Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

今生の別れになるかもしれないー9時間かけて1時間半だけの滞在

2023-10-06 17:48:13 | 人生

兄から母が退院したけど点滴打つ場所もなく、病院レスパイトか施設かの選択をせまられているという電話があった。母は91歳。何も口に入れようとしないということで入院させたのはコロナ全盛期の2年前。病院にしろ施設にしろもう会えなくなるかもしれないということで始発をねらって家を出た。なぜか券売機がわたしのクレジットカードを受け付けない。前回もそうだった。株主優待を使いたかったのにと思いながら、新幹線乗り場にパスモを使って入る。切符売り場は込んでいる。しょうがないと思って売り場付近の券売機で別のカードを使って株主優待は忘れて買うが、そうこうしてるうちに始発をのがしてしまった。どうしよう。明日出直そうか。

次の電車は2時間後。田舎に実家があると何をするにしてもお金と時間がかかっていやになってしまう。父が死にそうだと言われたときも途中のタクシー代が2万くらいかかったことがある。

ekinetで買っておけばよかった。ekinetもしばらく使わないうちにクレジットカードだけでなく、交通系ICにも紐づけしろとかめんどうくさいことになっていた。以前もやったことがあるようなないような。でもなんで、ICカードを受け付けない駅までICでタッチしないといけないのかそのへんが納得いかない。いや、行けるうちに行こう。

そんな苦労して行ったものの母はわたしのことなどわからない。もう骨と皮になって生きているのがかわいそうなくらいだった。点滴しては淡がたまりそれをすいとるという作業。自分は自力で食べられなくなった時静かに逝かせてほしいと思う。または安楽死できる国に行きたい。

兄は母がいなくなったらもうだめになるんだろうなというくらい母親を生かすことに必死だ。行くたびに見舞いに来ない親戚のことをうらめしそうに言うが、みんな正直なだけなんだと思う。死んだら来るけど生きてるうちは来ない。要するに生きてる姿に興味がないのだろう。わたしは生きてるうちに会いたい人会うべき人には会うべきと思う。人の死なんて若いうちだと悼んでもらえるが、往生した人には大往生だねの一言だ。

ふとイギリス人と結婚した昔の同僚どうなってるかネットで調べてみた。だんなが画家で有名な人だったみたいで彼女のことが書かれている記事を見つけ、なんと60歳で亡くなったことを知った。

そして20歳以上年上のだんなは彼女より10年ほど長生きしたようだ。

 


35年目の真実

2020-10-25 23:18:04 | 人生

実力で入ったと信じてた会社が実はコネだと知ったのはつい去年のこと。35年前わたしは友人に受けてみるように勧められてある会社に応募した。

都内の一等地にあるホテルでの面接試験が行われた。一次試験の面接を受けたら合格です。2次試験を受けるようにとその場で言われた。外資系だから、早いのねと思った。2次試験を受けた後はなかなか結果が来ないのでだめかと思った。でも友人はきっと合格するよ。君ならまちがいない。とやけに自信ありげに言う。わたしは全然自信なかったのに何故他者が自信ありげに言うんだろうと不思議に思った。

だから合格の電話をもらったときは本当に驚いた。

まさかまさか友人の口添えがあったことなど夢にも思わなかった。

去年その友人に会ったとき、ふとわたしの入社の話が出て、もしかして誰か知り合いがいた?って聞いた。意味深に書類選考だけは通してほしいと頼んだ人がいると言っていた。実力はあったかもしれないが、書類選考だったら確かに何もパッとしたものはなかったから面接すらだめだったと思う。しかし、そんなこととは35年間知らずに、もしその友人に去年会わなかったら一生知らないでいたことだろう。

今年その友人からメールが来た。自分は神経内分泌腫瘍というガンで入院する。もうこれが最期のメールだと思うと。その後メールを送ったがもう返事は来ない。

 

 


