ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ノーベル平和賞と、町の消防団

2019-02-19 14:48:42 | 日記
昔むかしのことである。まだ若かった頃、私は、隣町の小さな居酒屋で酒を飲んでいた。友人と二人だった。原因は憶えていないが、隣の席で飲んでいた四,五人のDQNたちと口論になり、「表へ出ろ!」と言われて、店の外に出た。人通りのない薄暗い路地裏で、同年輩の大柄な男に襟元をつかまれた。その時である。三、四人の男たちが割って入ってきた。屈強な男たちは、これも見るからにDQNである。「俺たちはな、この町の消防団だ。とっとと消え失せろ!」その言葉には言い知れぬ凄みがあった。「あ、すいません」私に殴りかかろうとしていた大柄の男は、そう言って頭を下げると、すごすごと姿を消した。私が店に戻ると、友人は大の字になって床(フロア)に倒れていた。酔っぱらったからか、殴られたためかは、判らない。

あとで聞いたことなのか、あるいは、私が記憶を捏造したのかは判然としないが、私たちの喧嘩の仲裁に入った「消防団」の男たちは、ヤ▲ザで名高い■★組の連中だった。この町の繁華街をシマにして、この町を仕切っている■★組は、そんなふうにして町の治安を護っているということだった。

東映の任侠映画にでも出てきそうな話だが、実際の話である。町長のM氏は「この町の平和がまもられているのは、■★さんのおかげだ」といって、組長の■★氏に名誉市民賞を授与したとか。「消防団」云々の話が、(町から補助金をもらうための)口実だということは、町のだれもが知っていた。

私がこの話を思い出したのは、どこかの国の首脳がトランプ米大統領をノーベル平和賞の候補に推薦した、というびっくり仰天のトンデモ・ニュースを聞いたからである。この国の平和は、アメリカから買わされた高額のイージス・アショアによって維持されている。そんなふうにしてまもられる「平和」は、果たして「ノーベル平和賞」に値する「平和」と言えるのだろうか。

イージス・アショアによってまもられるこの国の平和は、ヤ▲ザの「消防団」によってまもられる隣町の平和と、どこがどう違うのか。納税者の町民の方々や、■★組にシノギを搾り取られる繁華街の店主たちに、一度、感想を聞きたいと思っている。
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