ときおり。
無性に腹がたってやりきれなくなることがある。
人として許せない人間が自分の親であるということは、とても切ないことだ。
私は冷たい人間だから、普段、母親とは関わらないようにしているが、それでも彼女の理不尽な要求は始終止むことがない。
「友達なんて面倒くさいだけだから作らない」
と言ってはその役割を我々に求め、
「私は人の嫌がることはしたくない」
と、他人には自分の言いたいことを何も言えずいい顔をし、我々には人間として許せないようなことを平気で言う。
「家族なんだから何を言ってもいいじゃないか!」
と、人の心を踏みにじる。
一生関わってゆく家族だからこそ、気を遣う事も、思いやりあう事も大切なのだと言い聞かせても理解しない。
夜中でも朝方でも昼間でも、人が寝ている時間と知ってて、電話をかけてきて愚痴る。
仕事の邪魔をする。
理不尽な要求をする。
昨夜は、彼女にしてはまだまだ軽いほうだが、勝手に夜食を共にすると決めて電話をかけてきて、私とゴンザがゴンザ実家で食事中であることを知ると、こう言い放った。
「なんだよ!私だけ置いてけぼりかよ!」
彼女は。
いつも自分の都合だけでものを考える。
妹が結婚を前提にした彼氏と同居生活を始めることも、ゴンザの嫁として私が生きる事も、彼女にとって都合が悪い時は腹のたつ出来事らしい。
私たち兄弟はみな、彼女に親らしく生きてくれと頼んだことは一度もないのに、彼女は一人の人間としてもきちんと生きられない。
そんなこと、ずっと前から知ってはいたが。
彼女にとっては。
悪い事はすべて他人のせい。
ある日突然子供を置いて家を出たことも。
男に金を貢ぐ事になったのも。
ギャンブルにはまって借金があるのも。
周囲に友人と呼べる人が一人もいないのも。
体の具合が悪いのも。
今、自分の人生がつまらないのも。
驚く事に。
彼女は電球ひとつ、自分で替えようとはしない。
我々が、すべてやるべきだと当然のように考えている。
まだ50代なのに、高速道路のSAでトイレから、駐車スペース1列目、15メートルの距離に停めた車まで、一人で戻ってこれない。
自分で場所を覚えておこうという気もない。
ゴンザが仕事明けに5時間運転して連れて行ってくれた花見も、半年後には忘れ「連れて行ってもらっていない!」と言い張る。
「ありがとう」と「ごめんね」という言葉を知らず、100Mも歩こうとしない。
我々の気を惹きたいばかりに救急車を呼んだり、入院した時などは、1人に頼めば済むことを、兄弟3人に同時に別々に言いつけ、小間使いのごとく扱う。
かといって。
1番気の強い私がキレればそのたび被害は妹や弟に及び、結局は心優しい彼らがワリを食う。
何より、逆ギレと愚痴、悪口は母の専売特許だからだ。
人は
「お母さんは寂しいのよ」
などというが、誰が寂しい人生を選んだのか。
どれだけの犠牲を払ってその人生を選んだのかと、私は思う。
まだ幼かった妹や弟は寂しくなかったと思うのか。
だからといって、私も彼らも、そのことを責めたりはしなかったのに。
私たちは。
子供の頃から。
彼ら.....
もう死んでしまった父に対して、ということも含めて。
親に甘い顔をしすぎたのだろうか。
「親である前に一人の男であり、女なのだから」
「大人には事情があるのだから」
などと、理解した顔をしすぎてしまったのか。
でなきゃ、家出前、家出後にそれぞれの元で言われた、何か都合の悪い事があるたびの、
「お前はあの女(母親)にそっくりだ」
「お前はオヤジにそっくりだ」
なんてセリフも出てこなかったわけだし。
彼らにとっては、都合の悪い事=人のせいなのだろう。
そういや、継母もよく
「あんたは子供を置いて出てゆくような母親の子だから」
なんて言ってたな。
近所の人や、友達の親も、よくそう言っていたが(笑)
妹は言った。
「幸せになれそうになると、そんなはずない、こんなに幸せでいいはずがない、って思う」
と。
確かに私もいつも同じ恐怖に付きまとわれている。
私の人生、こんなに平和で済むわけがない、と。
今までのことを考えると、そう思わざるを得ないのだ。
(詳細はカテゴリ「ルーツ」を辿ってくだされば)
そして.....。
幸せを疑う心が幸せを逃してしまう原因となってしまうのも知っている。
だからこそ、いつもは何も疑わず、私は幸せになれて当然だ、と思うようにし、妹にもそう言い聞かせ、実際自身もゴンザと幸せに暮らしているわけだけど。
母はいつも自分の都合だけでそれをぶち壊す。
私はないものねだりをしない主義だし、他人をうらやむようなことも滅多にしないが。
たまに.....
