猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

水辺の風景

2007年06月24日 02時45分39秒 | ルーツ
私はほとんど泳ぐことが出来ないが。
水辺の風景が好きだ。


        


特に、海ではなく、小さめの川。

河原に石がゴロゴロ転がっているような川に.....
なんともいえない郷愁と愛着を感じる。

これはきっと、私の父が、私の小さな頃から河原へと頻繁に遊びに連れていってくれたことと、深く関係しているに違いない。

休日ごとに、当時の年若い父と母と、または時に彼らの友人達と共に、バーベキューに行った川の思い出。

手のひらでそっと魚を川辺に追い込んでは、手づかみで捕ろうとしたり、釣りの仕方を教えてもらったり。

ナイフの使い方を習いながら、河原の石の上に開いた魚を並べては、干物を作る真似事をしたり。

大きく滑らかな石をうまく組み合わせ作った炉で炭をおこし、肉や魚を焼いて食べるのは毎度の決まりごとだったし、幼い私や妹は、夏となると真っ黒に日焼けし、鮎やウグイを食べ、父のトラックに乗せられてゆく河原遊びを存分に楽しんだ。


     


あの短く、楽しく、輝かしい日々は。
今も私の原風景となって、河原に特別の愛着を抱かせる。

また、海水ではない、とっぷりとたたえられた濁った水にも、父との思い出が存在する。

あれはいつの夏だったか。
毎度のごとく、家出して故郷へ帰ってしまった母を追って父がトラックを走らせた際、母の実家近くの、上杉神社のお堀のほとりに停車して、水を眺めた日.....。

賑やかに小奇麗になってしまった今とは違う、あの頃の上杉神社。

父はひっそりとした、神社前の小さな通りにトラックを停めては、今ではもうすっかり見なくなった古い木造建築の『何でも屋』さんで、『みかん飴』を買ってくれたものだった。

あの日。
幼い私は、ひとつひとつがみかんの房の形をしている美しい色をしたその飴の袋をしっかり抱え、『なんて美味しいんだろう』と感激しながら一心に舐め、お堀の深い緑の水を眺めた。

または、父の仕事に一緒について行ったとき。
大好物のあんまんを買ってもらっては『あの公園にアヒルがいるから』と、小さな公園へ連れて行ってもらい、あんまんのカケラをアヒルにあげた思い出。

あのとき。
父が差し出したあんまんのかけらに、アヒルは勢い余って食いついて、父の手にまで食いついてしまったのだったな。

「いてっ!なにすんだこのヤロウ!」

そう言った父は半分笑っていたが.....

私が大きくなって家を出てからも、あのきらきらした日々のことを、彼は覚えていただろうか?


     


ときおり私は考える。

父はなぜ死を選ばねばならなかったのだろう。
あの美しい思い出たちは、彼の人生に生き続けるだけの価値を与えてくれなかったのかと。

それとも.....
思い出が美しすぎたから、耐え切れなくなったのだろうか。

私は彼から何を奪ったのだろう?

どれだけ考えても、わからないけれど。


     


私は今でも河原が好きだ。

石が転がった河原を通るときにはあの日々を思い出し、父が大好きだった鳥たちを眺めては、声をかけ、きらきらした水面にたくさんのものを見る。

あの思い出たちは、父をこの世にとどめておいてはくれなかったけれど。
私が生きていく上ではかけがえのない力になってくれる。

今朝、橋の上から眺めた川は.....
青空を映し、白い雲をくっきりと水面に焼きつけ、鏡のようにあの幸せな日々を反射させていた。


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6 コメント

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うれしいよ (いなひこ)
2007-06-24 07:09:49
河原を見ては、思い出す。あーあの時のみかん飴の事やアヒルの事。思い出してもらえて、お父様、うれしがってるよ きっと。思い出がいっぱいあるって、お父様への思いが強いことだもの。
きっと、天国で、「erima 元気かぁ~ゴンザさんみたいな、いい人に出会ってよかったなぁ~」 そう言ってる様な気がする。

私も今回、ちょっと具合の悪い時は、無性に、おかあちゃんに会いたくなった。 
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美しい思い出は… (GONCYA)
2007-06-24 07:52:31
水辺ってのはいいよなあ。
見るだけで、そばに水が流れているだけで
とても癒される。

