Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

プライド

2005-11-30 23:54:57 | 心理学
よくプライドを傷つけられたといいます。でも、そんなに簡単にプライドは傷つけられるものでしょうか。本当のプライドは人によって傷つけられるものではないと思うのです。虚栄であれば別ですが。だから、傷つけられたとか傷ついたという言葉を簡単に使う人は一種のマゾ的心理に浸っているとも言えるのではないでしょうか。傷ついた自分をあわれんで悲劇の主人公を実は演じているというような。

若い頃にはよくわからなかったけど、自分は傷つきやすいのだとか、繊細なのだなんて言いながら、本当はそういう自分を演じて甘えられる人間に意識的か無意識の中で訴えていたのかもしれません。今、自分が逆の立場に立ってそれが見えてきたような気がします。

本当のプライドを持ちたいものです。

韓国ドラマを卒業する方法

2005-11-30 00:23:46 | ドラマ
実は卒業したい。こんなにたくさんの時間を韓国ドラマに費やすなんて許せない!!!と思いつつ、GYAOとかで無料配信してくれるし、おまけにこのドラマ面白いよなんて親切に教えてくれる知人とかいるので、足を洗いたいと思いつつ早数ヶ月。結局最後まで見ることになるだろうドラマが、「天国の子供たち」。「トマト」は面白いとも言えるけど、意地悪な女が純粋な主人公にやきもち焼いていろいろ仕掛けるあたり、使い古されたストーリーで「いいかげんにしろよ」って感じになっているので、できればそろそろやめにしたい。

韓国ドラマは一種の中毒。論理的に分析して何故見てはいけないのかを考えればきっと卒業できると信じる私。

まず、よくあるパターンは以下のとおり。
1.病気(そりゃぁ、病気で美人薄命、佳人薄命だったら悲劇的だよ)
2.女一人が二人の男性に愛される。
3.意地悪な女。
4.親がいない。または貧乏。
5.泣かせる切ない音楽。

なんの想像力もないただの昔からありの不幸のパターンなのだ。これを手変え品変えせめてくるものはばっさりやめよう。

卒業しにくいのが、コメディー的要素が入っているもの。「天国の子供たち」に出てくる社長が傑作。あんなかわいい社長は韓国ドラマじゃなくても好きになっちゃう。笑えるドラマ厳選でいこう。

「白夜」でこういうセリフがあった。「生きるということは幾つもの岐路で選択し続けることだ」そう、だらだら見るということに決別という選択をしなければ。

対決

2005-11-29 00:22:51 | 日記
対決というとけんかもでもするように思われるかもしれませんが、よい結果を得るためには対決も必要になります。無視とか、かわしとか、避けることを選んでいては、本当の意味のよい選択はできないことになります。ビジネスではこの対決という行為が大切なのだと友人から学び、はっとしました。

対決(conflict)は問題に真正面から向き合うという意味で、必要不可欠なことかもしれません。大いに対決したいと思いました。

心理学って面白い - ジョハリの窓

2005-11-25 22:59:11 | 心理学
金曜日の夜は大体飲みに行くか、食事と決めているが、愚痴の言い合いだけに終わるのはむなしくつまらない。悩むのなら徹底的に悩んで解決の糸口を見つけるのが私の手法。

今晩は普通一年に一回七夕みたいにしか会わない友人と会った。今年は珍しく2度目だ。会うたびに昇進していき、色々な活動を積極的に行い、気持ちがいい。たわいのない話から仕事に関連して受けるセミナーの話になった。私も今年はリーダーズトレーニングとメンタルヘルスセミナーを受けたので、興味深く話ができた。

ジョハリの窓って聞いたことがありますか。四つの窓を想像してください。

Aの窓は自分が知ってて他人も知ってる自分(開放の窓)
Bの窓は他人は知ってるけど自分は知らない自分(盲目の窓)
Cの窓は自分は知ってるけど他人は知らない自分(隠された窓)
Dの窓は自分も他人も知らない自分、無意識の自分、抑圧された自分(未知の窓)

人間関係で悩む人はAの窓が小さくBやCの窓が大きい人。Aの窓を大きくするとBやCが小さくなり人間関係がスムーズになるそうだ。人にも自分にもわかりやすい人ということになる。BやCが小さくなると抑圧された部分が少なくなりさらにDも小さくなるそうだ。また隠された能力も発見できるかも。

