「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

オトコの評価は、同時代の世間と最後は同時代のオンナが決めるモノ!「足利義昭さん」!

2014年10月06日 | 夜の日本学


一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。

彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。

「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「先人考察編」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」

と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。

「うん。そうだな・・・今日は足利将軍家シリーズとしては取り上げないわけにはいかない、足利将軍家最後の将軍「足利義昭」をとりあげてみようか」

と、タケルは話し始めます・・・。


さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。


「タケルさんは前回の「先人考察編(男性)」で足利義政を取り上げた時に」

「「「将軍の性格ポテンシャル」と「将軍の判断力ポテンシャル」を義政が無くしたばっかりに足利将軍家が「求心力」を失い、幕府の機能を失い、日本の秩序が破壊され」

「「その結果、守護大名が勝手に私戦を始め、それが「応仁の乱」及び戦国時代に突入するきっかけとなった」と、していますね」

と、レイカは言葉にする。

「・・・となると、この足利義昭に対する、タケルさんの評価はどうなりますか?」

と、レイカ。

「うーん、僕から言わせると、血に頼らざるを得なかった足利将軍家の「出がらし」・・・程度の評価かな」

と、タケル。

「足利義昭と言えば、上杉謙信や武田信玄、本願寺や毛利家など、いわゆる信長包囲網を作り上げた人物として有名ですけれど、それは評価しませんか?」

と、レイカ。

「別に足利義昭が書状を送らずとも、自然と織田信長は、それらの武将達の敵になったから、彼の存在は別に必要ないんだ。人間的にもだらしがないし」

「歴代の足利将軍家が行ってきた、禁裏修繕もしていない事から朝廷からも非難があがっている。吉田兼見は前将軍の足利義輝と比較しても」

「その行動が不誠実としているんだから・・・足利義輝も相当お金に困っていたにも関わらず、義務を果たしているところを比べても」

「足利義昭の、その人物像は「義務を果たさず、自分のしたい事だけする・・・単なるわがまま」と客観的に評価してもいいと思うね」

と、タケル。

「将軍としてのプライドだけはあるようですけど・・・でも、信長に上洛させてもらった後、その信長とあまり年齢は変わらない(信長が3,4歳上なだけ)のに」

「その信長を「御父」と呼んだのはあまりにも有名な話ですね」

と、レイカ。

「人間的に軽い人物なんだよな。重厚さの欠片もない。この人はいろいろ流浪したり苦労したりはしているんだけど、それが身にならないタイプの人間だったんだろうね」

「そういうタイプの人間っているじゃん。なにもかも人任せで「きっと誰かが助けてくれる」って、常に思っていて「なにしろ、自分は足利将軍家の血筋じゃから」的に」

「思っているからこそ、常に「他力本願」だから、一切、成長しないわけ。だから、人間的な中身は「空疎」。まあ、究極の「かまってチャン」だろうね、この人」

と、タケル。

「でも、「信長包囲網」を作り上げた人物としては、戦国時代の中でも高い評価を受けれる戦略家と言う見方も一方ではあるようですけど・・・」

と、レイカ。

「いいかい。その人物を評価する時に大事なのは、「その人物がいなければ、その事実が現実化しなかったかどうか」と言う視点が大事なんだ」

「例えば信長がいなければ、秀吉も家康も「天下統一」など出来なかっただろう。信長がいい意味でも悪い意味でも「天下統一」実施者のモデルになったからこそ」

