも語られるように、黒木華が演じる伸子は「リア王」における末娘のコーディリアが割り当てられている。
「リア王」における三女のコーディリアはリアに疎まれてフランス王妃に出されていたが、二人の娘に裏切られたリアを助けるため、フランス軍とともに英国に上陸するが、フランス軍は敗れ、コーディリアは捕虜となり獄中で殺されている。
一方の伸子は兆吉の正妻の子ではなく、さらに私生児をなしたことで兆吉と正妻の子である由紀子に家を追い出された過去を持つ境遇である。
娘に夫が絡んで父親をないがしろにするのは同じだが、ここではその娘は原田美枝子の由紀子だけである。
不倫相手の運転手・小林薫に悪女とつぶやかれるが、その悪女ぶりは極端なものではない。
やっていることは、遺書を書かせて老人ホームに放り込んで見捨てるというアクドイものなのだが、その経緯が描かれていないので僕は原田美枝子に悪い女としての感情移入が出来なかった。
その夫の阿部寛も結局は義父を裏切ることになるのだが、その苦悩もあまり伝わってこなかった。
義父の名は桑畑兆吉と言い、兆吉が「俺は黒澤さんの用心棒で三船さんが名乗る前から桑畑だったんだ」と叫んでいたのは楽屋オチ的で面白かった。
これは「用心棒」における主人公の三船が名前を尋ねられ、目の前に広がる桑の畑をみて「桑畑三十郎、もうすぐ四十郎だがな」とつぶやくことを指している。
もちろん「用心棒」における相手役は仲代達矢であった。
リア王の焼き直しなら、僕は同じ仲代達矢でも黒澤の「乱」の方がしっくりきた。

本作は中身がどうこう言うよりも、役者仲達矢の一人芝居的要素が強い。
黒木華、原田美枝子、小林薫、阿部寛といったビッグネームが果たして必要だったのかとさえ思ってしまう。
これは野外で行われた演劇なのだという印象を受けた作品だ。
とにかくカメラは動かない。
どっしりと正面に構え、パンすることはない。
役者はカメラに向かって走って来て、画面の左側へフレームアウトとしていくのだが、その間もカメラは正面に据えたまま動かない。
千里浜海岸で兆吉と伸子が語り合う場面なども、まるで舞台のセットを見るような構図で圧倒された。
その構図の中で二人が芝居を続ける。
この作品で一番存在感と雰囲気を出していたのは伸子の黒木華だったと思う。
動かぬカメラの前で認知症の兆吉を演じる仲代達矢が、フレームの端から端までを使って演技するのだが、フレームからはみ出すことはない。
その計算された動きに僕は感心した。
感心したもう一つは役者・仲代達矢の認知症によるボケ演技の滑稽さだ。
劇場を出る時にはその認知症としてのリアル感のない滑稽な演技しか印象に残っていなかった。

兆吉は最後で「私に、思い出などいらないのです。皆さんの中に、私の思いでさえあれば・・・」というが、いい作品を残せた俳優さんは幸せだ。
作品を見て皆がその人の生前をしのぶ。
限られた人たちだけでもいいから、自分もそんな人間でありたいと思う。
そして自分が認知症になっても、最後にあんな大芝居が打てたらいいなと、変な憧れを抱いた。