本当にたま~に。
やりきれなくなっちゃうのよね。
愚痴ですみません。
*明日は楽しくて可愛い記事だよん♪
無性に腹がたってやりきれなくなることがある。
人として許せない人間が自分の親であるということは、とても切ないことだ。
私は冷たい人間だから、普段、母親とは関わらないようにしているが、それでも彼女の理不尽な要求は始終止むことがない。
「友達なんて面倒くさいだけだから作らない」
と言ってはその役割を我々に求め、
「私は人の嫌がることはしたくない」
と、他人には自分の言いたいことを何も言えずいい顔をし、我々には人間として許せないようなことを平気で言う。
「家族なんだから何を言ってもいいじゃないか!」
と、人の心を踏みにじる。
一生関わってゆく家族だからこそ、気を遣う事も、思いやりあう事も大切なのだと言い聞かせても理解しない。
夜中でも朝方でも昼間でも、人が寝ている時間と知ってて、電話をかけてきて愚痴る。
仕事の邪魔をする。
理不尽な要求をする。
昨夜は、彼女にしてはまだまだ軽いほうだが、勝手に夜食を共にすると決めて電話をかけてきて、私とゴンザがゴンザ実家で食事中であることを知ると、こう言い放った。
「なんだよ!私だけ置いてけぼりかよ!」
彼女は。
いつも自分の都合だけでものを考える。
妹が結婚を前提にした彼氏と同居生活を始めることも、ゴンザの嫁として私が生きる事も、彼女にとって都合が悪い時は腹のたつ出来事らしい。
私たち兄弟はみな、彼女に親らしく生きてくれと頼んだことは一度もないのに、彼女は一人の人間としてもきちんと生きられない。
そんなこと、ずっと前から知ってはいたが。
彼女にとっては。
悪い事はすべて他人のせい。
ある日突然子供を置いて家を出たことも。
男に金を貢ぐ事になったのも。
ギャンブルにはまって借金があるのも。
周囲に友人と呼べる人が一人もいないのも。
体の具合が悪いのも。
今、自分の人生がつまらないのも。
驚く事に。
彼女は電球ひとつ、自分で替えようとはしない。
我々が、すべてやるべきだと当然のように考えている。
まだ50代なのに、高速道路のSAでトイレから、駐車スペース1列目、15メートルの距離に停めた車まで、一人で戻ってこれない。
自分で場所を覚えておこうという気もない。
ゴンザが仕事明けに5時間運転して連れて行ってくれた花見も、半年後には忘れ「連れて行ってもらっていない!」と言い張る。
「ありがとう」と「ごめんね」という言葉を知らず、100Mも歩こうとしない。
我々の気を惹きたいばかりに救急車を呼んだり、入院した時などは、1人に頼めば済むことを、兄弟3人に同時に別々に言いつけ、小間使いのごとく扱う。
かといって。
1番気の強い私がキレればそのたび被害は妹や弟に及び、結局は心優しい彼らがワリを食う。
何より、逆ギレと愚痴、悪口は母の専売特許だからだ。
人は
「お母さんは寂しいのよ」
などというが、誰が寂しい人生を選んだのか。
どれだけの犠牲を払ってその人生を選んだのかと、私は思う。
まだ幼かった妹や弟は寂しくなかったと思うのか。
だからといって、私も彼らも、そのことを責めたりはしなかったのに。
私たちは。
子供の頃から。
彼ら.....