レーシックの手術を受けて13年経過

2020-10-23 22:24:35 | 人生

昨日人間ドックを受けた。目の検査のところで、以前目の病気で手術を受けたことありますか?と聞かれ、いったんありませんと答えたものの、レーシックの手術を受けたことを思い出した。受けたのいつだっけ?10年ぐらい前ですととりあえず答えておいた。自分が手術を受けた眼科、そういえば一生保障と言ってたわりに最近メールが来ないなと思って調べたらなんと破産していた。

それにしても受けたのいつだったんだっけ?もしかしたら前書いていたブログにレーシックのこと書いてなかったかな?と思って調べたらのっていた。アウトプットの少ないブログなのでたいして読んでくれる人もいなかったのでやめたが、自分の日記みたいで役に立つこともあるのねーと思った。

レーシックした当時は両目は1.0ぐらいだったけど、今は0.6になってしまった。レーシックが悪いのではなくおそらくわたしの生活習慣がだめにしたんじゃないかと思う。今年はコロナのせいであまり仕事してないのに去年よりぐんと下がってしまった。

今年は愛猫きなこが死に、一週間も経たないうちにのんたんが死に、野良ちゃんで世話してたキキちゃんも死んだ。近所の友人も亡くなり、人生でもっとも影響力のあった米国の友人もおそらく亡くなったか死の淵にあると思われる。最後のメールでお別れを言ってたからである。

おととい目の手術をしたアメ太のことも書いておきたいけどやることいっぱいあるのでこのへんで。

 

 

 


ミニマリストになりたい。

2015-07-21 08:21:55 | 人生

なんて思ったのは年を重ねるほど物が増えて、なんか物の置き場に家賃を払っているようなものだから。特に夏はたくさん物があったり散らかってたりすると暑苦しく見えてしまう。近藤麻理恵さん、タイム社の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたのも、それだけ物に囲まれて片付けられない人が多いということだろう。物を買うときはよほど効果な買い物でない限りつい安易に買ってしまうけど、捨てるとなると安物でさえ簡単に捨てられないのよね。もったいないという気持ちがあるから。

もったいないという気持ちは本来ほほえましい姿勢だと思われるのに、その気持ちを切り捨てなきゃいけないのだから、捨てるってけっこうな葛藤がある。特に役立てずに捨てるというところにわたしは抵抗を感じる。だから紙類・プラスチック類は必ずリサイクルに出すし、本はリサイクルか古本屋に売る。洋服はリサイクルショップにもっていければそれもいいけど、コットン類はキッチンの油汚れをとるのに切って使っている。

でもね、結局ほとんどの場合やっぱりゴミとしてさよならするしかないことが多い。だから最初から買わなきゃいいんだよね。でも、贈り物をいただいたりするし、やっぱり増えてしまう。いただきものを捨てるのは悪いって感じがするけど、しばらく置いて使わなかったらやはり気持ちだけいただいて捨てるしかない。結局死んでしまえばみんなゴミになるわけだし。。。というところが究極の行きつくところ。

何か大切なものをさがしているとき、どうでもいい物はうじゃうじゃ出てくるけど、大切な物が見つからないってありませんか。本当に腹立たしいくらい大切なものが見つからないって私は何度も経験したことがある。だから大切なものを見極めるためにもどうでもいい物は切り捨てていこう。

 

 


きれそうになったとき

2012-06-06 08:00:25 | 人生

久々の更新。猫と韓国ドラマのおかげでここ数ヶ月のありえないほどのストレスを切り抜けられてきたように思う。

でも、久々に誰かに思いっきり愚痴を言いたいくらいに不愉快なことが起きた。分かってくれない人に愚痴をこぼしてもしょうがないので、一人で朝から気持ちのやりどころに困ってブログを開いた。しばらく開いていなかったので真っ白けになっている自分のブログを見てぎょっとしたけど、しばらく更新していないとそうなるのだろう。

