ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

深情け考

2022-03-30 13:55:23 | 日記



民放の連ドラはあらかた先週で終了した。TBSのドラマ「妻、小学生になる」もその一つだが、このドラマ、視聴率がとびきり高いわけでもないのに、ネットではそこそこ話題を呼んでいる。

私も毎週、このドラマを楽しみに見ていた。今クールの連ドラの中では、一番面白かったのではないか。

このドラマ、番組HPでは、次のように紹介されている。
「10年前に愛する妻を失い、生きる意味を失った夫とその娘が、思わぬ形で妻(母)と奇跡の再会をするところから物語は始まる。なんと妻(母)は生まれ変わって、10歳の小学生の女の子になっていた! 夫と娘はそんな妻(母)の姿に戸惑いながらも、10年ぶりに彼女に尻を叩かれ、叱咤激励される。この物語は、彼らのみならず、一家に関わる周りの人々が『生きること』に再び向き合おうとする、ちょっと変わったホームドラマである。」

10年前に亡くなった妻(母)が、夫と娘への思慕の情を断ち切れず、10歳の小学生の姿でこの世に転生する。美しい妻(石田ゆり子)にそこまで慕われた夫(堤真一)はさぞ本望だろうが、私が感じ入ったのは、そこではない。亡き妻(母)を思う夫と娘(蒔田彩珠)の情の深さである。小学生の妻という「異形」の妻の出現は、妻を慕う彼らの情の深さがもたらしたものなのだろう。

私はこのドラマに感情移入して、考えることがある。妻を亡くしたとき、私は亡き妻にそこまで深い思いを懐くことができるだろうか。生きる意味を失い、抜け殻同然になってこの世をさまようような、そんなゾンビのような姿に、なれるだろうか。たぶんなれないだろう、ーーそんな気がする。

もし私がそれだけ深い思いを懐くことができたとしたら、その私はおそらく生ける屍というか、文字通りのゾンビになってしまっているに違いない。

生ける屍になり、ゾンビになった私にしても、小学生になった妻にしても、そこには愛情というものの真相が示されているように思える。愛情は深いほど、この世の枠には収まらなくなり、この世のものとは思われぬ「異形」の姿をとってしまうのだ。
この異形の姿が(四谷怪談の)お岩さんのようなおどろおどろしい姿ではなく、可愛い小学生の姿(毎田暖乃)であるところが、このドラマのオシャレなところである。

ところで、きょう以下のようなニュースを目にした。

「米ロサンゼルスで27日夜に開かれたアカデミー賞の授賞式中、俳優のウィル・スミスさんが突如ステージに上がり、コメディアンのクリス・ロックさんを平手打ちする一幕があった。スミスさんの妻で女優のジェイダ・ピンケット・スミスさんに向けたジョークに激怒した。」
(JIJI.COM 3月28日配信)

このウィル・スミス氏の常軌を逸した振る舞い、ーー異常な振る舞いは、妻を思う情の深さから出たものと言えるだろう。スミス氏の妻ジェイダさんは、昨年、脱毛症のため、髪をそっている。スミス氏は、司会のロック氏がその妻のことをジョークでおちょくったため、激怒したというのである。

情の深さは、時として犯罪に結びつくことがある。俗に「悪女の深情け」と言うが、これは、悪女(容貌の劣る女性)は情けが深い、という意味ではなく、情けが深い女性は(阿部定のような)悪女(犯罪者)になりがちだ、ということではあるまいか。

幸か不幸か、私はまだ深情けの女性と関わり合いになったことはない。



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