もう死んでしまった父に対して、ということも含めて。
親に甘い顔をしすぎたのだろうか。
「親である前に一人の男であり、女なのだから」
「大人には事情があるのだから」
などと、理解した顔をしすぎてしまったのか。
でなきゃ、家出前、家出後にそれぞれの元で言われた、何か都合の悪い事があるたびの、
「お前はあの女(母親)にそっくりだ」
「お前はオヤジにそっくりだ」
なんてセリフも出てこなかったわけだし。
彼らにとっては、都合の悪い事=人のせいなのだろう。
そういや、継母もよく
「あんたは子供を置いて出てゆくような母親の子だから」
なんて言ってたな。
近所の人や、友達の親も、よくそう言っていたが(笑)
妹は言った。
「幸せになれそうになると、そんなはずない、こんなに幸せでいいはずがない、って思う」
と。
確かに私もいつも同じ恐怖に付きまとわれている。
私の人生、こんなに平和で済むわけがない、と。
今までのことを考えると、そう思わざるを得ないのだ。
(詳細はカテゴリ「ルーツ」を辿ってくだされば)
そして.....。
幸せを疑う心が幸せを逃してしまう原因となってしまうのも知っている。
だからこそ、いつもは何も疑わず、私は幸せになれて当然だ、と思うようにし、妹にもそう言い聞かせ、実際自身もゴンザと幸せに暮らしているわけだけど。
母はいつも自分の都合だけでそれをぶち壊す。
私はないものねだりをしない主義だし、他人をうらやむようなことも滅多にしないが。
たまに.....
本当にたま~に。
やりきれなくなっちゃうのよね。
愚痴ですみません。
*明日は楽しくて可愛い記事だよん♪
いえいえ、気の重くなりがちな記事にコメントを下さってありがとうございます。
もぐちゃん、楽しんでいただけましたか?
blogを始めてから。皆さんのところを色々廻って、今まで以上にわかったんです。
「みんな本当に色んな事情を抱えて生きている」「傷つきながら、転びながら、それでも必死に前に進もうとしている」って。
それが私に、これまで生きてきた中で持っていた勇気の、何倍もの勇気を与えてくれた気がします。
人の価値観はそれぞれで、何をもって幸せというのかは一概にはいえない。両親揃っていても、傍から見て可愛がられてはいても、もしかすると本人はとても不幸だったりするのかもしれないんですよね。
血のつながりが、絆と思えるか、自分をがんじがらめにする呪縛と思うのかは、結局自分次第ということになるのでしょうか。
こうして、一緒に考えて下さる方とお話するたびに、辛いことを乗り越えた方こそ、本当の優しさを持っているのだなぁと実感します。
私もそうならなきゃ!
あ。で、私の性格は結構ひねこびてますよ~(笑)
素直というより「ドーン、バーン、ガシャーン!」(なんのこっちゃ)みたいなタイプで、あとで後悔するんです(笑)
色んな事件があるたび思います。家庭の事情や、自身の辛さを犯罪の言い訳にしてはならない。また、それを許す社会であってはならないと。
肝心なのは、犯罪まで思いつめる前に、手を差し伸べることではないでしょうか。
子供の頃。好奇心だけで寄ってきては「可哀想に...」と、良い人づらする大人が、あとでペラペラ何を言っていたのか。知ったときから私は人に心を許さない子供になりました。
大きくなって変わりましたけどね。
人間はきっと。喜びを全身で表し、心から笑い、静かに悲しむべき生き物なのですね。
ふわり様。ありがとうございます。今の幸せがずっと続くように、共に歩んでまいりましょう。
血の繋がりってどうしようもないんだな、って思った事があります
子は親を選べないけど、その逆もそうだし。
ウチの母は子供をベタベタ可愛がるタイプじゃなかったんです
スキンシップの記憶が、一つも残っていないんですよ
あと、ウチの家、食べるのに困った時期もあってたり、色々あったんですね
だから、私も、実はerimaさんみたいく、「今幸せだけど、いつかまた辛い時がくるのかな」とか思っちゃう時があって。
erimaさんて、性格が物凄く可愛い人だと前々から思っていたんです
凄く素直なんですよね、本当に、ジェラシー感じちゃうくらいですよ~
あと、妹さんとも仲が良いし、きっとこれから、後ろ向きに暮らしていくことはないですよ
みんな色々抱えて生きているんですね、きっと。
だから変な事件、おきちゃったりして。
あ、脱線しちゃった (^_^;)
いえいえ、もうこんな愚痴を読んで