知ってる人の中には本当に天使のように性格のよい人が何人もいるけど、こういうときは天使のような人じゃものたりないんだよね。かといってなんでもかんでもそうだそうだあいつが悪いと言ってくれる人も困る。中立の立場で客観的意見できちんと判断した上で自分がむかついていることを理解してほしいんだ。かといってすべてを1から話すのもかったるいし。すべてものの考え方なんだろうけど、あまり腹が立つとどうやって相手を懲らしめてやろうというのが出ちゃうんだよね。結局積極的意地悪はしないから無視するぐらいで終わるんだろうけど。すねるとかね。すねるとか無視って行動は、幼稚な行為だと思うけどこういう行為にでることが多いかな私は。理解してもらえない人に理解してもらおうと訴えても無駄だからだったら相手になんで私は怒ってるんだろう。。。と思わせて困らせてやろうという魂胆。お返しも無視となる確率が高いかな。

だから私はこの怒りを自分でコントロールして前に突き進まなければいけない。怒らない人の心理を知りたい。怒ってもしょうがないと考えちゃうのかな。


人生をdefaultのままで生きていないだろうか

2011-11-12 16:43:01 | 人生

自分はと言えば色々設定を変えてみるが、結局Defaultにもどしてしまうというのが正しいかもしれない。人間の考え方の習慣ってなかなかそう簡単には変わらない。でも何か努力してそれがうまくいくとさすがにそれはDefaultにはもどしたくないわね。最近習慣づけようとしていることが朝のテレビ体操と階段上り。わざわざ運動する時間をとるのは続きそうないから、すべての階段は上ろうと決めた。でもそれだって遅刻しそうなときは無理しない。

それでも、時々こんな生き方でいいのかなって思う。仕事はつまらないけどお金のためと思ってがまんして行ってる。近所のお店で愚痴こぼして、なんとか続けている。やりがいをもって仕事をしてた時期もあるけど、最近はためいきしか出ない。息苦しくて一人でいるのが好き。たまにいい刺激をくれる同僚もいるけど、彼女がいいこといってたな。ランニングをやっていると持久力がつくだけでなく色々なことががまんできる力がつくんだって。わたしもできるときはランニングをやってみよう。

人と話して楽しいと思えるときはこういう前向きな刺激を感じられるときだ。噂話や仕事の愚痴って仕事仲間と話すと余計いやになる。なんにも関係ない人に一人で愚痴ってだまって聞いてもらうのがいい。

この動画自分で言うのもなんだがとてもよい動画だと思う。是非見て欲しい。


不幸は嵩になってやってくる

2010-11-26 18:03:58 | 人生

昔、NHKの朝の15分ドラマでそういうセリフがあって、やけに心にしみいりました。くじけていると、不幸は嵩になってやってくるよ、みたいな。だから、負けないでということだったんですが、本当にそういう気がして、さえないことが続くとき、自分の中でバサっと不運の連続を断ち切るよう心に決めます。別にお払いをしてもらわなくても、自然の中に飛び出し、青空や木や空気から気をもらうのです。

聞いてくれる友達や、行きつけのお店があったらそこで存分聞いてもらうのも手です。ただし、あまり臆病な人に話してはいけません。余計滅入ることがあるからです。

お昼の時間職場の周辺を歩いて撮った写真です。この巨木は桜の木だそうです。散歩しているうちに小さなイタリアンレストランを見つけました。パスタとパンとスープとデザートで1000円。しかし、パスタのソースが塩からくて、ついついお魚の量少ない方がいいですよとコメントを一言。

 

 


Bertrand Russell 仕事について

2010-11-05 22:10:42 | 人生

私が20代の頃から敬愛しているBertrand Russellの”Conquest of Happiness" (幸福論)よりの抜粋です。下手な人生相談よりもずっとずっと私の心を支えてくれるバイブルがこの書です。

