
車で10分ほどの距離にある卸売り市場で「市場祭り」なるものが開催されると聞き、出かけていった。
場所が市場とあって、午後2時には終了だというこの祭り。
出遅れた我々が到着したのは終了30分ほど前だったが、まだまだ混雑を見せる盛況ぶり。普段は市場内で仕事をしているおじさん達も総出で駐車場の誘導や整理にあたり、そこかしこで買い込んだ荷物を車に積む人の姿も見える。
また、普段は一般人が入れない市場内のすし屋などには長蛇の列が出来ており、立ち並ぶテントでもそれぞれ、きのこ汁の炊き出し、魚の解体実演販売などが行われ、興味深々で覗き込む親子連れやカップルの姿も。
狭い通路には一人乗りの小さなリフトカーのようなものが行き交い、勇ましいお兄さんたちが担ぐ御輿も人ごみの中、苦労しながら進んでゆく。
我々は祭りと市場、両方の雰囲気を楽しみ、テントをいくつか冷やかしたが、思ったほど価格も安くないということで、市場をあとにすることにした。
が、我々には実は、市場に入った瞬間から「これだけはして行かねば」という共通の目的が出来ていた。
入り口近く。一列に立ち並ぶ人たちの足元にうずくまる、アイメイト=盲導犬のための募金(正確に言えば盲導犬とアイメイトは違うそうだ)を。
この、人間のために一生懸命働いた、最良の友への感謝のしるしを形にする行動を。
小雨振る中、行き交う人々に頭を撫でられ、声をかけられ、けれどひたすら行儀よく座り続ける数匹の犬達。
人のために働いて、見返りも求めず、いずれは主人と別れる運命の犬達。
本気になればヒト一人など容易に噛み殺すことが出来るのに、決してそうはしない心優しいパートナー。
実は白状すれば、私は彼らの姿を見るにつけ、自身の中で葛藤してきた。
パートナー犬といえば響きがいいが、彼らは「働けなくなれば主人と別れる辛さを味わう犬」「神経の遣い過ぎで寿命を縮める犬」でもあるのだから。
もちろん、彼らの力あってこそ助けられる人がいて、その人の可能性を犬が拡げ、また心をなぐさめてもくれるのだと思えば、そんなことを言ってはいけないのかもしれないが.....。
犬には私利私欲などない。
小雨の中、濡れた場所に座らされ続けても、そのためにあてがわれてるのが使い古したダンボールだけでも、健気に座っているだけだ。
なのに.....
引退後にこうしてまだ人のために働く彼らを、私は一体どういう目で見ればいいのか、いつもわからなくなって、たまらなくなって......。
でも。いくばくかのお金で、彼らの老後が安穏であるなら、出来る事だけはしなければならないとも思う。
あとは願うことだけ。彼らが皆、幸せであるように。
撫でられ、座り続けたその夜、充分な食事をとり、たくさん褒めてもらい、安らかな気持で眠れるようにと。
彼らがその健気な姿で集めた募金が、どうぞ正しく使われますようにと。
人は、犬と共に生きてきたけれど。
果たして、彼らの無償の愛に相応しいパートナーであったのだろうか。
「盲導犬育成のための募金」と称して、駅前で犬を使い、詐欺を働く団体の存在する国で、私は思う。
あの市場で、箱一杯に集まっていた多額の募金が、どうか、どうか、犬達のために、正しく使われていきますようにと。
引退後の彼らが、愛の中で、心穏やかに暮らしていけますようにと。
場所が市場とあって、午後2時には終了だというこの祭り。
出遅れた我々が到着したのは終了30分ほど前だったが、まだまだ混雑を見せる盛況ぶり。普段は市場内で仕事をしているおじさん達も総出で駐車場の誘導や整理にあたり、そこかしこで買い込んだ荷物を車に積む人の姿も見える。
また、普段は一般人が入れない市場内のすし屋などには長蛇の列が出来ており、立ち並ぶテントでもそれぞれ、きのこ汁の炊き出し、魚の解体実演販売などが行われ、興味深々で覗き込む親子連れやカップルの姿も。
狭い通路には一人乗りの小さなリフトカーのようなものが行き交い、勇ましいお兄さんたちが担ぐ御輿も人ごみの中、苦労しながら進んでゆく。
我々は祭りと市場、両方の雰囲気を楽しみ、テントをいくつか冷やかしたが、思ったほど価格も安くないということで、市場をあとにすることにした。
が、我々には実は、市場に入った瞬間から「これだけはして行かねば」という共通の目的が出来ていた。
入り口近く。一列に立ち並ぶ人たちの足元にうずくまる、アイメイト=盲導犬のための募金(正確に言えば盲導犬とアイメイトは違うそうだ)を。
この、人間のために一生懸命働いた、最良の友への感謝のしるしを形にする行動を。
小雨振る中、行き交う人々に頭を撫でられ、声をかけられ、けれどひたすら行儀よく座り続ける数匹の犬達。
