猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

小さな粒。

2021年07月11日 09時48分58秒 | 猫たち

 

『すんごいバカ』で賢くて、好奇心旺盛だったちゃあこ。

まっすぐに相手に向き合うちゃあこ。

メダカ、見せてあげたかったな。

 

 

『ちゃあこの砂を踏んだ』

と思った。

 

思った、というより、

瞬時に脳が判断した、というか。

 

小さな何かの『かけら』を素足で踏んだとき。

 

私の足の裏と脳は、

ちゃあこがいた時と寸分違わず、

彼女が溢した猫砂だと判断したのだ。

 

21年間。

 

抱っこして話しかけて、

一緒に寝て...

 

『もうずいぶん、共に暮らしていた時と、

 暮らしも習慣も変わってしまったな』

 

と思っていたけれど。

 

変わらない。

 

愛しさも可愛さも悲しさも。

 

小さなかけらの正体は、

拾い上げてみても、

なんだかよくはわからなかったが。

 

落ちていたのは、

ちゃあこの爪研ぎのそば、

だったので、

もしかしたらちゃあこが落としたもの、

だったのかな。

 

だったらいいな。

 

 

ちゃあこを見送った直後。

『今捨てなければ、一生捨てられないだろう』と、

介護に使った布団とトイレを捨てた。

プーさんの毛布やご飯茶碗は、

まだ苦しくて苦しくて、見ることが出来ないが、

大切に引き出しにしまってある。

爪研ぎは、使い方を間違えているのが面白くって、

見ると単純に笑ってしまう、苦しさの、唯一少ないもの。

だから、目につく場所に置いてある。

あの、愛らしい肉球が、確かにこれに触れていたのだと。

 

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2 コメント

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Unknown (imgrimomgri)
2021-07-14 04:39:02
わたしにも愛犬がいました。亡くなった時に書いたブログです。ノンタンという名前の愛猫は病気で亡くなりました。老いや病気で苦しんだりしたのはあまり思い出したくないですね。

14日 8月 2008
今日8月13日18時にBOBBYが永眠しました。この庭に外構も庭木もなかった平成2年(91年)からBOBBYはこの庭の草木とともに成長しこの庭で18年の歳月を過ごしました。当時の庭は一面芝生でした、現在では雑木林のようになって木も大きくなりBOBBYにとってはたくさんの障害物ができましたが、数年前まではとても元気にその障害物を物凄いスピードで飛び越えたりかいくぐったりして走っていました。ネズミモチとヤツデとヒバの木の下が好きで、そこの土を掘り返してねぐらにしていました。休日にリビングで朝食を食べていると必ずそれを嗅ぎつけてと外からパンをおねだり。雨の日も風の日も、雪が降り積もった日も夏の日照りの日にも。土の中の幼虫をほじくり出して食べたり、庭にやってきたハトを捕まえてしまったこともあったかな。そういえばもっと若い時には雄犬がフェンスを越えて庭に侵入しBOBBYに求愛したこともあったな。庭にしたウンチに気づかず何度か靴で踏んでしまったり。郵便配達や新聞配達人にはかみつきそうな顔でよく吠えほんとうに番犬として十分な働きをしてくれました。夜遅く帰宅したときにはよほど不安だったのか特別な鳴き方でエサを求めたり。いろいろなことが思い出されます。そういえば岩湧寺の柴犬に襲われ血を出したこともあったよな。車で一緒に鳥取に帰省したことも何度もありました。単車で散歩に行ったこともあったかな。元気だったよな。身体が弱ってきてからは冬の強い風を防ぐため、犬小屋にユタンポをおいたり、目も見えなくなって後ろ足も弱って引きずるようになってからは小さな障害物にも躓いて転ぶと起き上がれなくなって何度ももがいていたよな。段差のある裏のガレージにいけないようにするためわざわざ通行止めのフェンスをつくったのはついこの間のこと。それでも食欲はあって毎日エサを食べていましたが8月になってからはもはやエサも食べなくなり庭で放し飼いもできず玄関内で横たわったままになりました。雨の大台ケ原の周遊コースをカッパを着せられずぶ濡れで2時間も歩いたこと。カンカン照りの伊吹山では傷を防ぐための襟まきを首に巻いて登山したこと。まだ幼かったとき金剛山の雪の上を嬉々として飛び回ったときのこと。もう老犬になってからだが二色の浜の砂浜をもたつきながら初めて海を散歩したこと。BOBBYは覚えてくれているのだろうか?
Unknown (erima)
2021-07-14 12:04:47
imgrimomgri様

楽しくて愛しい思い出がたくさんあるからこそ、病にある時の姿が脳裏から離れず苦しい。
果たしてちゃあこは幸せだったろうか?
彼女の保護者が私でなかったら、もしかしてもっと安らかに逝かせてあげられたのではないだろうかと、ずっとそればかり。
生きる者は皆、歳をとり、旅立つものとはわかっていても、自分の愛しい者には奇跡が起きて欲しいと願うものですね。

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