おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

あこがれ

2022-01-30 10:20:34 | 映画
「あこがれ」 1966年 日本


監督 恩地日出夫
出演 内藤洋子 田村亮 林寛子 沢井正延
   新珠三千代 小夜福子 加東大介
   賀原夏子 小沢昭一 乙羽信子
   沢村貞子 小栗一也

ストーリー
母親が再婚するため「あかつき子供園」に預けられた一郎(田村亮)は、平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われ、立派な若旦那に成長した。
しかも、“貰い子”とも思われないような親子仲の良い家庭で、両親は一郎の嫁探しで懸命であった。
一郎が十九歳になった信子(内藤洋子)と再会したのは、ちょうど、このような時期であった。
信子も「あかつき子供園」の出身で、一郎とは特に仲の良い子供であった。
幼い頃を懐しむ二人は、子供園を訪れ、二人の親代りともいうべき先生水原園子(新珠三千代)に逢い、楽しい一時を持った。
信子には酒飲みの父親恒吉(小沢昭一)がいて、信子の勤め先に現われては前借りをして行くので信子は勤め先を転々と変り、いま平塚に流れて来たということだった。
毎日のように逢う二人はいつしか愛し合うようになった。
しかも一郎は、信子との結婚を決意、そのことを両親に打開けたが父親の怒りを買った。
それを知った信子は、一郎の家庭を思い、勤め先を平塚から横浜に変え、一郎のもとを去った。
一郎の悩む姿に母親(賀原夏子)は“もう一人の子供が出来たと思えば…”と父親(加東大介)をといた。
そんな時「あかつき子供園」に一郎の生みの母親すえ(乙羽信子)が訪ねて来た。
再婚した先の家族と共にブラジル移民で出発することを告げに来たのだ。
園子からこの知らせを聞いた一郎の両親は、逢うことを遠慮する一郎を励ます。
園子はまた横浜にいる信子にもこの事を知らせた。
出発間際の桟橋で、一郎はやっと船の上から一郎を探すすえを見つけた。
“一郎ッ”“お母さん”と呼び合う親子を包むテープの嵐--そこへ信子も園子先生もかけつけた。


寸評
内藤洋子は1960年代後半の東宝の青春路線で一世風靡していたオデコが印象的な清純派で、この映画が初主演映画である。
映画デビュー作はあの黒澤明の「赤ひげ」だった。
僕は彼女の歌う「白馬のルンナ/雨の日には」というシングル盤のレコードを持っていた。
思春期の僕には、甘ったるくチャーミングな歌い方がくすぐったくなってくるレコードだった。
娘さんは喜多嶋舞さんで、どちらも中途半端な女優さんで終わってしまったが、少なくとも母親の内藤洋子は一時期人気を博したことだけは確かだ。

施設で育った若い二人の純愛物語だが、同時に父と娘、母と息子の親子の物語でもある。
内藤洋子は日雇いの現場を歩く父親・小沢昭一の元で育ち、小さいころを保育園で育った。
母親はどうなったのかは分からないが、この父親はどうしようもない父親で内藤洋子の足手まといとなっている。
施設に預ける時には愛情のひとかけらも感じさせないし、大きくなってからは娘に金をせびりに来る父親である。
ぐうたら親父を演じる小沢昭一は適役だが、内藤洋子はこの父親を捨てきれない。
父親は工事現場を渡り歩いているが、娘は父親の行く先々で働き口を見つけてついていっているのである。
一方の田村亮は実の親とは音信がない。
しかし立派な陶器屋にもらわれ、加東大介と賀原夏子の夫婦に実の息子以上の愛情で育てられている。
一方は実の親と交流を持ちながら不遇な生活を送っている女性、一方は不自由のない生活ながら実の親とは疎遠な男性と言う構図である。

加藤大介は息子可愛さで立派な嫁をと高望みをしているので、内藤洋子との付き合いには反対である。
田村亮は自分の気持ちと、育ててもらった恩義のある育ての親との間で悩むが、お世話になった施設の先生・新珠三千代は育ててくれた親の気持ちを考えて内藤洋子を諦めろと助言する。
理不尽だが、至極まっとうな意見に思える。
その中で、内藤洋子は中華屋の出前持ちだったり、食堂のウェイトレスだったりするのだが、当時の若い娘と等身大という感じがするし、若い二人が属している社会状況も当時としては珍しくはなかったと思われる。

内藤洋子と田村亮の映画なのだが、よくできてると思えるシーンは乙羽信子が保育園にきて、新珠三千代と園長の小夜福子を交えて三人で話をするシーンだ。
三人の心の微妙な変化がわかるいいシーンとなっている。
当初園長は今更息子に会いに来た母親を迷惑がっていたのだが、母親の真の気持ちを知り思いが変わる。
新珠三千代は親の愛情を知り、この後の言動が支離滅裂となっていく。
乙羽信子は息子の幸せを確認するだけで満足し、思い出の品として田村亮の店でティカップを買ってブラジルに旅立っていく。
泣ける。
タイトルの「あこがれ」だが、何に対するあこがれだったのだろう。
内藤洋子は田村亮を諦めたのではなかったのか?