「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

「龍馬伝」最終回に見る、人生のしあわせの秘密!(弥太郎と龍馬の言葉)

2010年12月01日 | お昼間カフェ
おはようございます!

いやあ、すっかり、龍馬伝終了後遺症みたいですけど、

まあ、もう、2,3記事を挙げれば治るかな?(笑)。

まあ、そういう状況だと言うのに、まーた、昨日、「龍馬伝」の最終回を、

観ちゃいましたねー。いやー、映画みたいでしょ、あれ(笑)。

ほんと、これまでの「龍馬伝」を凝縮したような内容で、おもしろいですよねー。



まあ、それで、昨日見ていて、気がついたんですが、まだまだ、指摘していなかったあたりの話、

ちょろっとしてみようかなーと思います。ま、ちょろっとね。



しかし、龍馬伝最終回、最初の入り方は、ほんと、惹きつけるよね。

なにしろ、桂浜で、土佐勤王党だもん。そりゃ、さー、武市さーん、以蔵ー!って言いたくなるよね。

武市さんもさー、こう、あの捕まる日の朝の、全力の笑顔と変わらない、全力の笑顔。

まあ、よかったねー、あれ。

長次郎も、まんじゅう屋のかっこうで、いたわけで、リセットされているんだよね。

しかし、桂浜は、何度も出てきましたが、ほんとに、いい風景だよねー。

こう、あの風景に元気づけられた土佐人は、ほんと多かったと思います。

美しい浜だし、そういう意味じゃ、非言語コミュニケーションだったりするわけですよ。

言葉でなく、映像で、癒されるっていうことかな。

そういう非言語コミュニケーションが、たくさんあれば、あるほど、人生って、豊かになる、ということですよね。

龍馬も、桂浜に癒されていた、元気づけられていたんだろうねー。


そういう意味じゃ、いい風景の場所に住むって、やっぱり、人生にいい影響を与えるんですよね。

そんなことを思いましたねー。


その後、龍馬と弥太郎の話し合いになるんですが、ここで、弥太郎が、

「強烈に光輝く人間は、時にひとを傷つける」

みたいなことを言いますよね。これって、僕もうなづける言葉なんですよ。

でも、それは、若い時の話で、今はちょっと違う感じです。


確かに僕は、若い頃は、ほんとダメダメでした。

なんつーか、自分の人生に、自信が持てないわけですよ。まあ、仕事にね。

これ、一生の仕事として、やっていけるのか・・・と不安に思ったりして、まあ、人生真面目に考えているから、そうなっちゃうわけで、

でも、そういう状況の時って、やっぱり自分を追い込んだりするわけですよー。

苦い酒を飲んだりもしました・・・そういうのが、さらに自分を追い詰めたりするわけですけどね(笑)。

余計太って、女性からも、人気なくなるし、あの頃は、ほんと、負のスパイラルでしたねー。


まあ、そういうあたりから、いろいろ経験して、抜けだすことができて、まあ、今があるわけですけどね。


まあ、でも、その時代、やはり光り輝く人間を見て、うらやましいと思ったものです。

でも、そこで、思ったのは、いろいろな形で、ひとは、輝ける、ということかなあ。

仕事で輝くだけでなく、趣味で輝いたり、普段持っている雰囲気がよかったり、そのひとなりの、輝き方がある。

それを知ったからこそ、自分なりの輝きを考えていけたんだと、思いますね。


なんだろ、うらやましがっているだけでなくて、そこから、抜けだして、自分なりに自分が輝く方向性を見出して行ったのが、その時代だったかなあ。


そういうのが、結局、自分の人生に、自信を与えていくことになるんですね。

やっぱり、真面目に自分を考えるからこそ、自分を変えていける、ということだと思うんですよ。


確かに、お酒に逃げていた時代もありました。でも、それは、

「自分の人生、これでいいのか?」

と、考えるから、そうなるわけで、その問いは、ずっと消えませんでしたね。

自分を否定していたんです。だから、自分に自信を持てるわけがない。

そんな男性、好きになる女性は、いませんよ。

だから、余計落ち込むわけですけど、最後、自分を自分のまま、残れたのは、

やっぱり、

「自分を最後まで信じていた」

ということだと思いますね。もう、これ以上下がったら終り、というところで、僕は、僕を信じていた・・・それが、新たな自分を生むきっかけになったと思いますね。

まあ、そのあたりで、僕は、重度のうつ病をやっているわけです。もう、今にも死んじゃうんじゃないか、自傷行為が、発展して、自分を殺しちゃうんじゃないかと、

怯えながら生きていた、そんな時期です。もう、最悪の時期でした。誰も頼れないし、もう、周りには誰もいなかった。


そんな時にね。

「僕にはまだ、いい所、たくさん、あるじゃないか。死ぬほどのことがあるかよ。僕は、自分のいいところを知っている」

