おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

我等の生涯の最良の年

2022-01-13 08:23:29 | 映画
「我等の生涯の最良の年」 1946年 アメリカ


監督 ウィリアム・ワイラー
出演 フレデリック・マーチ
マーナ・ロイ
テレサ・ライト
ダナ・アンドリュース
ヴァージニア・メイヨ
キャシー・オドネル

ストーリー
軍用輸送機B17に乗り合わせた中年の銀行員だった元歩兵軍曹アル、元青年飛行大尉だったフレッド、両手に鉄のカギのついた義手を持つ若い元水兵のホーマーの復員兵三人は同じ故郷の町の飛行場に着く。
ホーマーは両親と妹と恋人のウイルマに迎えられたが、彼の義手を見た母は泣き出してしまう。
アルは妻ミリーが相変わらず女盛りの美しさであるのがうれしかった。
4年前に少女だった娘ペギーが美しい一人前の女となり、息子ロブも生意気な青年になっていたのが、何かしら勝手の違った感じで、その気持ちを精算するために、彼は妻と娘をつれてナイトクラブへ出かれる。
フレッドを迎えたのはアルコール中毒の父と自堕落な継母で、新婚3週目に袂を分かったマリーは家出してナイトクラブで働いているというので、彼はあてもなく妻を探しに飛び出す。
アルが妻と娘を伴ってプッチの酒場へ二次会として乗込むと、マリーを探しあぐねたフレッドが居て、やがてはれ物にさわるみたいに両親が気を使うので逆に堪らなくなったホーマーが来合わせる。
酔っているアルは二人の戦友を歓迎して大酒盛を始め、ついに彼とフレッドはのびてしまう。
ミリーたちは酔いどれ二人をアパートへ連れ帰り、正体もないフレッドをペギーの寝室に寝かせ、ペギーは客間のソファーに眠る。
ペギーの心使いを翌朝フレッドは感謝し、二人は好意以上の気持ちがわくのを感じる。
その日彼はマリーを下等なアパートで探し出したが、ペギーのやさしさに比べると教養のない、はしたなさと見苦しさが目立ち、二人の間に愛情がないことが感じられるようになる。
アルは銀行に復職し、副頭取に昇進して復員兵相手の貸付主任となったが、銀行の営利主義には腹立たしい気持ちをおさえきれない。
ホーマーは障害の身にひけ目を感じ、ウイルマの変わらぬ愛情もあわれみと解するほど、心がひがんで来る。


寸評
戦後すぐに撮られた作品で、日本との戦いを終えた復員兵三人を通じて、アメリカが抱えた戦後問題がソフトタッチで描かれている。
ソフトな描かれ方は太平洋戦争がアメリカの完勝で終わった為だと僕は思う。
彼らが復員した故郷の様子は戦勝国そのもので、この時期に日本映画が復員兵を描けば、町の様子はまったく違った風景だっただろう。
アルは無事復職を果たしたばかりか昇進もするのだが、子供たちの成長に戸惑い、戦争体験から自分の仕事の在り方に悩む。
フレッドは戦時中のトラウマに悩まされ、長い兵役の為に新婚間もなかった妻との関係はおかしくなっている。
ホーマーは両手首を失った傷痍軍人で周囲の人と元通りの関係が築けないでいる。
それぞれの役柄は戦後のアメリカに存在したであろう人々の代表でもある。
アルは「ジャップ」という差別用語を口にし、戦利品の日本刀と寄せ書きがある日章旗を息子にプレゼントする。
同時に息子のロブに「日本人は家族の絆を大切にすると聞いた」とか、「原爆投下による放射能が広島に与えた影響はどうだったのか」と日本擁護と思えることを代弁させて度量の広さを見せている。
アルのもとに融資を頼みに来た復員兵は、どの島も似たようなもので退屈だったが硫黄島だけは別だったというようなことを言っていたが、激戦で多くの米兵が亡くなったことも忘れるなと言いたいのだろう。

フレッドに代表されるように当時のアメリカにおいては復員兵の就職問題は深刻だったのだろう。
政府と銀行の折半による貸付制度が行われていたようだが、アルは担保主義の貸付業務に疑問を感じる。
復員兵に担保などなく、その業務の矛盾を突くアルのスピーチが面白い。
「攻撃を命じた上官に安全の担保はあるかと聞いたところ、担保はないと言うので攻撃しなかったら、その戦いに負けた」というアメリカ人お得意のジョークだが、アルはウケを狙ったものではなく、アルに笑みはない。
復員兵への貸付制度運営に対する批判であろう。
アルは娘の父親としての姿も見せ、登場人物の中では一番多様な面をもつキャラクターだがフレデリック・マーチは巧みに演じている。
ホーマーは自分の身体的ハンデを気にして恋人のウィルマとの結婚をためらっているのだが、ウィルマは変わらぬ愛を注いでいる。
ウィルマは負傷して帰還した男性に対するアメリカ人女性の鏡的存在であったような気がする。
僕は、「アメリカ人女性よ、負傷兵にウォルマのような優し気持ちを注ぎなさい」と言っているように思えた。
その意味では啓蒙作品でもある。
フレッドの話はありそうな話ではあるが、この作品においてはアクセント的な役割を果たしている。
ペギーはフレッドとの関係において、「ずっと幸せな夫婦だったパパとママにはわかりっこない」と反撥した時に、母親でもあるミリーが「幸せな夫婦に見える自分達も結婚生活の中でこれまでに様々な問題を抱え、離婚寸前の関係を何度も修復してきた」と話すのだが、これなども夫婦生活とはそのような物なのだと言っているようで、母親から娘への叱咤激励だったと思う。
題名通り、最後は大、大ハッピーエンドで甘さを感じるが、終戦直後となればこのようなラストでなければならなかったであろうと思う。