おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

哀愁

2022-01-16 08:39:48 | 映画
「哀愁」 1940年 アメリカ


監督 マーヴィン・ルロイ
出演 ヴィヴィアン・リー
   ロバート・テイラー
   マリア・オースペンスカヤ
   ルシル・ワトソン
   ヴァージニア・フィールド
   レオ・G・キャロル

ストーリー
1939年9月3日、イギリスがドイツへ宣戦布告した英独開戦の日。
ロイ・クローニン大佐はフランスへ赴くことになり、駅へ車で向かう途中で彼はウォータールー橋へ立ち寄る。
その手には幸運のお守り人形があった。
ロイはその人形を見つめ、彼がまだ大尉であった時に出会ったあるバレエの踊り子の事を思い出していた。
それは1917年、彼は25歳の陸軍大尉であった。
ロイはスコットランドの旧家クローニン家に生まれ、戦野へ出征の途上のロンドンで閑暇を楽しんでいた。
折しも空襲のサイレンが鳴り人々はウォータールー駅の避難所へ駆け出し、中の1人の女が何か落とした。
大尉は手助けをして彼女と共に避難するが、まだ女学生と見える彼女はマイラと名乗った。
マイラはオルガ・キローワ・バレエ団のダンサーだった。
ロイは彼女の舞台を見物すると、夜食に誘ったのであるが、厳格なキローワ女史はマイラに行くことを禁じた。
しかし彼女は親友のキティの助けでぬけ出して大尉と会った。
翌日彼はマイラを訪ねて結婚を申込み、その次の日式を挙げる約束が出来た。
ところがその晩、彼女に出発命令が下ったから直ぐ立つので会いたいというロイからの連絡が入った。
マイラは飛出して駅へかけつけたが走り行く車上に立つロイの姿をチラと見ただけであった。
劇場に急いでもどると、舞台に穴をあけたというのでキローワ女史はクビを申し渡し、マイラの弁護をしたキティも諸共クビになった。


寸評
冒頭で大佐となったロイがまだ大尉だったころのことをお守り人形を眺めながら思い起こすのだが、このお守りというのが何と大阪・通天閣の守り神ビリケンさんではないか。
何で通天閣のビリケンがとおもったのだが、考えてみればそもそもビリケンはフローレンス・プレッツによってデザインされたものなのだから、あちらが本家なのだがビリケンと言えば僕はすぐに通天閣を思い浮かべてしまう。

ロイの思いにかぶせて「ずっとあなたを愛し続ける」というマイラの声が聞こえる。
そこでの言葉は、後ほどクラブでロイに語り掛けたものであることがわかり、その時には冒頭のシーンが蘇り感動を新たにさせる組み立てである。
悲恋ではあるが、そのように非常にロマンチックな作品だ。
偶然の出会いで二人が恋に落ちてしまい、たった一日で結婚を決意すると言う信じられないような展開なのだが、ロマンチックな雰囲気はそんな疑問も吹き飛ばしてしまう。
ビビアン・リーは「風と共に去りぬ」の スカーレット・オハラと違って、ここでは一途にロイを愛し続ける。
ロマンチックな恋物語には必ず障害がある。
それは両親の反対であったり、借金がらみで言い寄る嫌な男であったり、封建的なしきたりであったりする。
ここではその役目をマダムのキーロワ女子が負っている。
なにせこのマダム、団員を奴隷のように扱う暴君の様でマイラの自由を束縛する。
実に嫌なオバサンが前半における邪魔者として憎らしい演技を見せている。
マイラの恋を手助けするのが親友のキティで、ロイとマイラの愛情と同様に二人の友情も固いものがある。
オバサンに食って掛かる場面には溜飲が下がる。

