おはようございます!
昨日もいい天気でしたね。
今日もいまのところは、いい感じなので、
このまま、いってくれると、うれしいわけですが、どうでしょうね!
まあ、気持ちのいい時間が、それだけ続くことを祈っているわけですけど、
まあ、どうなるかは、天候次第というところでしょうか!
さて、今日は新しいシリーズを開始してみましょう。
えー、僕は「村上朝日堂」あたりからの村上作品ファンなんですが、
実は1Q84が読めてません。というわけで、このブログのネタにすれば、
読むことになるだろう!ということで、まあ、1Q84をテキストにしながら、
村上春樹の世界というものは、どういうものなのか、という感じで、論考してみようかな!
ということです。まあ、村上春樹作品というのは、読み味を楽しむタイプの作品ですけど、
意味しているものも見てみようじゃないか!ということで、そんなあたりが論考できたら、
楽しいかもしれませんね。ま、やってみましょう!
つーか、一週間に一回でやっていったら、いつまでかかるんだろうねー。
ま、のんびりいきましょう(笑)。
ま、第一章をテキストにしていきましょう。「見かけにだまされないように」です。
さて、どんなことになるか、ゆるゆると初めていきましょう!
さて、まず、ここでは、我々読者にまず、印象づけをしようとして、
「ヤナーチェクのシンフォニエッタ」
という音楽について語られています。
この手法は村上氏の他の作品でも使われていて、確かノルウェイの森の冒頭部分でも同じような形で、
「ビートルズのノルウェイの森」
がかかっていましたね。
「ヤナーチェクのシンフォニエッタ」
というアイテムを使って、主人公の性格、ひととなりを説明しようとしているわけですが、
このアイテムはあまり誰も知らないもので、その知性というものを表現しているわけです。
主人公である青豆さんは、歴史がお好きだそうで、常にクラスで最高だったそうです。
まあ、だから
「ヤナーチェク」
すら知っているという印象を持たせているんですね。
つまり、青豆さんは、知性的だ、と言う事を強調している、ということなんですね。
さて、青豆さんの父親、母親は、実家と義絶しているということで、
基本マイナスな環境から入るのは、小田さんの「言葉にできない」を論考したときに出てきた通り、
いい方向へ行く物語のお約束なわけです。だから、物語が進むとその義絶状態から、
プラス方向へ進むということかもしれませんね。
彼女は名前に関して名乗るのがいつもおっくうだった、としています。
まあ、そりゃ、そうだろうというわけで、青豆さんの説得力をあげるために、そこに小さなストーリーを挟み込んでいるわけです。
「もし、自分が青豆なんて名前だったらどうなるかな?」
と考えて、ちょっとしたストーリー、名前を名乗ると、相手はいつも不思議そうになるとか、くすくす笑われるとか、
そういうストーリーを入れることで、青豆さんの説得力をあげている、というわけです。
というわけで、村上氏は、このとき、青豆さん、そのひとになって、いろいろな説得力のあるストーリーとつづっているわけですね。
そして、
「私がありふれた名前だったら、私はもう少しリラックスした人生を送り、もう少し寛容な目で世間を眺めていたかもしれない。あるいは」
という言葉につないでいます。ということは、これが言いたいから、青豆という変わった名前を主人公につけた、んですね。
つまり、寛容でない女性を主人公にするために、青豆という名前をつけた、ということになるわけです。
さて、ここで、青豆さんは、唐突にかかっている音楽に耳を傾けます。するとどうでしょう。実はめちゃくちゃいい音で、音響機器もすごいものだし、
さらに、車さえ、遮音に特化した車だったことに気づくわけです。これは、何を意味しているのでしょう。
つまりは、非日常性の展開ということなのでしょうね。