「後年の秀吉、家康の活躍があるんだ。だからこそ、信長の存在の評価は高いんだ」

と、タケルは言葉にする。

「・・・それに比べて、足利義昭が存在していなくても、「信長包囲網」は信長に反発する武家や宗教組織によって作られていた事は確実視出来る」

「であるなら、足利義昭の価値はないだろう?足利義昭でなければ出来なかった事があるなら、足利義昭に価値も出てくるけど」

「結局「義務を果たさず、自分のしたい事だけをする・・・単なるわがままにして、究極のかまってチャン」なんだぜ・・・あとは推して知るべしだよ」

と、タケル。

「なるほど・・・確かにそう言われれば、彼に価値はありませんね・・・」

「・・・とりあえず、足利義昭の人生を見ていきますけど・・・彼は僧として興福寺に入れられ、「権少僧都」にまでなっているんですね」

「そのままいれば、興福寺の別当(当主)となっていたようですね・・・」

と、レイカ。

「「権少僧都」と言えば、大雑把にいって、少佐の手前、大尉の上くらいの位階だから、まあ、管理職には向いている性格だったんだろうね」

「管理職に向いている性格ってのは、要はサラリーマン的思考しか出来ない人間ってことで「長いものには巻かれろ」的価値観を持ち」

「「勉強だけが得意な「学級委員脳」」の「知識者」の「俺偉い病」にして「思考停止者」、だから、プライドだけは高いけど」

「空気は読まないし、読めないし、勉強した事しか身につかない。要は経験から学ぶ事が出来ない。だから、「知恵」も出来ない」

「・・・ま、「他力本願」だから、一切成長出来ないんだから、どうしようもない「かまってチャン」ってところだろうね」

と、タケル。

「うーん、彼って調べてみると、いろいろ放浪しているんですよね。結構苦労しているはずなんですけど、それが身になっていないイメージですね」

「常に自身の血の価値のみを信じ、常に他力本願だから・・・他者が自身の為にチカラを尽くしてくれるのが、「有り難い」ではなくて「当然」と考えているから」

「ある意味、「傲岸不遜」と考えてもいいんですよね、日本人としては・・・」

と、レイカ。

「「知識者」の「俺偉い病」にして「思考停止者」そのものだね・・・成長しないはずだ・・・」

と、タケル。

「彼は還俗した折、名を「義秋」と名乗っているんですね・・・これは秋の字が「冬に向かう、不吉な字」と識者から指摘されて、その後、義昭とするんですが」

「このあたりもセンスが悪いというか・・・「足利将軍家に連なるぞ」という大志があれば、最初からわかるだろうにって思いますね」

と、レイカ。

「まあ、風流に「秋」の字を選んだんだろうけど・・・自分の置かれた立場を理解していない発想だね」

と、タケル。

「足利義昭と言えば、信長の権威的後ろ盾となった後、上京し、カタチばかりの室町幕府の再興を遂げますが・・・」

「その後、絶対の権力者、織田信長に、1569年に「殿中御掟」と言う掟を言い渡されていますね・・・」

「それが、結果的に21箇条になるんですが・・・例えばその裏を返すと足利義昭がいろいろ独断でやっている事が見え隠れします」

と、レイカ。

「例えばどんな事?」

と、タケル。

「幕臣が信長の許可も得ずに将軍と直接話し合ったり、訴訟を直接将軍へ直訴したり、申次を経ずに将軍と話したり・・・陰陽師を呼んだり」

「比叡山の僧兵を屋内にいれたり、僧侶や門跡を屋敷内にいれていたみたいですね、足利義昭は・・・」

と、レイカ。

「さらには・・・追加の掟で指摘されているのは、こそこそと秘事を企画して御教書を全国の大名に出して、信長討滅を図っていると言うことですね、義昭が・・・」

と、レイカ。

「それが信長包囲網ね、いわゆる・・・」

と、タケル。

「面白いのは・・・義昭が全国の大名に領地を与えていたらしいんですが、それに対して「義昭には領地が無いのだから、信長の領地から都合をつけること」なんて」

「のもあって・・・信長は、義昭の妄想気味の性格を治そうとしたんでしょうかね」

「・・・あと「天下が太平になったのだから、将軍はちゃんと儀式をやれ」みたいな事も書いてあって」