下さっただけで感謝でいっぱいなのです。
t-cat様には、本当に初期の頃から、
色々と聞いていただき、そのときごとに
優しく許していただいて、感謝の言葉もありません。
普段は、何より自分の幸せを優先させている、はず。
わがままいっぱい振舞っているはずの私なんですが。
時おり、母の横暴振りと、驚くほどの身勝手さに
怒りを抑えきれなくなり、コントロールを失いそうに
なってしまうのです。
みんながそれぞれ普通に生きていれば、こんな問題は起きないんですけどね。
母だけが、自分が人間だということさえ忘れている。
都合のいいときだけ「家族」なんていわれても
こっちは実感もないわけで。
私にとって家族とは、妹と弟、ゴンザだけです。
いえ、それでもね。
母のことは優先させてもこちらがバカを見るだけなので、
どうせ逆恨みされるか、忘れられるだけなので、
普段は存在すら、こちらも忘れ去ることにしてます。
会ってもどうせお金とパチンコの話しかしないのに
(電話でも)、
なんで電話をかけてきたり一緒に過ごしたがるのか、
さっぱりわからないくらいで。
私も。二度と彼女とは一緒に暮らせません。
暮らすつもりも毛頭ありません。
t-cat様。
聞いてくださってありがとうございます。
ここでこうして皆さんに聞いていただいて、
優しい言葉をかけていただいて、とっても気持ちが落ち着きました。
これでもうしばらくはまた、日々、アホ面さげてヘラヘラ笑っていられそうです(笑)
私たちのために、怒ってくださってありがとうございます。
私も。たぶん母が死んでも泣かないような気がします。
けれど、妹や弟はきっとそうじゃないんですよね。彼らはとっても優しくて、おそらく、母が困っているといえば、手を差し伸べてしまうでしょう。
それは、「私が今こうしなければ、erimaちゃんが犠牲になる」とか「今俺がこうしなければ姉たちが犠牲になるとか」そういう精神に基づいていて、きっと母を思ってのことではないのでしょう。
だからこそ私も、母を捨てきれない。おそらく。母もそれを知ってて、それを利用しているのでしょう。
ただ、「面倒見てる」というほど、母の面倒を見ているかというとそうでもなく、押しかけられる距離に住んでいないというのがせめてもの救いです。
妹は今月内に遠くに越しますし、今よりはずっと母と顔を合わせることもなくなるでしょう。
そして私も。母を親だとは、もう遠い昔から思っていません。「お母さん」とも呼びませんし、生んでくれた恩だけの繋がりと考えているかもしれません。
しかし、私が捨ててきた父の死に方を思うと、完全に母を捨てることへの恐怖があるのも事実です。
K子様。親身になって考えて下さってありがとうございます。成人されたお子さんを持つお母様でいらっしゃるK子様から頂くお言葉は、親というものが本当はどういうものなのか、私に教えてくれます。
心から...本当に心から感謝いたします!
母をね。見るたび思うんです。2年しか育てていない息子に何をもって「家族」って言う事が出来るんだろうって。なんで自分のしたこと全部忘れて、頼ったり命令したり出来るんだろうって。
でもね、それを指摘してやると「お前らは私を責めるんだな!」って言って泣くし...。責めているんじゃなくて、事実を指摘されることも彼女は我慢できず、結局は我々のほうが「酷い子供」にされるんですよね。私なんて「鬼より冷たい」って言われてますから(笑)
毎日笑って生きていても、母からの「具合が悪い」「あの女がむかつく」「パチンコでやられた」の電話はやむことがなく、これは例えば、私の友人が同席していても、妹がこれから一緒に暮らそうという彼氏が同席している場でも変わることがないんですよね。子供たちにだったら何をしても、言ってもいいと思ってる。私や妹や弟にパートナーが出来れば、それは彼女にとって、わがままをぶつける小間使いが増えたくらいにしか思えないんでしょう。
もちろん、私がどんなに怒鳴って「二度と電話をかけてくるな」と言っても...。彼女だけは、もう死ぬまで変わることはないでしょう。
でもね。虫主婦様のおしゃるとおり、私も自分の中身が変わらなければ、絶対このまま幸せに生きていけるはずと信じています。
たま~に、こうやって爆発しちゃうけど。
何より今までも私は自分を不幸だとは思わなかったし、そう考えることの出来る精神を持っている限り、絶対に運命なんかに負けない。