人のために働いて、見返りも求めず、いずれは主人と別れる運命の犬達。
本気になればヒト一人など容易に噛み殺すことが出来るのに、決してそうはしない心優しいパートナー。
実は白状すれば、私は彼らの姿を見るにつけ、自身の中で葛藤してきた。
パートナー犬といえば響きがいいが、彼らは「働けなくなれば主人と別れる辛さを味わう犬」「神経の遣い過ぎで寿命を縮める犬」でもあるのだから。
もちろん、彼らの力あってこそ助けられる人がいて、その人の可能性を犬が拡げ、また心をなぐさめてもくれるのだと思えば、そんなことを言ってはいけないのかもしれないが.....。
犬には私利私欲などない。
小雨の中、濡れた場所に座らされ続けても、そのためにあてがわれてるのが使い古したダンボールだけでも、健気に座っているだけだ。
なのに.....
引退後にこうしてまだ人のために働く彼らを、私は一体どういう目で見ればいいのか、いつもわからなくなって、たまらなくなって......。
でも。いくばくかのお金で、彼らの老後が安穏であるなら、出来る事だけはしなければならないとも思う。
あとは願うことだけ。彼らが皆、幸せであるように。
撫でられ、座り続けたその夜、充分な食事をとり、たくさん褒めてもらい、安らかな気持で眠れるようにと。
彼らがその健気な姿で集めた募金が、どうぞ正しく使われますようにと。
人は、犬と共に生きてきたけれど。
果たして、彼らの無償の愛に相応しいパートナーであったのだろうか。
「盲導犬育成のための募金」と称して、駅前で犬を使い、詐欺を働く団体の存在する国で、私は思う。
あの市場で、箱一杯に集まっていた多額の募金が、どうか、どうか、犬達のために、正しく使われていきますようにと。
引退後の彼らが、愛の中で、心穏やかに暮らしていけますようにと。
彼らが賢ければ賢いほど、理解できることが多く辛いのではないかと気を揉む私。強い信頼関係で結ばれた主人との別れは、どんなに辛いことでしょう。
私が以前見た番組では、盲導犬の老人ホームを取り上げていました。寝たきりになり、集団で同じ部屋に寝かされ、床ずれの出来た犬達...。目をそらしてはいけないけれど、とても見ていられなかった。私もそれまでは引退後の盲導犬がパピーウォーカーの元で余生を過ごすのだとばかり思っていましたので、余計にショックで...。私達一人一人に出来る事は本当に少ないのだと、身に沁みて思います。
けれど。ひとりひとりが自分のパートナーである犬や猫を心から思い、大切にすることで、いつか何かが変わるかもしれない。人と彼らはこれからも共に歩んでゆくパートナーですもの。
おかまちゃん!?家のわんちゃんたちは元気そうですね~
わたしも、盲導犬関係の番組は涙なくしては見られません。とくに、引退した犬たちの生活を扱った番組は。
テレビの前で涙してるだけではだめだ!と思いつつも、具体的なアクションは何もしていません。
せめて募金ぐらいは、と思ってしていますが、erimaさんのおっしゃるとおり、ニセ募金もありますから要注意ですね。
せめて動物を大切にする心を持ち続け、それを周りの人にも伝えて行きたいです。
それはそれは忠実でパートナーのためだけに尽くしています
引退とはすなわちパートナーとの別れとなるわけですからね
果たして犬たちの気持ちは?!と、いつも思います
なんだか本当に切ないです
みんなが穏やかな老後を迎えられるといいですが・・・
犬猫の里親捜しをしているケージを
よく見かけました。
冬寒い日も、夏暑い日も、
狭いケージにつめこまれた仔猫や子犬。
つながれた成犬に理不尽なものを感じつつ、
でも「家の子になる?」と
簡単に連れて帰れるわけもなく、
いろいろと思い気持ちにさせられたものです。
衝動的に犬猫を拾ったり飼ったりはできないですから、
彼らに詫びつつ、自分の家にいるペットたちを
大切にしよう、最後まで面倒を見ようと思いました。
今はさすがに見かけなくなりましたが
(あしなが募金だって街頭募金の許可が出ないそうですから)
最近はご指摘の介護犬の理解と募金を求める団体を
頻繁に見かけます。
わざわざ路上に立つくらいですから、
活動そのものには疑問は持ちませんが、
ペットが並ぶ姿は、
やっぱり理不尽なものを感じます。
ここに人以外を連れてくるのは「ずるい」と
感じてしまって…。
余生をボランティアの方の元で過ごす犬たちを
TV番組で見た記憶がありますが、
どうか全ての犬たちが、穏やかに過ごせますように。
でも、彼らが本当に過ごしたい「ご主人」は
誰なのでしょう…。
はじめまして。コメントありがとうございます!