徳島は吉野川っていうでっかい、それはそれはでっかい川がで~んと流れていて、その支流が県内中に縦横無尽に広がっている。
そこに四国山脈が張り出してきているもんだから、どこにいても何をしてても、「山と川」ってのは視界のどこかに入ってくるんだ(『眉山』て映画を見てくれたら分かるよ)。

こっちの人は、みんなのんびりしていておとなしい人が多いんだけど、きっとこの故郷の風景が、人々をそんな風にしているのかなあって思うときもある。
オレもまた、山と川が大好きな人間の一人で、幼い頃の思い出もいっぱいある。

相棒が、水辺の美しい思い出とお父さんの死を考えるのは仕方ないことかもしれないけれど、人の生死というのは、悲しいかなそういったものを超越したところにあると思う。
よく「寿命だったんだね」なんて言うけど、100歳まで生きた人も、幼くして事故で死んだ子どもなんかも全部「寿命」で片付ける…
これ、一見乱暴なようだけど、でも、実際は本当にそうだと思うんだ。
人の生死だけは、家族でもどうすることも出来ないもんなあ。

でも、これだけははっきりしている。
前にオレ言ったと思うけど、死への旅路の最中ってのは(いわゆる臨死状態)、本当に安らかで、それまでの楽しかった思い出や家族たちの顔が浮かんでは消えていく。
「あ~、楽しかったなあ。オレの人生も悪くなかったなあ。もう死んでもいいかもなあ」って、自然に思えるんだ。
まあ、そう思うことで苦痛なくあっちの世界へ行ける様に人間の脳ってのはプログラミングされているんだろうな。

だからさ。
相棒のお父さんも、きっと相棒たちとの水辺の思い出は、大切な宝物として持っていったと思うよ。
生きているときも、そして召されるそのときも、きっとお父さんにとってもそれは素敵な思い出だったはずだ。

そして、折に触れてこうやってお父さんとの思い出を反芻する娘をさ、向こうで嬉しい思いで眺めているはずだ。
人はあの世へ行った後は、「忘れられること」が一番ツライみたいだから。

お父さんもきっと、今でも相棒と一緒に川原を散歩して、ラムネでも飲んでんじゃないかな(笑)。


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同じだけの思い出が (まきまき)
2007-06-24 15:34:45
GONCYAさんの言うよう、亡くなった人が1番辛いのは、現世の人に自分の存在を忘れられることだって聞いたことある。

それと、これは細木和子だったかな。私は決してあの人を信望してはいないけど、あの人の言うことにはもっともだなと思うことも一理あって、亡くなった人をお参りする時に、とかく現世の私達はどうぞ私達のことをお見守りくださいとお願いしがちだけど、それは願ってはいけないんだってね。こちらの世界のことを亡くなった人にお願いすると、亡くなった人は私達のことを気に病んで魂がこちらに残ってしまい、成仏できなくなってしまうからだそう。
だから、私達は元気でやっていますよ、そちらも穏やかに過ごしてくださいねって思うのがいいんだそう。

お父さんからは、erimaちゃんは決して何も奪うことはしなかったと思うよ。
erimaちゃんが水辺の思い出をはじめ、沢山の美しい思い出、楽しかった思い出をお父さんからもらったよう、お父さんも同じだけerimaちゃんからかけがえのない思い出をもらったのだと思う。

あの世というのは実際にあるのか、現世の人が自分達の気持ちが安らぐよう勝手に創り出したものか分からないけれど、でも、あの世では亡くなった人はこの世の煩雑なこと、病や痛みなどの苦しみの全てから解放され、安らかに、穏やかに暮らしているっていうものね。

現世の人がご先祖様の存在というものを信じようと信じまいと、やはりせめて自分の親は生きていようが亡くなっていようがないがしろにしてはいけないと思うから、亡くなってもまだ尚erimaちゃんの心に数々の思い出を刻んでくれたお父さんは今は幸せであると思うし、折にふれ自分を思い出してくれる娘を愛おしく思ってくれているに違いないと思う。
自分が守ってあげられなくなった分、ゴンザ君という生涯の伴侶と一緒になったことを喜んでいると思う。

次にお墓参りに行く時は、お父さんに毎日元気で過ごしているよ、たくさん思い出をくれてありがとうと言えるといいね。
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少し遅いけど... (erima)
2007-06-25 21:36:10
いなひこ様