日常にある非日常性。日常にいたはずなのに、突然迷い込んでしまった非日常。そういう演出がなされています。
そして、そのあとに、こういう言葉が綴られます。
「運転手の話し方には何かしらひっかかるものがあった。常に大事なものごとをひとつ言い残したようなしゃべり方をする」
「たとえば(あくまでたとえばだが)トヨタの車は遮音に関しては文句のつけようがないが、ほかの何か関しては問題がある、というような」
このことが、青豆さんを落ち着かない気持ちにさせる、ということで、主人公を不安にさせることで、読者のこころを不安定にさせているわけです。
主人公を、非日常に迷い込ませ、さらに、歯にモノのひっかかったような言い方をすることで、読者の気持ちを不安定にさせているわけです。
なるほどね。そーゆーことだったのか。
そして、青豆さんは、運転手になぜ、こんな車と音響装備にしたのか、聞くわけです。
でも、運転手は、今度は、理由を語りながら、尻切れトンボになるわけです。
これも、読者の不安定感について拍車をかけている効果をあたえているわけですね。
次に青豆さんは、重大なことに気づくわけです。
「わたし、クラッシックのファンでもないのに、なぜ、ヤナーチェクを知っているのかしら」
まあ、セリフ調に書くとこんな感じなんでしょうけど、知りも知ないのに、その知識が音を聞いた途端に反射的に浮かんできた、という奇妙な
物語をつづっているわけです。そして、
「その音楽は青豆に、ねじれに似た奇妙な感覚をもたらした。痛みや不快さはそこにはない。ただ身体のすべての組織がじわじわと物理的に絞り上げ」
「られているような感じがあるだけだ」
という感覚の表現があり、この不思議物語の感覚というのを表現しているわけです。そして、この感覚は「シンフォニエッタ」にもたらされている、と
しているわけです。
おもしろいですね。主人公の説明づけとして、高い知性と不寛容さを設定する。
そして、その主人公が、非日常に迷いこみ、そのこころを不安定にさせ、さらに不安定感の拍車をかける。
そして、知りも知ない知識が音楽を聞いただけで湧き上がる、という現実的でない話を語り、さらに読者の不安定感を煽り、そのときの感覚を語ることで、
読者にそういう感覚を疑似経験させる。それらは、すべて「シンフォニエッタ」によるものだ、と語る。
なるほどー、小説の表現というものは、こういう構成をするものなのね。
だから、ある意味、読者のこころをうまく動かしているということなんですね。女性が村上作品を好む、という傾向にあるようですが、
抽象的なモノが好きという女性の好みにあっていますね。そして、こころを動かしてくれる。女性が好むわけだ。
さて、ここから今度は、青豆さんの冒険が始まるわけです。
渋滞というわけで、目的地へ時間までに着かないことが運転手から告げられるわけです。
そして、高速道路にとりつけられている非常階段を使えば目的地に時間通り行ける、と告げられた青豆さんは決断を迫られるわけです。
そして、決断する女性という、女性が好きな物語が語られるわけで、この文章が女性向けに書かれていることがだだわかりになるわけですね。
そして、そういう物語の中に、また、ひとつ、奇妙な物語を入れるわけです。
「ひとつ覚えておいて頂きたいのですが、ものごとは、見かけと違います」
と運転手に言わせているわけです。そして、
「非日常のことをやると、そのあとの日常の風景が違ってみえてくる、みかけに騙されないでください。現実は常にひとつです」
とさらに運転手に言わせているわけです。
これ、具体的に何を差して言っているのか、わかりません。だから、非常に読者は気になるわけですけど、これも読者の気持ちを
不安定にさせる機能を果たしているわけです。
そして、これは、この本を貫いていく、テーマのひとつになるような感じです。まあ、どうつながっていくのか、わかりませんが、
