Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

ひとり言

2006-09-27 19:50:29 | 日記
この頃私はいろんなことを学ぶのが楽しくてしょうがない。いろんなことと言ってもさしずめ韓国語と仕事のことだが。また、「なぜ人は怒るのか」というのが最近興味あるテーマである。できれば、いじめられなくなること(そういえば最近あまり聞かない)、虐待する人を変えられるのか(こっちの方が重大)とか、そういうテーマにも興味がある。老いをどう生きるかも面白いテーマだ。

その点、若い頃は暗中模索の時期で、どちらかといえば私にとっては苦しい時代だったとも言える。もっと若いうちに人生の色々なことに興味があったら、私ももう少し世の中のためになる人間になれてたかもしれないのに。なんて、”It might have been・・・”(あぁしてたら、どうだったのだろう)で始まる言葉は世の中で1番悲しい言葉だと言った人がいるね。

”For all sad words of tongue or pen, the saddest are these: ‘It might have been!”- John Greenleaf Whittier

自分の人生を肯定するために人は生きているのかもしれない。ある友人が今回これが最後かもしれないという言葉をよく使う。私はその都度心の中で”Shut up!"といいたくなる。それが事実かもしれないけど、明日のことはだれもわからないというのは誰にでも言えること。年をとってれば確率から言えば残りの人生がより短いというのは言えるけど、弱音にはのりたくない。

母は、私が子どもの頃病気で親に大変苦労をかけたから、大きくなったら親孝行するんだよと言いつづけていたが、75になっても家中のペンキを塗ったり畑を作ったりしてるんだから、親孝行なんてしないでほったらかしている。子どもが親孝行するのは親が動けなくなったときでいいと思う私。元気なうちはどんどん働いてもらおう。人生に引退はなし。


なさけないと思うとき

2006-09-22 21:18:18 | 日記
犬のかんだあとでぼこぼこになってる鉛筆を手にしたとき
うどんにしようと思ったのにねぎがなくて「ねぎがないとき」とねぎの代用になるものをさがしてインターネット検索してるとき(そんなものあるか!)
いつもより30分も早く家を出たのに電車を乗り過ごして結局いつもの時間に職場についたとき
「小顔に見える化粧」を雑誌で読んで鏡とにらめっこしてるとき
娘に「今日はあんたが起きるより早く出るから、ちゃんと一人で起きてね」と散々念を押しつつ、目覚まし時計を娘の部屋の外にこっそり置いて出るとき
「人に嫌われるのを恐れてはいけない、出る杭は打たれようじゃないか」と豪語した後に
「さっきの件だけどさ~あなたのためを思って言いにくいのを言ったんだよ~」と結局フォローしてるとき
娘のダイエット用に買った消費期限が切れたにがりをもったいないとせっせと料理に使ってるとき
洗濯用洗剤についてるプラスチックのスプーン、使い道がないかなぁと捨てる前にじーっと考えてるとき
このセーター3万円、この冬10回着ても、一回あたり3000円プラスクリーニング代。ということは何年着なければもとがとれないの?と計算しているとき
「うちさぁ、人徳あるって言われたんだ」「あっ、そう」「でさ~、人徳ってなぁに?」って娘に聞かれたとき
「わたしってもしかしてオタクかな?」「Yukoさんてばりばりオタクですよ」と言われて喜んでるとき
「脳年齢25才」という結果が出て、調子にのり別のテストをしてみたら「60才」と出たとき
猫がわたしのベッドの真中で寝て私ははしっこに小さくなって寝たせいで翌朝首が痛くなってるとき
携帯電話の充電がめんどうくさくって一週間もたせようと極力使わないように心がけている自分
娘のおそまつな点数の答案用紙をリサイクル用の袋にいれていたら、娘が「プライバシーの侵害だ」と言いつつ名前のところだけをちょきちょき切り抜いてもどしてるとき
田舎の母にカステラを送ったら「お前も味見をしたいだろうと思って」と自分の送ったカステラのおすそわけがまた別の小包に同封されてきたとき
「こんなことを書いてるママがなさけない」と娘に言われ
「私もそれでしめようと思ってたんだぁ」と無邪気に喜ぶ自分がちょっとなさけないかも。


仕事

2006-09-13 19:16:36 | 日記
オフの時間に仕事のことは考えたくないけど、今日は勤続20年で表彰されたので、ちょっと一言。

1番大変だと思うのがクレーム処理と気難しい社内の人々とのコミュニケーション。今日は電話をホールドにせず、受話器を押えて話したら全部丸聞こえだったらしくお客さまに全部聞こえますよと叱責された。受話器を押えるぐらいじゃ声が漏れるんだと一つ学んだのはプラス。怒られたときは、弁解無用。素直に謝る。今日は手紙を2通と電話2件。クレームもいやだと思うとクレームが追ってくるから、逃げようと思わない。受けて立とうと思うと、少し気が楽。クレームのお客さまは同じことを何度も言う傾向が強い。一度目はしっかりお話しを聞く。堂々めぐりになったら、びしっと説明をする(謝るだけじゃ、うちが何も考えてない会社みたいだから)。それでもつべこべが続いたら、お客さまの名前をやさしく呼び、書面でお答えさせていただいてよろしいですかともっていく。

クレームは色々なのがあるので、なかなか慣れないものである。こんなことまでクレームされるの?うちのせいじゃないじゃない?と思ってこれはうちの責任ではありません。というと人のせいにするのかって言ってくる。他社のせいにするのは私も好きではないけど、他社の責任までとることはできない。ほとんどいいがかり的になって、お客さまもどこでひいていいのかわからなくなってくることもある。意外と書面でともっていくと助かったと思ってるような場合もある。面子もあるからね。カウンセリングマインドをプラスするとクレーム処理もそんなに苦痛なものではなくなる。