ほんのちょっとした事だったと思いますが、そんな風に思えたんですね。つまり、追いつめられて追い詰められたからこそ、最後に、本音が出た。

最後に、自分の信じるべきところを、見つけたんでしょうね。


そこから、僕はリカバリーしました。まあ、いろいろありましたが、今の仕事について、自分に自信も出来て、こんなブログまで、やっている。


それは、やっぱり、自分を信じたからこそ、歩けた道だと思いますね。


失敗からのリカバリーを経験すると、成功体験をただただ歩いて来るより、より多くの経験を積むことができます。それは、まるで、スーパーサイヤ人が、

死にかけてから、復活すると、さらに成長するようなものです。というより、スーパーサイヤ人の設定の方が、人間のそういう成長の特徴を取り入れたんだと思います。


だから、そのころから、自分は大きく成長したし、ちょっとした失敗なんて、へとも思わなくなりました。


「おお、これで、同じような失敗は、今後しないで済むじゃん」


くらいに思うようになれた。鷹揚に物事に対処することができるようになったわけです。

これね、すべてのことに言えます。だから、どんどん、さらに成長していくんですね。

よいスパイラルに入ったのだと、思います。


そうなると、自分にどんどん自信ができるから、前へ前へ出るようになる。結果、自分なりに行動できるようになる。

このブログだって、たくさんの経験を僕に、くれました。

いろいろな成長をすることができたんですね。


ちょうど、明日で、ブログ開設、1年になります。

もう、一年か・・・というのと、まだ、一年か・・・という気持ちがあります。


でも、うれしいですね。去年の僕とは、比べ物にならないくらい、いろいろな考え方が進んだし、ガンガン否定されたって、

「それは、あなたの考え方でしょ?その根拠は?お互い意見を戦わそうじゃありませんか!」

と、言えるようにもなった。否定されることをこわがって逃げる自分は、そこにはいない。

議論の開始としか、それを見ない。

少なくとも、このブログを始めるまでは、否定されることを、極度に怖がっていたと思います。

なんだかんだ、言っても・・・。


でも、今は違う。そういう強い意識を持てるようになったし、やはり、ブログをやったからこそ、そういう成長が見られたんだと思います。


龍馬が言いましたよね。

「ひとがなんて言おうと、構わない。僕がやることは、僕だけが知る」

的なこと。あれ、どこかで聞いたことがあるから、多分、実際に、龍馬が言ったことなんでしょう。


僕は今、こっちの気持ちなんです。

「誰から否定されようと、なんとも思わない。その根拠について、議論を戦わすだけだ」

「それより、僕がこれからやっていこうと考えていることは、僕だけが、知っているんだ」


龍馬と、つながった・・・と思いましたね。


人生というのは、結局、何をやったかで、評価されるんです。


だから、僕はよく言いますが、

「人生やったもん勝ち」

なんです。つまり、

「やらなかったら、負けてしまう」

んです。


他人のあり方を揶揄するより、自分が何をやるかです。

それによって、人生は決まっていく。


TMネットワークの古い唄に、

「待っているだけの大人にはなりたくはない」

という、一節があります。


僕はこの言葉に、当時、大学生の頃、強く共感しました。

でも、じゃあ、何をやれば、いいのか、全然、わからなかった。


今は、わかっている。

いろいろな経験が、それを僕に教えてくれたから。


他人をうらやましがっているだけでは、何も始まりません。

自分の人生を真面目に考えるなら、自分の良さをまず、見つけることだと、思います。

そして、それを、最大に自分の良さとして、使っていく、それが、今の自分を変えていく、強い力になっていくと思います。


人間は成長があってこそ、変わっていける。


僕は、この瞬間も、いつまでたっても、成長を続けていきたいと思います。


自分の人生のために。

そして、愛する人達のために。


って、なんだか、「龍馬伝」の話をしていたのに、人生のしあわせ獲得の話になってしまいましたねー。


まあ、いいか。こういうのも、たまには。


それだけ、あの弥太郎の言葉と、龍馬の言葉には、重要ななにか、が、隠されていたのでしょうね。

人生を考える事、それは、自分のしあわせを考えることです。

毎日考えても、いいんじゃないですかね!



いやあ、長くなっちゃいました(笑)。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございます!

次回、また、お会いしましょう!


ではでは。


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