この言葉がキーアイテムとなって、次の言葉につながっていく。そんな感じがしますね。まあ、ゆっくり見ていけばいいわけですがね。
このあと、青豆さんが車を出て、非常階段を降りるまでを細かく描写しているわけですけど、その中で青豆さんの外見の特徴を表現しています。
そして、その特徴の中で、脂肪が一切なく、筋肉は鍛え上げられ、168センチの美人として語られます。
右の耳と左の耳の大きさが異なることと形がいびつなことが語られ、何らかのキーとして、情報を与えているようですが、
このひとの物語では女性の耳がキーになることが、多いですね。「ダンスダンスダンス」でも、耳に特徴のある女性が出ていましたね、確か。
そして、彼女のマイナス要因として、表情に乏しく、そして、顔をあまり覚えることができない、という情報を与えています。
まあ、マイナスから始めるのは物語のお約束ですからね。成長物語にしようとするとどうしてもそうしなければいけませんから、
ここらへんの変化というのも、見て行きたいですね。
そして、彼女は、その階段を降りる前に、その行動を象徴的なセリフで表現します。
「私が誰なのか、これからどこへ行って何をしようとしているのか、きっと想像もつかないでしょうね」
「あなたたちは、そこへ縛り付けられたっきり、どこへも行けない。ろくに前にも進めないし、かといってうしろにもさがれない」
「でもわたしはそうじゃない。わたしには済ませなくてはならない仕事がある。果たすべき使命がある。だから私は先に進ませてもらう」
つまり、「仕事を持つ、自由な女」ということなんですね。
女性が大好きなストーリーなわけですよ。
つまり、この文章は、女性の好きな女性像を書きながら、読者のこころをジェットコースター的に動かす文章だ、ということがだだわかりになりました。
そうか。だから、女性はジェットコースターを好むのか。
こころを揺さぶられることが、女性は大好きだから。だから、村上春樹も愛されるわけね。
なるほど、女性に愛されたかったら、こころを動かすことが必要なのか!
いやあ、なかなか、いい勉強になりますね。
まあ、どうだったでしょう。1Q84論考!
なかなか、新しい試みなので、書いている本人は、いい勉強になりながら、おもしろかったです。
なるほどねー。村上作品が何を表現しているのか、いろいろ見て行くのは、楽しそうですね。
しかし、女性に受けるのには、理由があったんですね。
うーん、おもしろい。
まあ、毎週一回、木曜日を1Q84論考の日としましょう。
今日もここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。
昨日もいい天気でしたね。
今日もいまのところは、いい感じなので、
このまま、いってくれると、うれしいわけですが、どうでしょうね!
まあ、気持ちのいい時間が、それだけ続くことを祈っているわけですけど、
まあ、どうなるかは、天候次第というところでしょうか!
さて、今日は新しいシリーズを開始してみましょう。
えー、僕は「村上朝日堂」あたりからの村上作品ファンなんですが、
実は1Q84が読めてません。というわけで、このブログのネタにすれば、
読むことになるだろう!ということで、まあ、1Q84をテキストにしながら、
村上春樹の世界というものは、どういうものなのか、という感じで、論考してみようかな!
ということです。まあ、村上春樹作品というのは、読み味を楽しむタイプの作品ですけど、
意味しているものも見てみようじゃないか!ということで、そんなあたりが論考できたら、
楽しいかもしれませんね。ま、やってみましょう!
つーか、一週間に一回でやっていったら、いつまでかかるんだろうねー。
ま、のんびりいきましょう(笑)。
ま、第一章をテキストにしていきましょう。「見かけにだまされないように」です。
さて、どんなことになるか、ゆるゆると初めていきましょう!