いや。運命に負けたくないと思って、そういう精神が身についたのか。
虫主婦様がおっしゃる意味。よくわかります。
血のつながりが何を意味するのかはわかりませんが、家族だって人と人。
気持ちを伝え、思いやるからこそ、人間関係が成立するのですよね。
虫主婦様。ありがとうございます。
私は、絶対に妹と弟の幸せを見届けるまで死なない。で、絶対自分も幸せに生きてやります。
いや~。普段は無意味に前向き。元気さ逞しさだけの人間なんだけどね~。たまーにものすごく腹がたってやりきれなくなるんだよね。で、その原因がまごう事なき、自分を生んだ人間ときてるから話は複雑で。
私と妹と弟だけなら、みんなが互いを思いやりあって、楽しく生きていけるんだけど、ひとたび親がからむとね。
私と妹と弟がそれぞれ、「自分が今母を無視すれば、兄弟に被害が及ぶから」と、それぞれが思い、我慢しちゃうんだよね。ま、それでも私は年中母をうなり飛ばすほうだけど。
そうだな。私が家族に対しての義務を果たしているかと問われると自信がないけど、少なくともいつも家族の幸せを願っているということと、自分が幸せになることによって、妹や弟も幸せを感じてくれるんだと考え、笑って生きるようにはしてる。
そして、私が妹と弟を大切に思うのは、むしろ血のつながりからではなく、大変な時期を、寂しさで叫びだしそうな時期を、共に闘ってくれた同志だから。
今の私を作っているのは、幼い頃に少しだけある楽しかった家族の思い出と、妹や弟と頑張ったころの思い出なんだよね。それと、「何が何でも幸せになってやる」というハングリーさと。
昔、誰かに言われたんだ。「家族には因縁っていうのがあって、一人不幸な(ダメな)人間がいると、ずっとその家にそれがつきまとってゆく。だから誰かが因縁を断ち切らなきゃいけないんだ」って。その時私は決心したんだよ。「私がその断ち切る人間になろう」って。
そのためにはものすごい強さと、不必要なものは切り捨てる冷徹さが必要だと思った。そして、冷徹さの裏にある、底抜けの朗らかさも。
向き合って自分が潰れるくらいなら、捨てるか(忘れるか)笑い飛ばすぐらいしか手がない出来事も人生にはあると思うからさ。
でもね、なんのかんの言っても、やっぱり私は幸せなんだよ。大きな病気もしたことないし、妹も弟も元気だし、ゴンザという素晴らしいパートナーと出会えて、可愛い猫たちもいる。
何より私の人生。いつも誰が助けてくれる。本当の父や母よりも、ずっとずっと可愛がってくれる人がたくさんいたりして。
それにね、GONCYAさんや、コメントをくれた皆様。ここを訪れてくださって応援して下さる人がいる。楽しい話題を共有できて、時にはぶ~すか好きなこと言わせてもらって、たったひとつしかない、私の人生を生きていられるんだから、明日にはまた笑っているさ。っつーか、もう笑ってるんだけどね(笑)
人間、困ったり、病気になったりしたときほど、周囲の人間がどういう人なのかがよく見える。義父母に謂れのない嫌がらせをされたGONCYAさんもきっとそう思うと思うけど。そしてそれこそが真実なんだ。
いつだかも書いたけど、私の人生には特効薬がある。それはいつも自分を面白がるってこと。私にこういう人生が与えられたのは、私にそれを乗り越えるだけの力があるから。それを面白がれるから。
ありがとね、相棒!気迫で気持ちが伝わってきた(笑)本当。出会いって不思議だね。
気づきが遅くなってしまって…
ちょっとお暇が長すぎたみたい、
ごめんなさい。
家族とか肉親とか血のつながりは
何よりも濃いのは事実として、
何をさしおいても優先するものなのかな。
私自身、自分の家族問題では
結構薄情な奴をしていますので
言ってしまうんですが…
私が一人でほけほけとしているのは、
他人はもちろん、家族ですら同居ができない
体質と性格になってしまったからなわけで。
何がなんでもお家が一番とは思うけど、
身内第一とは残念ながら思えない。
究極の事態に陥ったとき、
巻き込まれるのはこっちだぜ! いい迷惑!
といってやりたい衝動に駆られている私です。
自分のことはどーでもいいんだ。
えっと。
erima様、
blogで拝読する以上のことは
残念ながらできないかもしれないけど、
誰かがどこかでerima様の声に耳を傾けている、
その準備がある人が私以外にも
たくさんいらっしゃると思うんです。
時々吼えたくなったら、存分に吼えていいんですよ。
親を捨てられませんか???
