「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

「龍馬伝」の龍馬のつまらなさは、何故か!(金曜日の自由論考!:日本人的美学からの論考)

2010年06月18日 | 日本人の秘密
おはようございます!

今日から一週間は、天気が悪いとか。

もう、すっかりつゆですね。

週末も雨かぁ・・・。

仕方ないですねー。

ま、こういう時は、自転車以外のことで、

週末を楽しむだけですかね!

ま、ゆるやかな気持ちで、楽しめればいいわけですから、

打つ手は無限にありますね!


さて、今日は金曜日の自由論考の日、ということで、何を論考しようかなあ、と考えていたのですが、

最近、「龍馬伝」の龍馬がつまらない!と感じられているので、

「んじゃ、史実の龍馬のおもしろさって、何?」

という考えが、浮かんだので、史実の龍馬のおもしろさ、について、論考してみましょうか!

いやあ、どんな結論になるのか、全然わかりませんけど、まあ、楽しくやってみましょうか!


というわけで、冷たいバヤリース・マンゴーをぐびびと飲んでゆるゆると論考に入っていきましょう!


さて、史実の龍馬と言えば、薩長連合を後押しし、大政奉還を献策し、自分の海運業を海援隊として進めた人物として、

知られています。ま、このひとのおもしろさ、っていうのは、規範にとらわれずに、事実だけを求めた、ということなんですね。

史実の龍馬は、論考者です。事実を引き寄せるべく、いろいろと論考した人間なんです。

江戸東京博物館で、開かれていた「龍馬伝」展で、いろいろな龍馬の書簡を見ましたが、彼は、書簡を書くことで、

自分の考えをまとめているわけです。つまり、龍馬にとって、書簡を書くことは、自分の考えを進めることでも、

あったんですね。書簡を書きながら、どうやったら、望みの事実を引き寄せられるか、考えていた。

そこで、考えをまとめることによって、少しずつ事実を引き寄せていった人物なんですよね。

よく、龍馬のすごさ的な話として語られるのは、最初に龍馬に会ったときは、千葉道場の塾頭だった。

次に会ったときは、ブーツを穿いていた。そして、次に会ったときは拳銃を持っていた。

そして、最後に会った時は、

「これからは、これじゃ」

と言って万国公法をもっていた、というあたりですかね。

これ、こういうストーリーを龍馬がつむいだのには、わけがあって、彼が頭がよかったとか、先見の明があった、

というわけではなく、彼が精一杯事実を引き寄せようとがんばっているから、結局、いろいろな経験を

誰もしたことが無いような経験を龍馬がして、そこから、新しい着想がわく、ということを現しているんですね。

確か拳銃は高杉晋作から送られたモノですけど、彼は幕吏に追われる身になってしまったから、

高杉がその身を心配して、拳銃を送ったわけです。まあ、幕吏に追われる身なんて、

要は、自分の海運業のために、幕府はつぶすべき、と論考して、その事実を引き寄せようと、

いろいろやったおかげで、そうなっちゃったわけですから、結局、彼自身がその事実を引き寄せているわけです。

万国公法も、紀州藩の船と海援隊所属の船が、衝突したおかげで、訴訟になったから、万国公法を使って

訴訟に勝利した、ということがあったから、龍馬は、万国公法を持っていたわけで、

すべて経験からくることなんですね。それも、元々万国公法を知っていたわけではなく、

この訴訟を勝つには、万国公法を利用したほうがいい、という話をしてくれた誰かがいたから、

訴訟に勝つ、という事実のために利用したに、過ぎないんですね。

万国公法を知っているから、素晴らしい、という評価ではなく、

龍馬というのは、そういう訴訟に勝つ!という事実を引き寄せるためには、何でも使ったというところに、価値があるわけです。


これ、非常に信長との相似性を指摘できるところで、論考者というのは、事実を引き寄せるために、

なんでもやりますから、結果、事実を引き寄せるという現実を引き寄せるんですね。

信長も、そういう意味では、同じで、日本を平和にするためには、どうしたらよいか・・・というところから論考に入った信長は、

事実を引き寄せるために何でもやって、新しい着想、鉄甲船だったり、つねに勝てるいくさをしたり、

斬新な人間として、僕らの目にうつるわけですが、別に天才だったわけじゃないんです。

敵に勝つためには、どうしたらいいか、

を論考しぬけば、普通に燃えない船をつくればいいじゃん!

あ、じゃあ、鉄を船の防御に使えばいいじゃん!