The man who can forget his work when it is over and not remember it until it begins again next day is likely to do his work far better than the man who worries about it throughout the intervening hours. And it is very much easier to forget work at the times when it ought to be forgotten if a man has many interests other than his work than it is if he has not. It is, however, essential that these interests should not exercise those very faculties which have been exhausted by his day's work. They should not involve will and quick decision, they should not, like gambling, involve any financial element, and they should as a rule not be so exciting as to produce emotional fatigne and preoccupy the subconscios as well as the conscious mind

A great many amusements fulfil all these conditions. Watching games, going to the theatre, playing golf, are all irreproachable from this point of view. For a man of a bookish turn of mind
, reading unconnected with his professional activities is very satisfactory. However important a worry may be, it should not be thought about throughout the whole of the waking hours.


以下は私の即興的意訳です。(わからない単語の意味も調べません)

仕事が終わったらそれを忘れてしまい、翌日また始まるまで思い出さない人のほうが、継続して仕事のことを考えている人より、ずっとよい仕事をする傾向にある。仕事以外の興味をたくさん持っている人の方が、たいして持ってない人に比べて、仕事を忘れるのもずっと易しいい。しかしながら、仕事によって使い果たしたエネルギーを消耗するような興味であってはならない。強い意志とか即座な決断を要するものであってもならない。ギャンブルのようにお金を無為に使い果たすようなものでもならない。原則として感情を疲弊させるような興奮を呼ぶものでもあってもならないし、潜在的にも顕在的にもうつつを抜かすようなものであってもならない。

そういうものでなくてもたくさん楽しめるものは存在するはずである。スポーツ観戦をしたり、劇場に行ったり、ゴルフをしたりすることは、その点合格ラインだ。読書好きの人は専門分野とかけ離れた本を読むのもよい。どんなに重要な悩みでも、起きている時間中ずっと考えるべきではない。

(良い仕事をするためには、オンとオフをきっとわけ、軽く楽しめる趣味を持つことですね。精魂使い果たすような趣味は禁物。悩みは四六時中考えたからっていい結果が生まれるものではないということです。)


人は幸せになるために生まれてきたのではない

2010-06-23 21:56:36 | 人生

友人に娘が勉強ができなくて困るとメールで愚痴ったことがある。そのときの友人の言葉は、「そんなことは問題ではない。良い人間であるかどうかそれが大切なのだ」と。すかさず、私は「でも、良い人間だからというだけで幸せな人生送るのむずかしいよ」と返したが、返事はなかった。

最近、つくづく幸せになるために人間は生まれてきたのではないと感じる。幸せかどうかは、普遍的な状態ではなく、一瞬一瞬の感じ方であり、それが長く続くか、断続的かの差であり、幸せな人生、不幸な人生とひとくくりできるものではない。人間は幸せになるために生まれてきたのではない。だから、自分が幸せであると感じることでまるで良い人生を送っていると人に自慢するものでもない。幸せな人間は謙虚にその幸福を感謝していれば良いのであり、不幸だと思う人間は、それは単に不幸なできごとが長く続いているだけであると思えばよいのである。

幸せでなければならないと感じるから余計あせるのであり、自分に何か欠如していると誤った錯覚をするのである。特別幸せに感じない自分をも愛することこそ大切なのである。だって自分が自分を愛さなかったら誰が愛してくれよう。

人間は自分の運命を(人生)を成就するために生まれてくるのである。何を背負って生きているかはそれぞれ違うが、それでも人生を生き抜くことに意味がある。ふとそんな言葉がついて出た。幸せになろうとしなくて良いことに気の楽さを感じる。

ロマンロランの言葉に「人は幸せになるために生きているのではない。自分の運命を全うするために生きているのです」(ジャンクリストフより)というのがあることを知った。自分の考えでそう口に出たと思っていたが、でも、若い頃読んだ彼の小説の言葉が潜在的に記憶していたのだろう。