盲導犬関連の番組、結構多いですよね。盲導犬の普及の必要性を訴えたり、引退後の生活を扱ったり。本当に涙なくして見られない映像に、最近ではチャンネルを回してしまうこともあるくらいですが...本当は現実を見なければいけないんですよね。
しかし、そんな番組の多さに反比例して、私達に何が出来るのか、情報も意外と少ないんですよね。募金を求めるメッセージは大々的にするのに...。
ペットブームと言われる今、動物を大事にし、家族のように可愛がる人が増えています。この動きがただの「ブーム」では終わらず、何かが変わっていくきっかけとなればいいですね。
犬達の気持ち...。
訓練で行動は制限出来ても、気持ちは違いますものね。
はしゃいだり、駆け回ったり、それが許されないって
どんなに辛いでしょう。
「引退」とか、人は何かと厳しい現実を
美しい言葉で誤魔化していますけど、
実際現実に起きていることは変わらない。
本当に切ないです。
私達にはいったい、何が出来るのでしょう...。
最近、募金を募っている人を、
犬猫の里親探しをしている団体を、
疑いの目で見る自分がいます。
子犬、仔猫の姿にウソはないのに、
人がすべてを穢そうとする。
すべて連れ帰れたら、問題が解決するわけでもないけれど、
本当は何も出来ない自分なのだけど、
彼らをただ抱きしめたくて。
体温を伝えたら何かが埋まるような気がして。
確かに介護犬が必要な方がいるのはわかります。
けれど、それが例えば「介護人」なら、
彼らほど立派にその務めを果たせるのでしょうか。
人ならば休んだり、ぶ~たれたり出来る。
でも犬にはそれが出来ない。
だから利用しているのかと、ちょっと穿った見方を
したくもなります。
「余生」を送る相手が苦楽を共にしたパートナーでないのなら、
せめて、愛してくれる人の元で...。
いっぱいお散歩に連れていってくれて、
いっぱい遊んでくれて、いっぱい抱きしめてくれる人の元で
暮らして欲しい。
誰かの家族になって、子供に戻れるように。
彼らに詫びつつ、自分の家にいるペットたちを大切に、しなくてはと思っています。
今、癌になっている、ジュニアを介護していますので、、
具合の悪い時には、夜中にでも、シートの上にしますし、それは、それは、下痢と、出血と、もう、、、本人も、きついでしょうし、匂いもすごいですよ。
寝てなんか、いられません。
でもそれは、あたりまえのことなんですよね、、家族ですから、、
最後までは、と思って介護をしだして、一年半になりました。何時も、長生きするんだよと言っています。
ジュニアちゃん。頑張っているんですね。具合の悪いわんちゃんや猫ちゃんの様子を見ているのは本当に辛いことですが、本人も頑張っていると思えば目をそらさず、共に生きるしかないですよね。我が家のちびくんも腎臓を患っていますのでよくわかります。
そう、共に生きるということは、苦楽を共にするということですものね。たくさんの犬や猫と暮らしたとしたらケアしきれなくなっちゃいますし、可愛そうな犬や猫がいても見過ごすしかないこともあります。「私に出来る事は何かしら?」と常々思っていても、自分の家族である犬猫を目一杯愛することでしか、表現できなかったり.....。
でも、それって言い換えればすべての犬猫にそんな家族がいればいいってことですよね。それが難しいからこその現状ではあっても、いつかそんなふうに、すべての犬や猫が幸せになってくれたら.....。自分の家族を大切にするからこそわかること。その輪が徐々に広がっていくといいですね。