ロイの死亡記事を見てからが第2幕といった感じで、マイラの苦しい生活が始まる。
第2幕の始まりに当たるロイの死亡記事を見て、ロイの母親と出会うシーンはなかなかいい。
新聞を隠して呆然とするマイラと母親の間に生じる気まずい雰囲気が映画的には何とも言えず切ない。
生活に困ったキティが娼婦となって金を稼ぎ、それを知ったマイラも娼婦となるのだが、娼婦の二人による客との濃密なシーンはない。
ロマンチックな物語だけに、そのような下世話なシーンは排除しているのだろう。
再会して結ばれそうな二人だが、家の格式とか母親の優しい気遣いによってマイラはロイとの結婚を諦めるのだが、僕は別の原因を想像していた。
それは婚約披露のパーティにマイラの客であった将校が参加していて、マイラがやっていた商売を気付かれるという展開である。
年配の将校が妻にバレるのを恐れて黙っているが、マイラは隠しおおせないことだと去っていくという筋立てを想像したのだった。
いづれにせよマイラは命を絶つが、過去を思い出すロイはマイラを想って独身を通していたのだろうか。
結婚していたとしても、マイラを思い続けているロイの気持ちはわかるような気がする。
涙は流れなかったが、悲恋物としてウットリしてしまう作品となっている。
ロッド・テイラーよりも、男の僕にとってはやはりビビアン・リーだな。冒頭で大佐となったロイがまだ大尉だったころのことをお守り人形を眺めながら思い起こすのだが、このお守りというのが何と大阪・通天閣の守り神ビリケンさんではないか。
何で通天閣のビリケンがとおもったのだが、考えてみればそもそもビリケンはフローレンス・プレッツによってデザインされたものなのだから、あちらが本家なのだがビリケンと言えば僕はすぐに通天閣を思い浮かべてしまう。

ロイの思いにかぶせて「ずっとあなたを愛し続ける」というマイラの声が聞こえる。
そこでの言葉は、後ほどクラブでロイに語り掛けたものであることがわかり、その時には冒頭のシーンが蘇り感動を新たにさせる組み立てである。
悲恋ではあるが、そのように非常にロマンチックな作品だ。
偶然の出会いで二人が恋に落ちてしまい、たった一日で結婚を決意すると言う信じられないような展開なのだが、ロマンチックな雰囲気はそんな疑問も吹き飛ばしてしまう。
ビビアン・リーは「風と共に去りぬ」の スカーレット・オハラと違って、ここでは一途にロイを愛し続ける。
ロマンチックな恋物語には必ず障害がある。
それは両親の反対であったり、借金がらみで言い寄る嫌な男であったり、封建的なしきたりであったりする。
ここではその役目をマダムのキーロワ女子が負っている。
なにせこのマダム、団員を奴隷のように扱う暴君の様でマイラの自由を束縛する。
実に嫌なオバサンが前半における邪魔者として憎らしい演技を見せている。
マイラの恋を手助けするのが親友のキティで、ロイとマイラの愛情と同様に二人の友情も固いものがある。
オバサンに食って掛かる場面には溜飲が下がる。

ロイの死亡記事を見てからが第2幕といった感じで、マイラの苦しい生活が始まる。
第2幕の始まりに当たるロイの死亡記事を見て、ロイの母親と出会うシーンはなかなかいい。
新聞を隠して呆然とするマイラと母親の間に生じる気まずい雰囲気が映画的には何とも言えず切ない。
生活に困ったキティが娼婦となって金を稼ぎ、それを知ったマイラも娼婦となるのだが、娼婦の二人による客との濃密なシーンはない。
ロマンチックな物語だけに、そのような下世話なシーンは排除しているのだろう。
再会して結ばれそうな二人だが、家の格式とか母親の優しい気遣いによってマイラはロイとの結婚を諦めるのだが、僕は別の原因を想像していた。
それは婚約披露のパーティにマイラの客であった将校が参加していて、マイラがやっていた商売を気付かれるという展開である。
年配の将校が妻にバレるのを恐れて黙っているが、マイラは隠しおおせないことだと去っていくという筋立てを想像したのだった。
いづれにせよマイラは命を絶つが、過去を思い出すロイはマイラを想って独身を通していたのだろうか。
結婚していたとしても、マイラを思い続けているロイの気持ちはわかるような気がする。
涙は流れなかったが、悲恋物としてウットリしてしまう作品となっている。
ロッド・テイラーよりも、男の僕にとってはやはりビビアン・リーだな。