「義昭の怠慢ぶりを指摘する条項もありますね・・・」

と、レイカ。

「さらにその中でも、すごいのは「信長は将軍の上意なくとも、信長の判断で成敗出来る」としているところで」

「・・・要は将軍などカタチばかりであって、権力を握っているのは、この信長なのだ・・・と宣言しているところなんですね。これすら理解していない義昭は」

「何も見えていない妄想狂と言ってもいいでしょうね」

と、レイカ。

「妄想狂か・・・それはドンピシャな表現だね、足利義昭に対する・・・」

と、タケル。

「その後、悪癖の止まない足利義昭に対し、信長は21箇条にも及ぶ意見書を出しているのですが・・・この中でも面白いのが・・・」

「「諸事につき欲が深く、理も非も外聞も気にかけられぬ公方様と世間は言っております。そのため、何も知らぬ土民百姓までが悪将軍と呼んでいます」」。

「「普光院(足利義教)殿がそのように呼ばれたと言われていますが、それならば格別な事であります」」。

「「何故そのような陰口を言われるのか、よくお考えになって、御分別を働かせていただきたいものです」と言うところですね・・・」

と、レイカ。

「ほう。信長は足利義教の存在にもちゃあんと気づいていた証左にもなるけど」

「・・・足利義昭って、この人、幕府の米を密かに売りさばいて、お金に換えたりもしているんだよね」

と、タケル。

「ええ、それも指摘されてます。「商売をする将軍など見たことも聞いたこともない」みたいに書かれています」

と、レイカ。

「なんだか、このあたりを見ていると・・・すっげー、似た人間を思い出した・・・」

と、タケル。

「そのタイミングで・・・タケルさんに改めて聞きますが政治家の評価と言うのは、どのように具体的にやればいいんでしょう?」

と、レイカ。

「ま、基本的にはどのような事をやり、日本の歴史にどのような影響を与えたか?という視点で眺めればいいのかな、と思うね」

「あと、同時代の世間からの評価と同時代の女性に愛されたかどうか?と言うのも大事な視点になると思う。あとは当然、似た政治家との比較かな」

と、タケル。

「足利義昭に似た政治家・・・誰か思いつきますか?」

と、レイカ。

「血筋に絶対のプライドを持ち、わがまま放題だった政治家にして、カネに汚く、自分によくしてくれた人間には褒美をやりまくって」

「秩序の崩壊を招いたオトコ・・・もちろん、忠臣に意見書を書かれた事も共通している・・・」

と、タケル。

「そのオトコの名は?」

と、レイカ。

「この日本で最もダメな政治家・・・南北朝を創りあげる原因ともなった・・・後醍醐天皇その人だよ・・・」

と、タケル。

「いましたね・・・わがままで、嘘つきでカネに汚い・・・最悪な政治家だった後醍醐天皇・・・確かに、足利義昭のあり方とそっくりですね」

「彼も忠臣と言われた、北畠顕家にその行いをたしなめる意見書を出されていました」

と、レイカ。

「結局、血脈にしかプライドの無い人間は、同じあり方になると言う証左かな、これは・・・」

と、タケル。

「でも・・・足利義昭と後醍醐天皇を見比べると・・・まず、歴史的な価値と言う点で見れば、後醍醐天皇は理由はどうあれ、機能不全状態に陥っていた」

「鎌倉幕府を倒し、新たな秩序作り・・・言わば秩序のリセットを行った際の権威の後見人役を務めています」

と、レイカ。

「そうだね・・・そこは大きい価値だ。まあ、彼には当時最新の政治的知識宋学があったから、その知識を背景にした天皇親政の世を実現しようとした意欲は買える」

「ただ、時代はすでに武家中心の時代になっていたし、彼が考える程、後醍醐天皇自身に政治の才能が無かった・・・と言うのが実際のところだけどね」

と、タケル。

「宋学・・・彼は真言立川流を基本とした考えを持っていたんですよね?男女の交合の時に女性が分泌する愛液をドクロに何千回と塗って、秘具を作り」

「それをご神体に見立てる政治・・・まあ、一見卑猥そうですけど、男女の交合をこの世のしあわせの象徴と見る考えは世界中にあるし、言わば素朴な考えなんですよね」

「柿本人麻呂が奈良時代に日本人のしあわせのカタチとして見つけた「玉藻成す」だって、要は男女の交合こそ、日本人の最高のしあわせのカタチと」