ちょっと面白いと思いませんか。

お元気ですか。

2005-11-25 00:19:02 | 日記
と言って一瞬しまったと思うことがある。たわいのない挨拶だけど、一体どう答えたらいいのだろうという表情を見たとき、ばつの悪さを感じる。

「がんばって」という言葉もむなしく響くことがある。競技に参加するとか試験を受けるとか具体的に戦うイメージのあるものだとぴったり来るけど、慰めの言葉としての「がんばって」は言ってくれないほうがましという感じ。

余分な言葉を発していると思うこのごろ。場をつくろうだけの言葉。今日は意識して余計なこと言わないよう注意してたら、ほとんど話す言葉がなかった。職場の人に「なんかYukoさん、今日はやけにたんぱくね。さびしいわ」と言われてしまった。自意識過剰。

あややじゃないけど、「大人になるってむずかしいんだな」いくつになっても。

ほれぼれする文章

2005-11-23 10:59:06 | 英語/韓国語
休日で遅くまで寝ていられるはずなのに、目覚まし(けたたましい音がなる)をセットしてしまって、いつもの時間に目がさめてしまった。朝からご飯も食べずにコーヒーだけで、あるプロジェクトのためパソコンに向かっている。私の左腕に体をもたれかけている猫のことも気がつかないほど夢中になっていた。

今朝、ある友人の文章を読んでほれぼれした。分かち合うことができないのが残念だが、なんでこんな美しいかっこいい文章を書けるのだろうって芸術作品を見てるようだ。惚れ直すとはこのことだなと思った。もともと書くことの大切さを学んだのは彼の文章を読んでからだったのだが、同じことを言うのでも、表現の仕方で相手に伝わる威力がまったく変わって来る。

仕事でプロポーザルをあげるときに特に感じるが、相手が動きたくなるように短く効果的かつ前向きである文章が必要になってくる。問題をだらだら書き綴り、読むのもうんざりするような長文で相手に「なんとかしてくれー。困ってるんだ。お前のせいだぞ」という泣き言的な文だとまずほとんど返事が来ない。

仏の哲学者ブレーズ・パスカルは手紙で「今は時間がないので短い手紙は書けません」と書いたという。

"The present letter is a very long one, simply because I had no leisure to make it shorter."

なんだこりゃと思ったが、今思えば、短い文に言いたいことを含めるというのは長い文をだらだら書くことよりもっと熟慮が必要で時間がかかるってことだったのだろう。納得。


愚痴とは

2005-11-22 23:00:17 | 心理学
「愚痴を云っていると一時の気休めになるがかかる気休めをしていると、ますます症状に乗ぜられる。自分のわなに自分がかかってゆく。人は愚痴を云わぬだけでも強くなる。偉い人と云われる人は概して愚痴を云わないものである。愚痴を云わぬことは凡人にはむずかしいことであるが、それを止めることが出来れば、それ丈でも心は鍛錬される。」という説明を読んで、そうだそうだ愚痴をこぼしてはいけない理由はそうなんだと納得。

今日一日、愚痴を言わないよう気をつけようと思った。昼間、よっしゃ愚痴をこぼさないようにと同僚とカラオケに。昼のカラオケは一年ぶりぐらいかな。780円でコーヒー、ヨーグルトつきのキムチチゲ定食。カラオケも楽しめるから一石二鳥。実は音痴なので歌はへたくそ。音域もせまいので歌える歌が5曲ぐらいしかない。それでも楽しめた。いきなりカラオケに二つ返事でつきあってくれる同僚に感謝。

愚痴とは「言っても仕方のないことを言って嘆くこと」また、仏教用語では「三毒の一。物事を正しく認識したり判断したりできないこと。愚かであること」とか。

「愚痴」って 三毒の一つか。ちなみにあとの毒は貪欲と瞋恚(しんい-怒り・憎しみ・怨みなどの憎悪の感情)。

リクルートの採用基準にこういうのがあった。

人物を重視。
前向きな人、仕事に努力できる人。
愚痴をこぼさない人。笑顔の似合う人。
人が好きな人。コミュニケーションが上手な人。
気がつく人。正直な人。真面目な人。

うん、いけるかも。

Miracles are great, but ...