私は、正直言って、人に見習ってもらえるようなやり方はしていない。いう事はいうし、声が大きくなったりしどろもどろになったり、周りの人に注目されてるなって思うとよっしゃここでがんばろう(相手をまかすのではなくきちっと説明しているということ)と意識したりする。つくづくお客さまって聞いてもらうのも大事だけど、前向きにとりくんでいるのだということを知ると少し安心するように思う。

かなりぶきっちょな対応ではあるが、自分はお客さまに嫌われるタイプではない。ほとんどの人は不器用な人間には寛容である。不器用ながらに誠意をみせるとたいてい許してくれる。人間的なかわいさ(憎めないところ)と言ったら誤解されるかもしれないが、そういうのも必要かもししれないし、自分はなにげにそういうのを出していると思う。要するに話している最中にお客さまがうっとうしい、嫌いだという気持ちを出さない。あなたの気持ちはわかる。私もなんとかしてあげたい。でも、できることとできないことがある。努力という言葉は気にいらないかもしれないけど、前よりは今の方がよくなってる。あなたのクレームは活かしている。だから、気を長くして見守っててください。なんてニュアンス。で、大切なことはフォロー。生かせることはしかるべきところにきちっとフィードバック。自分自身気に入らないサービスだとクレームするほうだから、かなりお客さまの気持ちはわかるほうだと思う。人の話を聞くってつくづく大切。そして日に三省。

お客さまはそれでもお客さまだからいいけど、インターナルカスタマー(社内の人々)はもっとむずかしい。微妙な言葉遣いが誤解を呼び、気まずい関係になるから。最近癒し系のもの(花、ペット、人、その他もろもろ)を求めてるのはそのへんの疲れから。。。でも、仕事って実質的な仕事そのものより、コミュニケーションそのものが仕事の大きな部分なのですよね。

C ロセッティの詩

2006-09-07 22:15:32 | 英語/韓国語
詩とは縁遠い生活を送っていた私も多感な高校時代一冊だけ詩集を買ったことがある。それは「愛の詩」というタイトルで色々な詩人のロマンチックな詩がたくさんのっていた。その中で印象に残ったのが「わたしが死んでもやさしい君よ」で始まる詩だ。作者も詩の中味もほとんど忘れてしまっていたが、原文が見つかったので最初の出だし以外自分で訳してみた。

わたしが死んでもやさしい君よ
わたしのために悲しい歌は歌わないでください
バラの花も日陰をつくる糸杉の木も植えないでください

ただ、露に濡れる若草が繁っていればいいのです
そして思い出すなら思い出して
忘れるなら忘れてください

わたしは影を見ることなく
雨にうたれることもなく
悲しげに鳴くナイチンゲールの歌も聞くことがないでしょう
日が沈むも上るもわからない薄明かりの中で
夢を見ては、時には思い出したり時には
忘れたりしているでしょう

When I am dead, my dearest,
Sing no sad songs for me;
Plant thou no roses at my head,
Nor shady cypress tree:
Be the green grass above me
With showers and dewdrops wet;
And if thou wilt, remember,
And if thou wilt, forget.

I shall not see the shadows,
I shall not feel the rain;
I shall not hear the nightingale
Sing on, as if in pain:
And dreaming through the twilight
That doth not rise nor set,
Haply I may remember,
And haply may forget

友人の最愛の猫ちゃんの死によせて。


朝の葛藤

2006-09-02 00:34:46 | 日記
うちの娘はだらしがなくて困る。かたづけられない女の代表格だ。ほったらかしたらテレビも電気もつけっぱなし。服は脱ぎっぱなし。洋服のまま寝ていることもしばしば。ちり紙はそのへんに散らばっている。一回や2回注意しただけじゃ動かない。朝は起こさなきゃ絶対起きない。部屋だって結局耐えられない私が掃除するはめに。それどころか居間にまで進出して散らかすから腹立たしい。

夕べは夏休み最後の日。図書館閉館8時なのに、7時45分に図書館に向かう。読書感想文のためだ。夜11時、いきなりインターネットで「蜘蛛の糸」をプリントしはじめた。理由は短い以外の何物でもありえない。図書館で借りた本は読めなかったのだろう。そして夜中3時ごろ熟睡してたのにごそごそ音がして目が覚めた。まだ、宿題が終わってない?去年は夏休みの宿題が終わってないから文化祭前日まで出すようにと担任の先生から電話が来てたけど。一体どうしてこんなにずぼらでいられるのだろう。

そして、今朝、起きる時間になっても起きてこない。こうなったらほっておこう。いつも私が起こすと思うな。ふざけてる。始業式初日から、この調子だ。いつも起こすまいと思ってても結局起こすはめに。いや、一回痛い目にあってもらわなきゃ、このだらしない性格はいつまでも直るまい。心を鬼にして起こさず、家を出る。絶対、絶対起こしてやるものか。(この葛藤は毎度のことだが、結局いつもぎりぎりで起こしてしまう自分)やっぱり、決心はゆらぎ、7時半ごろ家に電話。返事はない。2回目、またして返事がない。3回目は携帯に電話。4回目、携帯。「あぁ、起きた」という声にぷちっと切れた私は、何も言わず電話を切った。

私を頼りにしないでくれ。と思いつつ絶対私が起こしてくれることを信じて疑わない娘が憎たらしい。そして絶対起こしてしまう自分。私はそんなに甘くはないぞ。絶対、絶対起こさないぞと思ってるのに今日も結局は起こした。干渉しすぎの親は子どもをダメにするというが、本当だ。"you have to be cruel to be kind"と自分に言い聞かせるが、絶対甘い自分が情けない。