生きている間にはきっと、私たちが思い出のほとんどを忘れてしまったように思い込んでいたであろう父。
今頃はあちらで、「ああ、違ったんだなぁ。みんな覚えていたんだな」と、気づいてくれているでしょうか。
私たちの強い思いを、彼は知らずに逝ってしまいましたが、子供達それぞれが楽しく、幸せに生きようとしているのをあちらで見て、笑ってくれているといいなぁと思います。
父はとても我がままで気分屋で弱い人でしたが、同時に楽しく、笑うのが大好きな人でもありました。
私がゴンザのような楽しい人と結婚したのを、喜んでくれているといいな。

でももし、父が生きているうちにゴンザを紹介し、楽しくみんなでお酒でも酌み交わしていれば、父はもしかしてあんな道を選ばなかったのではないかと...
どこかでいつもそんな風に考えてしまう自分がいます。
今さら言っても仕方ないんですけど...。

いなひこ様、いつもありがとうございます。
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もしそうならどんなにいいか (erima)
2007-06-25 21:57:27
GONCYA様

そうだなぁ。相棒。
人の生死ってのは、人の力が及ばないところにあるんだろうな。
もし、もし、俺たち子供が父の決心を知って止めたとしても、彼はやはりあの選択をしていたのかもしれん。
しかしなぁ。やはり考えずにはいられないんだよ。
その瞬間、彼は何を思ったろうか?
苦しかったんじゃないか、絶望の中であっちに行ったんじゃないか、って。

でも、もし相棒の言うとおり、美しい思い出の中で安らかにいってくれたなら、どんなにいいだろう。
俺たちが父を失った悲しみがそれで癒えるわけではないが、彼自身のために。
そうであってくれたらどんなにいいだろうかと思う。

俺にはさ。父が生きていたころと同じように、むこうでも「ごめんな、ごめんな」と、謝っているような気がするから...。

山と川と鳥が大好きだった父。
向こうではそんな場所で、のんびり過ごせているといいなぁ。
四国みたいに、川と山がたくさんあって、素朴で優しい人たちがたくさんいる場所で酒でも酌み交わせていればなおいい。

忘れようにも忘れられない父とのたくさんの思い出。
これは変わらず大切なものだが、俺がそれを思い出すたびに、やっぱり父は「ごめんな」って謝っているような気がして、切なくなる。

俺は『寿命』というのは天が決めることだと思っているが、やはり自分で人生に終止符を打とうと決める人間にとっても、それはやはり基本、天が決めたことなんだろうか。

父の選択に対しては、きっと誰にもどうにも出来なかったのだろうということは頭ではわかっているんだが。
ときおり、また迷い始める俺だ。
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子供のような人 (erima)
2007-06-25 22:32:46
まきまき様

幼い頃から肉親と縁が薄かった父にとって、私たちが子供だったあの頃は一番幸せな黄金期だったのではないかと思うの。
若くて体力もあって、家族がいて友人がいる。
だからこそ、思い出が美しければ美しいほど、それを失ったことが哀しかったのではないかと...。
彼はいつも「自分が一番世の中で可哀そう」と思っているフシがあったから、私たち子供が自分自身の幸せを追い求めて出ていってしまったことで裏切られた気持ちだったんじゃないかと思う。
うちは父も母もそうだけど、「子供たち自身が幸せであってくれればそれでいい」というのではなく、「自分の幸せ」が大前提にあるの。
子供に対して愛情がないわけじゃないんだけど、どうしても自分勝手になってしまうのね。
だから、私たちがなぜ家を出て行ったのかも、本当はわかってなかったのかも。

でもね。あちらに行って、もしかすると今は父も、「自分は子供達に大切に思われていたんだなぁ」と気づいているかなと思う。
父はとっても弱くて泣き虫だったし、だから私たちも墓参りに行ったときは何も願い事などせず、「まあ、私たちは楽しくやってるからさ。心配しないでよ」としか言わないけれど、きっとそう言ったならそう言ったで、「ごめんな~、お父さんがだらしないばっかりに」とか言って泣くに決まってるのよ(笑)
でも、だからといって、強くもなれないの。
そういう人なのよ。

でも、あちらの世界では欲とかいろんな感情とか、そういうものとは無縁だというから、もしかすると私たち子供がみんな元気で楽しく暮らしているのを喜んで見ていてくれるかしら。

これからの私に出来るのは、あの楽しく輝かしい日々を忘れずに、それを人生に映し出し、精一杯生きることしかないけれど、毎日私たちが笑っているのを見て、あちらで父が私たちの本当の気持ちをわかってくれればと思う。
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