ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

花見に行った日

2019-04-03 11:54:43 | 日記
朝日新聞の「折々のことば」もいいが、個人のブログでも心に残る言葉に出会うことがある。私が毎日のように覗かせてもらっているブログ「ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)」で、こんな言葉に出会った。

政治のあり様も、世間様も、無関心であっても無関係ではありませんから。

安倍内閣がどうこうのなんて、オレはそんなこと、ゼ〜ンゼン関心ないね、とうそぶいている若者も、安倍政権が取り仕切る国内政治の動きと無関係でいることはできない。だから閣僚の言動や、世論の動向にもたえず批判的な目を向け、糺すべきは糺していかなければならない。そういうことだろう。

ところで、このブログの主「ゴマメのばーば」さんは、こうも書いていた。

いつものようにアラームと共に起き、パソコンに向かわず、
ベットで手足を伸ばし、ゆっくりと今日のスケジュールや、取り留めのないことを考える・・・
これが実に充実感のある時間帯を過ごせたのでした。
あぁ この感覚、しばらく忘れていたかも・・・と。
そんなわけで、ここ数日間の朝の時間帯は、とても心地よいものでした。
以上。ブログ、お休みの理由でした。

遠方で暮らす長男夫婦が久々に帰省し、2泊して帰っていったという。その間、ばーばさんはブログの更新を中断していたが、記事を書かなかった時間は「充実感のある時間」だったというのである。

息子夫婦と一緒に過ごせた数日間は「リア充」として暮らせたということなのだろう。これを読んで、私はちょっぴり羨望の念を感じた。

私も含めて、ブログを書くたいていの人は、日々の空虚を埋めるためにそうしているのではないか。だからブログ書きをやめれば、残るのは空虚な時間だけ。つまり、ブログ書きは「リア充」ならぬ「リア空」、「リア虚」のヒマ人なのである。

その空虚を埋めようと考えたわけではないが、きょう私は電動車いすに乗り、近所の桜並木まで花見に出かけた。桜はちょうど見頃で、みごとな咲きぶりだった。ただ、とても寒い朝だった。冷たい西風が容赦なく吹きつけ、私の身体はすっかり固まってしまった。スマホで撮った桜の写真を、この記事に貼り付けるスキルがあればいいのだけれど・・・(非現実的願望)。
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