さて、まず、ここでは、我々読者にまず、印象づけをしようとして、
「ヤナーチェクのシンフォニエッタ」
という音楽について語られています。
この手法は村上氏の他の作品でも使われていて、確かノルウェイの森の冒頭部分でも同じような形で、
「ビートルズのノルウェイの森」
がかかっていましたね。
「ヤナーチェクのシンフォニエッタ」
というアイテムを使って、主人公の性格、ひととなりを説明しようとしているわけですが、
このアイテムはあまり誰も知らないもので、その知性というものを表現しているわけです。
主人公である青豆さんは、歴史がお好きだそうで、常にクラスで最高だったそうです。
まあ、だから
「ヤナーチェク」
すら知っているという印象を持たせているんですね。
つまり、青豆さんは、知性的だ、と言う事を強調している、ということなんですね。
さて、青豆さんの父親、母親は、実家と義絶しているということで、
基本マイナスな環境から入るのは、小田さんの「言葉にできない」を論考したときに出てきた通り、
いい方向へ行く物語のお約束なわけです。だから、物語が進むとその義絶状態から、
プラス方向へ進むということかもしれませんね。
彼女は名前に関して名乗るのがいつもおっくうだった、としています。
まあ、そりゃ、そうだろうというわけで、青豆さんの説得力をあげるために、そこに小さなストーリーを挟み込んでいるわけです。
「もし、自分が青豆なんて名前だったらどうなるかな?」
と考えて、ちょっとしたストーリー、名前を名乗ると、相手はいつも不思議そうになるとか、くすくす笑われるとか、
そういうストーリーを入れることで、青豆さんの説得力をあげている、というわけです。
というわけで、村上氏は、このとき、青豆さん、そのひとになって、いろいろな説得力のあるストーリーとつづっているわけですね。
そして、
「私がありふれた名前だったら、私はもう少しリラックスした人生を送り、もう少し寛容な目で世間を眺めていたかもしれない。あるいは」
という言葉につないでいます。ということは、これが言いたいから、青豆という変わった名前を主人公につけた、んですね。
つまり、寛容でない女性を主人公にするために、青豆という名前をつけた、ということになるわけです。
さて、ここで、青豆さんは、唐突にかかっている音楽に耳を傾けます。するとどうでしょう。実はめちゃくちゃいい音で、音響機器もすごいものだし、
さらに、車さえ、遮音に特化した車だったことに気づくわけです。これは、何を意味しているのでしょう。
つまりは、非日常性の展開ということなのでしょうね。
日常にある非日常性。日常にいたはずなのに、突然迷い込んでしまった非日常。そういう演出がなされています。
そして、そのあとに、こういう言葉が綴られます。
「運転手の話し方には何かしらひっかかるものがあった。常に大事なものごとをひとつ言い残したようなしゃべり方をする」
「たとえば(あくまでたとえばだが)トヨタの車は遮音に関しては文句のつけようがないが、ほかの何か関しては問題がある、というような」
このことが、青豆さんを落ち着かない気持ちにさせる、ということで、主人公を不安にさせることで、読者のこころを不安定にさせているわけです。
主人公を、非日常に迷い込ませ、さらに、歯にモノのひっかかったような言い方をすることで、読者の気持ちを不安定にさせているわけです。
なるほどね。そーゆーことだったのか。
そして、青豆さんは、運転手になぜ、こんな車と音響装備にしたのか、聞くわけです。
でも、運転手は、今度は、理由を語りながら、尻切れトンボになるわけです。
これも、読者の不安定感について拍車をかけている効果をあたえているわけですね。
次に青豆さんは、重大なことに気づくわけです。
「わたし、クラッシックのファンでもないのに、なぜ、ヤナーチェクを知っているのかしら」
まあ、セリフ調に書くとこんな感じなんでしょうけど、知りも知ないのに、その知識が音を聞いた途端に反射的に浮かんできた、という奇妙な
物語をつづっているわけです。そして、
「その音楽は青豆に、ねじれに似た奇妙な感覚をもたらした。痛みや不快さはそこにはない。ただ身体のすべての組織がじわじわと物理的に絞り上げ」
「られているような感じがあるだけだ」
という感覚の表現があり、この不思議物語の感覚というのを表現しているわけです。そして、この感覚は「シンフォニエッタ」にもたらされている、と
しているわけです。
おもしろいですね。主人公の説明づけとして、高い知性と不寛容さを設定する。