2005-11-21 22:12:18 | 心理学
友人にあることでこぼしていた。一生懸命励ましてくれるが、なんか違う。もういいやと思って、ほっといた。しばらくすると電話をくれた。私のことより自分の話。彼女の話はいつもオチがあるので面白い。いつも小さな事件が起きている。石橋をたたいてわたるということがないから、失敗談が多い。私だったらこうするのにって言うと、普通の人はそうするのねと笑っている。彼女を見ていると"To be is to do."「生きることは行動することだ」(サルトル)という言葉を思い出す。行動的な彼女を見てると小気味がいい。いつの間にか、本当に励まされていた。


You can either take action, or you can hang back and hope for a miracle. Miracles are great, but they are so unpredictable. - Peter F. Drucker
行動を起こしてもいいし、しり込みして奇跡を願うのもいいだろう。奇跡はすばらしいが、いつ起こるのかはまったく予測できない。


自分のものさしは短く....

2005-11-20 05:04:10 | 心理学
客観的な物の考え方と主観的な物の考え方がある。主観的な物の考え方の強く出る人は得てして自己中心的ともとれる。自分がそうだからと言って相手もそうではないかと勝手に推察したりする。人と自分は同じところもあれば違うところもある。自分のものさしを使いすぎると単なる思い込みになることが多い。

つきあってて疲れると思う人間がいる。被害妄想的傾向が強かったり、何かにつけてひりひりしたり、いらいらしがちだったり、negataiveに物をとらえがちだったり。依存心が強かったり、やたら批判的だったり、強い意見に同調しやすかったり、逆に反抗的だったり。かと思えば自己内省的で反省を繰り返してもいる(反省が曲者である)。ほとんどの人間は仲良くやっていきたいと思うので、ある程度相手に合わせるようするが、あわせるのがむずかしくなるとなるべくかかわりをなくしてしまいたいと思う。何も恋人でも親友でもない人に自分の大切なエネルギーをむなしく消耗したいとは思わない。気軽に物が言えなくなり、さしさわりのない会話だけしかしなくなる。自分にとって大切なことが相手にとってはどうでもいいことだって多いはずだ。

そういう自分も自分の世界に入りがちのところがあり、つい上司に指摘されることがある。何故か上司は私の話を聞きたがる。別にたいしたこと考えてないと思うのだけど、今聞いてなかったでしょうとか、目が飛んでたとか、何々と考えてたでしょうとか言われる。はずれてることも多いから、それも面白いなと思う。客観的に生きていると思われる上司にでさえ、いかに私が考えてることと、私が考えていると思われてることが違うかということを言いたいのである。

自分には何人かのよい友人がいるが、私のものさしではとうてい量れない。量ろうともしないし量る必要性も感じない。ほっといても心配にならない。気も遣わない。この間勝手にせんべいを私に送りつけた友人(私は甘党なのに)がいる。礼はいらないと書いてあったので、礼をしてない(世間の常識では絶対礼をすべきだと承知の上。彼女の場合は言葉どおりの人で礼をしたら、むしろ他人行儀と思うだろう)。「私は甘党なのですが」と書いてやろうかとも思ったがやめた。ちなみにこの友人はよく物を送ってくれるので、娘も「ママもたまには何か送ってあげなよ」というが、私はほとんど送ったことがない。一度、何か送ったら、自分のタイプじゃないので、人にあげたという返事が来た事がある。かなりユニークな友人である。えらく無愛想だが、困ったときはすっとんで来てくれる人である。

人間失格

2005-11-17 23:20:23 | 日記
昼食を食べに行きながら、子供の頃読んで感動した本の話をした。中学の頃、太宰治を読んで自分と同質のものを感じすごく嬉しく思ったことがあるということを話したら、友人も「私も、『人間失格』を読んで、これ私って思った」と言った。そういう時期ってあるのかな。中学・高校の頃って多感な時期だからね。

どうして年をとると時が経つのが早いのかな?という問いに、感動が少ないからじゃないという答え。言えてると思う。昔フライトをしてる頃、レイオーバー先では、外に出て何か楽しいことをしなさいといわれた。ホテルにくすぶってると、前日の疲れがそのまま翌日に持ち越しちゃうけど、外で楽しい経験をすると疲れが吹っ飛ぶというわけだ。土日にどこかに行くと二日が長く感じるけど、家にばかりいると月曜日は金曜日の続きみたいに感じる。年をとるのが早く感じるのも去年と今年あまり変化のあることをやってないからなのかも。だとしたら、悲しい。毎年、毎年同じことの繰り返しなんて。一体、今年は何をやったのだろう。

来年は何か実のあることをやりたいものだ。。。目標は紙に書いて見えるところに貼っておくのがいいのだと言われた。確かに自分に毎日毎日リマインドするのって大切かも。