ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「平成」の発表はどうだったか

2019-04-02 16:16:22 | 日記
そろそろおさらばとなる「平成」の時代だが、この「平成」の年号が発表された30年前の当時、私はどうしていたのだったか。残念ながら私にはその記憶がない。太縁メガネの小渕官房長官(当時)が「平成」の額縁をかかげた、あの映像はよく憶えている。だが、その映像を見ていた当の自分がどんなだったか、それがまるきり思いだせないのである。

想像するに、30年前のその日は、「平成」の額縁をかかげる小渕官房長官の映像が、四六時中テレビの画面で流されたのだろう。そして私は、何の変哲もない日常生活を送りながら、何の感慨も懐くことなく、退屈な眼でその画面を眺めたのだろう。この映像だけが妙にありありと記憶に残っているのは、その後、彼が首相に就任した折に、また、脳梗塞で死亡した折などに、その都度ニュース番組でこの映像を見せられたからに違いない。

それに比べると、昭和天皇が崩御したときのことはよく憶えている。そのとき私は、映画「火宅の人」のテレビ放映を見ていた。映画「火宅の人」は、檀一雄の自伝的小説を映像化した作品で、緒形拳が主役の檀一雄に扮していた。私が憶えているのは、緒形拳と松坂慶子の濃密なラブ・シーンである。そのラブ・シーンの最中に、「天皇陛下が崩御されました」と臨時ニュースが流れたのである。

このシーンはなぜ心に残っているのか。この映画を私は録画し、その後、このシーンを何度か見ているからである。濃厚な愛欲のセックス・シーンを見るたび、天皇崩御のニュースが流れるので、この「エロスとタナトス」の濃密な映像は、そのまま一つのセットとなって私の記憶に定着してしまったのだろう。

天皇の死と、映画の愛欲シーンを熱心に見つめる孤独な私とーー。この奇妙な取り合わせを滑稽とみるべきか、シリアスとみるべきか、私は適当な言葉を見いだせないが、いずれにしても、まあ、30年前のことである。

あれから30年がたった今、不思議に思うことがある。この文章を書くにあたって、私は、昭和天皇の崩御が何時何分だったか、改めて調べてみた。1989年1月7日の、午前6時33分とある。あれれ?午前6時33分だって?映画「火宅の人」は、そんな朝早い時間にテレビ放映されてはいなかったはずである。常識的に考えて、そんなことはまずあり得ないし、私自身もこの番組は、録画しながら夜の9時ごろ見たように記憶している。

しかしながら、録画したVHSのビデオ・カセットは紛失したのか、もうどこにも見当たらない。ビデオデッキのほうも、とうに処分してしまった。あの録画のシーンは、今となっては確認のしようがないのである。

それにしても、あの愛欲シーンでの天皇崩御のニュースは、いったいどういうことだったのだろう?私は幻を見ていたのか。それとも、無意識のうちに記憶の変造を行っていたのだろうか。ーー30年前の記憶について、あれこれ思いをめぐらせていると、首筋にスーと冷たいものが走るのを感じた。
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