「言っているようなモノですからね・・・」

と、レイカ。

「さらに言えば、同時代の世間的評価と言う点で言えば・・・後醍醐天皇は、政治を始める迄は、英雄として見られていたわけですから・・・」

「彼は天皇親政などやらずに、政治は足利尊氏に任せて、天皇として、権威の絶頂を味わえばよかったんですけどね・・・」

と、レイカ。

「ま、そういう判断の出来ないわがままちゃんだったんだよね・・・後醍醐天皇は・・・」

と、タケル。

「もう一点・・・同時代の女性の評価と言う点で言えば、後醍醐天皇には、付き従った女性が・・・三位局とも呼ばれた阿野廉子がいました」

「彼女は隠岐にも付き添い、京にも付き添い、その後、後醍醐天皇が吉野に脱出した時も付き添っていて・・・彼女の信頼厚かった後醍醐天皇と言う構図が」

「見られます・・・」

と、レイカ。

「それに対して足利義昭は、どうだったかな?」

と、タケル。

「歴史的には・・・織田信長が京にデビューする時の権威の後見人役・・・それは足利尊氏に対する後醍醐天皇と全く同じあり方になりますね」

「でも、タケルさんが指摘した通り、その後、彼は歴史的には、無用の長物となります。権力者信長は、意見を言わないそれ以上の権威、天皇を利用しだしますし」

「室町幕府も実際には無用の長物と化していますしね・・・」

と、レイカ。

「同時代的な世間の評価と言えば、上でも見ましたが・・・」

「「諸事につき欲が深く、理も非も外聞も気にかけられぬ公方様と世間は言っております。そのため、何も知らぬ土民百姓までが悪将軍と呼んでいます」」

「ですから・・・最低の評価ですよね・・・」

と、レイカ。

「さらに言えば、彼の周囲に名のある女性がいない。まあ、側女や手伝いの女性などはさすがにいたのでしょうけど、三位局とも呼ばれた阿野廉子程の女性は見えない」

「・・・悪将軍と言われた足利義教とは実績的にも月とスッポンだし、彼の場合、単なるアホと言う評価ですから、名のある女性には蛇蝎の如く嫌われたと」

「考える方が自然でしょうね・・・」

と、レイカ。

「ま、同時代の女性に嫌われるようじゃ・・・それがそのオトコの評価を端的に語るよね・・・」

と、タケル。

「このオトコ、最後は秀吉に拾われ、一万石の大名にしてもらい、「唐入り」の肥前名護屋城にまで、従軍したようですよ」

「元将軍として、他の武将に崇められ、秀吉の御伽衆に加えられて、秀吉のいいおしゃべり相手だったとか・・・このあたりが彼にとって」

「一番過ごしやすい時代だったかもしれませんね・・・」

と、レイカ。

「結局、オトコとは、最終的には、自分の能力に見合った場所に流れ着くと言う事だろう。秀吉のおしゃべり相手くらいが、足利義昭の最も見合った場所だったんだろうね」

と、タケルは結論を言い抜いた。


「タケルさん・・・足利義昭と後醍醐天皇の共通点を最後に見つけました」

と、レイカが言う。

「ほう、どんなところ?」

と、タケル。

「時代は、もう、自分に出番を与えていないのに、勝手にしゃしゃり出てきて政治をやろうとして、否定された・・・時代の見えないアホ」

「・・・それこそ、足利義昭と後醍醐天皇の最終的な評価です」

と、レイカ。

「・・・二人とも、時代の見えないアホか・・・いい結論だ」

と、タケルは笑った。


「さて、結論も出たようだし、んじゃ、レイカちゃん、今日も飲みに行こうか」

と、タケルは言葉にする。

「はい、どこまでもお供します」

と、レイカは言うと、赤縁のメガネを取り、髪を解いた。


(おしまい)


結局、人間とは、同時代の世間と同時代の女性が端的に評価してくれると言う事でしょうね。

後醍醐天皇と足利義昭・・・非常に似ているけれども、同時代の女性に最後まで愛された後醍醐天皇と、

女性の影の見えない足利義昭・・・そこに大きな違いがあったと言うことでしょうね。


結構、楽しめた、今回になりました。


ではでは。

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