という風に着想がわく、というわけで、それが普通なんですよ。

勝つためには、敵より兵力を多くすればよい、特に尾張兵は弱いから、敵の3倍くらいあれば、

勝てるかな、と論考して、それを実際に、やっているから、勝てる、ということで、

いくさというのは、いくさにゆく準備の段階で、結果は決まっているものなんですね。


そういう風に事実を引き寄せることに、熱心に論考したから、信長も龍馬も、やり方も自由に、事実を引き寄せることができたんですね。

船中八策についても、別にその元となる考えを提出した人間がいるわけです。

ただ、それだけではだめだった。

それをうまくアレンジし、新政府の要職になる人間に龍馬が提示したから、それが、実際に使われたわけで、そこに龍馬の功があるわけです。

事実として引き寄せるにはどうすべきか。

これが、論考者の考えることなんです。

ただ、アイデアを出しただけでは、だめなんです。それが実施されるには、どうしたら、できるか。

そこを、考えて実行できるのが、論考者なんですね。


龍馬は、そういう部分に長けていた。だから、多くの事実を現実にしたんです。

例えば、薩長同盟だって、この雄藩二藩が手を組めば、幕府を倒せるということは、当時の人間は、誰でもわかっていたと思うんです。

でも、それを実際に行ったのは、龍馬だった。

龍馬は、それを実現するために、あらゆる手をうった。だからこそ、龍馬に価値があるのです。

結局、人間の評価とは、何を成し遂げたか、につきるわけです。

求める事実を引き寄せたか、引き寄せなかったか、それにつきるわけなんですね。


僕は人間とは、やったもん勝ちだと思っています。

人間として生きているなら、自分を信じ、大きく世間に踏み出すべきだと考えています。

そして、自分の望む事実を引き寄せてこそ、回りから評価を得られるのだ、と思っています。

そういう人生を歩んだ人間が、龍馬であり、信長だったのだ、と改めて思うんですね。


ただ、論考者というのは、突出していきます。

だから、結局、悪目立ちもするし、論考者の深い考えに及ばない人間達によって、殺されてしまったりするわけです。

論考者の価値のわからない人間によって殺されてしまうわけです。

だから、龍馬と信長というこの論考者二人は、多くの点で、相似性を指摘できるわけです。

二人とも暗殺された、という事実をみたとき、僕らは論考者の悲劇性を感じることになるわけです。

信長は、光秀によって、

「あ、信長様は、天皇を殺すつもりだ」

と誤解されて殺されました。

信長は、天皇を、利用しまくるつもりで、安土城下に、天皇の御座所である大極殿まで、作っているというのに、

物事のわからない馬鹿が、カン違いしたんですね。

日本人のこころの中心にあったのは、それまで、天皇でしたから。

それに、手をつけた人間は、すべて殺されています。日本の歴史では。

だから、信長も殺されてしまったわけです。誤解された上で。


龍馬は、利害の異なる人間に殺されたのでしょう。

彼が生きていては、自分らが実現しようとしている事実がじゃまされると感じた、人間に。

まあ、薩摩の西郷愛の人間でしょうね。

西郷や大久保は、龍馬の人間的価値を知っていますから、その下にいる、人間の価値のわからない馬鹿が、命令したと考えますね。

それが、龍馬の死につながった。そう僕は考えています。


結局、龍馬のおもしろさ、とは、事実を引き寄せるために、規範に捕らわれず、行動し、そして、多くの事実を引き寄せた、というところなんでしょうね。

そのストーリーがおもしろい。あらゆる手段をつかい、シビアに事実を引き寄せていく、そのストーリーがおもしろいのだと思います。

今の「龍馬伝」の龍馬には、そういうところが、あまり描かれていない。

だいたい、龍馬が主体的になにかをやったというストーリーがあまりない。

だから、つまらないんでしょうね。


人間は、やったもん勝ち。

この言葉は、僕の座右の銘でもあります。

だから、僕はずんどこいろいろな施策を講じて、望みの事実を引き寄せて行きたいと思います。

論考者は、望みの事実を引き寄せる。

僕もずんどこ事実を引き寄せて、しあわせになっていきたいと思います。


と、なんだか、結論は、自分のしあわせ宣言みたいなってしまいましたが、

まあ、「龍馬伝」の龍馬が、なぜ、つまらないか、も、論考できたようですね。

そういうストーリーが後半描かれるのかもしれませんが、今はちょっとねえって感じです。

ま、あまり深く考えず、ただのドラマなんだから・・・といなしていきますかね。


さて、今日もここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、月曜日の歌詞論考で、お会いしましょう。


ではでは。

最新の画像もっと見る