あなた方には幸せになる権利がありますよ。
幸せになる義務があるといってもいい。
辛い過去に慣らされないで、まだまだこれからの人生のほうが長いのだし、
いくらでも「いいこと」は待っている。
それに、「中心」が「白」ならば、「周囲」が「黒」でも、必ずドミノのように白くパタパタと変わっていくのです。
そのタイミングがいつかは分からないけど、自分の根っこの部分が「白(ポジティブとでもいいましょうか)」なら、最後は周りも「白」になっていくと思います。
erima母のような方は、強弱はあれ、時々いますね。ホームドラマのような、何も言わなくても分かってくれる都合のいい家族を幻想している人。
ワタシの父親もそうです。
まあ、人並みに動いてますけど。
相手の気持ちとかは全く考えないのに、自分は思いやってほしいという甘ちゃんです。
「家族だから」とよく甘えてましたので、
ワタシは「血がつながっていると思っただけで死にたくなるから考えない」と言ってあります。
いや~、正直言うね。
言葉見つかんないわ。。。。
でもさ、これだけは言いたいね。
それは、「erimaさん(や妹・弟さん)は、幸せになる権利がある」ってことだよ。
これは誰でもそうかもしれないけれどね、それまでの人生がどうであれ、人は誰でも幸せになる権利がある。
ただしね、この「権利」ってのは、周囲に対して一定以上の「義務」を果たした場合に付随する「権利」じゃあないかと思うんだがね。
ま、とにかく、大変な面もあるだろうけど、今はゴンザさんやご兄弟との仲を大事にして、毎日を楽しく生きてもらいたい。
あともうヒトツ、私は「家族」ってものの定義に懐疑的なんだな。
いや、有難いことにさ、ウチの家族はすごく仲がいいんだよ(何せ、コルレオーネファミリーだからさ)。
でもさ、これってお互いの気遣い・心配りの上に成り立ってるんだよね。
互いをいたわりあう心があってこそ、そこに「家族」って形態の社会が生まれると思うんだ。
その際、「血」なんて関係ないもの。
っつ~か、下手するとその「血」が最もややこしい要素になったりするし。
私がこんなこと書くのもね、実は死にかけたときに一番私を激しく攻撃してきたのが、「身内」だったの。
平たく言えば、義父母ってヤツですか?
私が病気になったのが余程腹が立ったようで、信じられない嫌がらせをいろいろされた。
でも、私は箱入り娘だったから、「なんで家族が?嫁の私に何で?」ってショックで、それこそ人間不信になった。
でもさ、よく考えてみたら、その人たちと私には築き上げたものなんて何もなかったんだよ。
っていうか、「嫁に行ったから家族」って思い込んでいた私が子供だった。
そんなやつらより、近所の挨拶程度しかしたことのない女子高校生が、私が危篤だって聞いて、ずっと泣いてくれたって話の方が、私に生きる力をくれたもの。
ああ、生きて行こう、誰に何といわれようとも、って思ったもの。
名前だけの「家族」なっていらねぇ!って思ったね、ベッドの上でさ。
まあ、私の話はいいんだけれどもね(笑)、だからね、上手くいえないんだけれども、人は誰でも与えられた運命ってのがあって(例えば、親を選べないだとか、病気になるとか)、それは避けられないものだけれども、その運命と上手く折り合ってね、楽しく生きていこうじゃないか、と。
身内にさ、心身ともに痛めつけられる場合もあればさ、こうやってさ、顔もあわせたこともないのに、おもしろくて興味深い交流もできたりするわけでさ。
自分の周りに、大好きな人やモノをいっぱい並べてさ、明日死ぬかも分からないからこそ、毎日楽しく精一杯生きてさ、理不尽なモノゴトやヒトドモに出会ったらさ、「ばかやろう、お前なんかに付き合ってる暇ねぇんだよ、消えろ!」なんつってさ、前傾姿勢で行くんだよ(
笑)。
上手く伝わらなかったらゴメンね~。
伝わったか?
う~ん、自信ないなあ。
しかし、erimaさんが○デルってのが、今日は何より驚いたぜ(爆)。
そりゃあ、カツラをつけて6時間ってのもありうるね。