そして、その主人公が、非日常に迷いこみ、そのこころを不安定にさせ、さらに不安定感の拍車をかける。
そして、知りも知ない知識が音楽を聞いただけで湧き上がる、という現実的でない話を語り、さらに読者の不安定感を煽り、そのときの感覚を語ることで、
読者にそういう感覚を疑似経験させる。それらは、すべて「シンフォニエッタ」によるものだ、と語る。
なるほどー、小説の表現というものは、こういう構成をするものなのね。
だから、ある意味、読者のこころをうまく動かしているということなんですね。女性が村上作品を好む、という傾向にあるようですが、
抽象的なモノが好きという女性の好みにあっていますね。そして、こころを動かしてくれる。女性が好むわけだ。
さて、ここから今度は、青豆さんの冒険が始まるわけです。
渋滞というわけで、目的地へ時間までに着かないことが運転手から告げられるわけです。
そして、高速道路にとりつけられている非常階段を使えば目的地に時間通り行ける、と告げられた青豆さんは決断を迫られるわけです。
そして、決断する女性という、女性が好きな物語が語られるわけで、この文章が女性向けに書かれていることがだだわかりになるわけですね。
そして、そういう物語の中に、また、ひとつ、奇妙な物語を入れるわけです。
「ひとつ覚えておいて頂きたいのですが、ものごとは、見かけと違います」
と運転手に言わせているわけです。そして、
「非日常のことをやると、そのあとの日常の風景が違ってみえてくる、みかけに騙されないでください。現実は常にひとつです」
とさらに運転手に言わせているわけです。
これ、具体的に何を差して言っているのか、わかりません。だから、非常に読者は気になるわけですけど、これも読者の気持ちを
不安定にさせる機能を果たしているわけです。
そして、これは、この本を貫いていく、テーマのひとつになるような感じです。まあ、どうつながっていくのか、わかりませんが、
この言葉がキーアイテムとなって、次の言葉につながっていく。そんな感じがしますね。まあ、ゆっくり見ていけばいいわけですがね。
このあと、青豆さんが車を出て、非常階段を降りるまでを細かく描写しているわけですけど、その中で青豆さんの外見の特徴を表現しています。
そして、その特徴の中で、脂肪が一切なく、筋肉は鍛え上げられ、168センチの美人として語られます。
右の耳と左の耳の大きさが異なることと形がいびつなことが語られ、何らかのキーとして、情報を与えているようですが、
このひとの物語では女性の耳がキーになることが、多いですね。「ダンスダンスダンス」でも、耳に特徴のある女性が出ていましたね、確か。
そして、彼女のマイナス要因として、表情に乏しく、そして、顔をあまり覚えることができない、という情報を与えています。
まあ、マイナスから始めるのは物語のお約束ですからね。成長物語にしようとするとどうしてもそうしなければいけませんから、
ここらへんの変化というのも、見て行きたいですね。
そして、彼女は、その階段を降りる前に、その行動を象徴的なセリフで表現します。
「私が誰なのか、これからどこへ行って何をしようとしているのか、きっと想像もつかないでしょうね」
「あなたたちは、そこへ縛り付けられたっきり、どこへも行けない。ろくに前にも進めないし、かといってうしろにもさがれない」
「でもわたしはそうじゃない。わたしには済ませなくてはならない仕事がある。果たすべき使命がある。だから私は先に進ませてもらう」
つまり、「仕事を持つ、自由な女」ということなんですね。
女性が大好きなストーリーなわけですよ。
つまり、この文章は、女性の好きな女性像を書きながら、読者のこころをジェットコースター的に動かす文章だ、ということがだだわかりになりました。
そうか。だから、女性はジェットコースターを好むのか。
こころを揺さぶられることが、女性は大好きだから。だから、村上春樹も愛されるわけね。
なるほど、女性に愛されたかったら、こころを動かすことが必要なのか!
いやあ、なかなか、いい勉強になりますね。
まあ、どうだったでしょう。1Q84論考!
なかなか、新しい試みなので、書いている本人は、いい勉強になりながら、おもしろかったです。
なるほどねー。村上作品が何を表現しているのか、いろいろ見て行くのは、楽しそうですね。
しかし、女性に受けるのには、理由があったんですね。
うーん、おもしろい。
まあ、毎週一回、木曜日を1Q84論考の日としましょう。
今日もここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。