ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

岸田政治とは何だったのか

2024-09-01 12:11:18 | 日記
きょうの朝日新聞に「(日曜に想う)岸田首相の『政治家の意地』とは」というタイトルの記事がのっていた。この記事に触発されて、私なりに「岸田首相にみる『政治家の意気地なし』」について考えてみた。

記事によれば、岸田首相は自民党総裁選への不出馬を表明した会見の席で、次のように語ったという。

政治家としてやりたかったこと、そしてやるべきこと、これをいま一度しっかりと整理し、そして方向性を示す。それだけは総裁選挙から撤退するに当たっても、しっかりと示していく。そういった政治家の意地みたいなものはあった。

この記事は、ここで言われた「政治家の意地みたいなもの」をテーマにしているが、私が着目したのは、岸田氏が「政治家としてやりたかったこと」である。

3年前の8月26日、総裁選への出馬会見で、岸田氏は「国民政党であったはずの自民党に(国民の)声が届いていない」と訴えた。このことから察すると、岸田氏は「国民の声をよく聞く政治」を実現したいと考えていたはずだ。手っ取り早く言うなら、民主政治の実現、これが岸田氏の「政治家としてやりたかったこと」である。
これは本来なら国民政党である自民党(自由民主党)の党是とでもいうべきものだが、岸田氏は、自民党の現状は本来の(あるべき)姿から逸脱しているとみなし、自民党を、この(あるべき)本来の姿に立返らせようとしたといえるだろう。

だが、「国民の声をよく聞く政治」の実現、民主政治の実現といっても、それは所詮は受け身のスタンスである。岸田氏が一国のリーダーとして積極的・自発的に何をやりたいかは、イマイチはっきりしない。

首相側近ですら、『総理が何をやりたいか分からない』『政治家としてのストーリーがない』とぼやいていた。」

と記事が書く通りである。

岸田首相は先の不出馬会見で、原発再稼働や防衛費増額などの政策を自らの実績として「自負」したという。では、これらの政策が岸田氏の本来「やりたかったこと」なのかといえば、そうではない。

まず防衛費の増額だが、これは党内のタカ派や、アメリカの要求に従ってとられた政策だった。この政策を打ち出すに当たり、岸田氏が「国民の声」に聞く耳を持たなかったことは指摘するまでもない。

安全保障政策では、安倍氏や党の自称保守派への配慮、外務・防衛官僚、米国の意向が強く働き、国民への『透明性』のある説明は後回しにした。

また、原発の再稼働は、(先のブログ記事にも書いたように)経産省の官僚に踊らされた結果だった。記事は次のように書いている。

原発回帰でも側近の一人は『経産省にやらされた』と漏らし、『本当に総理がやりたかったのは経済だ』と明かす」。

ならば岸田氏は、経済の分野でなら「やりたかったこと」を実現できたのか。
残念ながら、そうではない。

「(岸田氏は)安倍派への配慮からアベノミクスからの明確な方針転換は打ち出せず、『新しい資本主義』もかすんだ。

その上で、記事は岸田政治を次のように総括している。

党実力者を頼って『やりたいこと』を封印し、結局その実力者から引導を渡された。

とすれば、これは皮肉としか言いようがない。
結局のところ、「国民の声をよく聞く政治」はどこに行ってしまったのか。
岸田氏は、自分が売り物にする「聞く力」を充分に発揮しようとしなかった。むしろあえて耳をふさぎ、国民の声を聞こうとしなかった。
それは自分が政治家として「やりたいこと」を行うためだったと言えなくもないが、その「やりたいこと」を岸田氏は実行することができたかといえば、そうではない。(国民の代わりに)党内の実力者に気を配るあまり、岸田氏はその「やりたいこと」を封印するしかなかった。
だとしたら、岸田なる政治家は「意気地なし」と言うしかない。何をか言わんやである。

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