人生に疲れたと思うとき、きっと多くの人がそういうときがあるに違いないと想像する。お風呂に入るときにこの頃口ずさむ歌がNobody knows the trouble I've seen.  Only God knows.だからいやになっちゃう。でも、どうやら歌詞を間違えて覚えていたのだろうか、どのサイトを調べても歌詞はOnly God knowsではなく、Nobody knows my sorrowと続いている。Only God knows.でも十分意味は通じるけど。

ここ一年以上、私的にはピンチが続いているから、何十年ぶりかで再びジャンクリストフでも読もうか。それとも人間失格でも読もうか。ピンチってところでこれ英語?英語だよね。I am in a pinch.と言うし。

黒人霊歌で思い出したが、飛行機でBB Kingに会ったことがある。ファーストクラスにちょこんとした感じで座っていて、ギターのピンをしていたので、"Are you a guitarist?"と聞いたらにこっと笑って”Yes”と答えた。"Are you visiting Japan for a concert or something?"と聞いたら、”Yes”とまたもや笑って答える。思い切って"Are you famous?" (もっとましな聞き方ないのかよ)と聞いたら、"I think so."と答えて、私にそのピンをくれた。あとでそのことを知り合いの外人に言ったら滅茶苦茶うらやましがられたことがある。BB Kingはミシシッピーのプランテーションに生まれ小作人として働いていた。ギターで奏でる彼のブルースは、切なさと透明感が感じられる。人間BB Kingって感じである。私も生き方考えなくちゃ。

 

 


もう一人の偉大な人

2010-05-30 09:13:21 | 人生

 

バラの季節。本当に久々に猫以外の写真をとった。

いつも朝起きるのがつらいから、土日ぐらいゆっくり寝ていたいのに、アメ太がミミにちょっかい出すので、ミミのギャーッという声を何度か聞かされて、やむなく起きるはめに。ほかに3匹いるのだから、そっちにちょっかい出せばいいのに、なぜかミミを追いかける。ミミに強烈な悲鳴を浴びせられ、それで私に怒られるのにもめげず、やっと私が追いかけて初めてミミの元を離れ逃げていく。この繰り返しが一日に何度も続く。

アメ太は私の声はまったく無視、私が追い払うという行為をしなければ、絶対離れない。で、、そのすばやく逃げるアメ太がまたなんともかわいい。一応逃げるけど、その後平気の平左でまた繰り返すのだ。これをあきらめないという言葉に言い換えれると、人間ならものすごいものができあがっていると思う。アメ太のミミを追いかけるという行為はなんの足しにもなっていないけどミミのダイエットにはなっているかな。だいぶやせたから。ミミにもストレスになっていそうだけど、なぜかミミは意外とのんびりして見える。

朝起きたとき昨日新聞で読んだ福島智さんのことを考えた。9才で失明し、18才で聴覚を失った。何もしなくていいから、生涯面倒を見てあげるからと言ったお父さんの言葉に、「僕は人形ではない」生きたいんだと言って、大学に入学し、今は東大の教授になっておられる。福島智さんも信じられないくらいものすごいけど、お母さんもサリバン先生以上に偉大だと思った。サリバン先生は少なくとも自分の子供ではないから客観的に接することができたかもしれないが、お母さんはまず、自分の子供の苦しみに身を削られるような苦しみを感じたに違いない。

そのつらさに打ち勝って、指でコミュニケーションをとる方法を生み出したというからお母さんなしにはこれだけの成功はありえなかったかもしれない。

よく、神は耐えられない試練を与えない(God will never give you more than you can handle )とよく言うけど、きっとそんな単純なことではないのだろう。なぜなら、耐えられなくて命を絶つ人もいるのだから。試練に立ったとき人は自分の力でなんとかしようと試みる。そこがまず大前提に必要なのである。そしてその試練があまりに巨大なとき神(または偉大なる何か)に力を貸してくれと祈る気持ちが生じる。神は自らたすくるものを助く(God helps those who help themselves.)ともいうしね。私にとっては逆境をたくましく生き抜いている人が何にもまして人生の手本であり、勇気をもらう対象である。