この頃私はいろんなことを学ぶのが楽しくてしょうがない。いろんなことと言ってもさしずめ韓国語と仕事のことだが。また、「なぜ人は怒るのか」というのが最近興味あるテーマである。できれば、いじめられなくなること(そういえば最近あまり聞かない)、虐待する人を変えられるのか(こっちの方が重大)とか、そういうテーマにも興味がある。老いをどう生きるかも面白いテーマだ。
その点、若い頃は暗中模索の時期で、どちらかといえば私にとっては苦しい時代だったとも言える。もっと若いうちに人生の色々なことに興味があったら、私ももう少し世の中のためになる人間になれてたかもしれないのに。なんて、”It might have been・・・”(あぁしてたら、どうだったのだろう)で始まる言葉は世の中で1番悲しい言葉だと言った人がいるね。
”For all sad words of tongue or pen, the saddest are these: ‘It might have been!”- John Greenleaf Whittier
自分の人生を肯定するために人は生きているのかもしれない。ある友人が今回これが最後かもしれないという言葉をよく使う。私はその都度心の中で”Shut up!"といいたくなる。それが事実かもしれないけど、明日のことはだれもわからないというのは誰にでも言えること。年をとってれば確率から言えば残りの人生がより短いというのは言えるけど、弱音にはのりたくない。
母は、私が子どもの頃病気で親に大変苦労をかけたから、大きくなったら親孝行するんだよと言いつづけていたが、75になっても家中のペンキを塗ったり畑を作ったりしてるんだから、親孝行なんてしないでほったらかしている。子どもが親孝行するのは親が動けなくなったときでいいと思う私。元気なうちはどんどん働いてもらおう。人生に引退はなし。
その点、若い頃は暗中模索の時期で、どちらかといえば私にとっては苦しい時代だったとも言える。もっと若いうちに人生の色々なことに興味があったら、私ももう少し世の中のためになる人間になれてたかもしれないのに。なんて、”It might have been・・・”(あぁしてたら、どうだったのだろう)で始まる言葉は世の中で1番悲しい言葉だと言った人がいるね。
”For all sad words of tongue or pen, the saddest are these: ‘It might have been!”- John Greenleaf Whittier
自分の人生を肯定するために人は生きているのかもしれない。ある友人が今回これが最後かもしれないという言葉をよく使う。私はその都度心の中で”Shut up!"といいたくなる。それが事実かもしれないけど、明日のことはだれもわからないというのは誰にでも言えること。年をとってれば確率から言えば残りの人生がより短いというのは言えるけど、弱音にはのりたくない。
母は、私が子どもの頃病気で親に大変苦労をかけたから、大きくなったら親孝行するんだよと言いつづけていたが、75になっても家中のペンキを塗ったり畑を作ったりしてるんだから、親孝行なんてしないでほったらかしている。子どもが親孝行するのは親が動けなくなったときでいいと思う私。元気なうちはどんどん働いてもらおう。人生に引退はなし。