Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

86歳のお客様

2013-12-07 20:28:38 | 日記

2週間前のことだけど86歳のお客様に食事をさそわれた。もう20年以上知っている方で、今お会いしなければ今後そういう機会がないかもしれないと思ってさそいを受けた。奥様を連れてらして、今回さそった主旨を話してくださった。自分も年齢が年齢だからいつ逝くかしれない。それまでにお世話になった人にあいさつをしたかったとのことである。今でも年3回は海外にいらしてる。海外といっても近場ではなく、アメリカとかフランスだ。自分の娘が就活を始める前からいいところ紹介してあげるとおっしゃってくださった。それはおことわりしたし、正直何も特別なことはしてさしあげたことはない。あたりまえのことをしただけだ。だけどいつも感謝してくださった。

いつも誰かが亡くなると葬式や通夜には行くけど、亡くなってから行くくらいなら生きてるうちにお会いしたかったということが多い。このお客様のように生きてるうちにお世話になった方にあいさつしたいとおっしゃりそれを実現する方ってどれほどいるだろう。会話をしてる間一度も聞き返されなかった。ただ長生きすればいいものではない。この方々のように素敵に長生きできたらどんなにいいだろう。


祈り

2013-09-23 19:43:12 | 日記

私のYoutubeのSubscriberが今日手術を受ける。癌が転移してしまったのだ。自分がそういう重大な病気にかかっているのに脳炎になって救急病院に連れて行かれたクリのことをずっと心配してくれた。クリはMRIを受けたり私が注射を一日多いときは4本も打ったり、遠隔気功を受けたりして、今では食べたり歩いたりすることができるようになった。首は曲がったままだし、右目も反応しないけど、一時はこのまま死んでしまうのではないかと思うほど弱りきっていた。

今日から彼女のために毎日祈ろう。不思議なことが彼女は航空機が好きだと言った。彼女のチャンネルを訪れたところがなんと私の会社の飛行機が。。。 どんな縁なんだろう。

 

 


娘が初めての一人海外旅行

2013-03-20 21:40:44 | 日記

娘が一人でNew Yorkに行くということでここ1ヶ月落ち着かなかった。それもスタンバイ。最初は友人と行くといっていたが、友人がキャンセル。こっそり私もついていこうと休みをとっていたが、いつの間にか計画を一週間延ばしていた。

スタンバイは私の仕事がら安く行けるけど、乗れるかどうかが最後までわからないので非常にはらはらする。そしてフライトがキャンセルとかになったときの対応が初めての人、それも英語がほとんど話せない者にとっては自力で解決がむずかしい。

しっかりした人間だったら心配も少ないだろうが、人生を甘くみている娘は心配でたまらない。英語が話せない注意力散漫、ろくに調べもしない。行き当たりばったりの海外で痛い目にあう人ナンバーワンとも言える娘だ。何事につけてもぎりぎりまでしないというか、催促されないとしない。NGだらけの人間だから私は気が気でない。育て方まちがってたといわれてもそういう育て方しかできなかったから私が出来る限りのことをするしかない。

どうもホテルはとったようだが、クレジットカードから決済済みなのかどうかさえ、はてな?の顔している。クレジットカード会社からだって再三電話がきている。ハンコが違って銀行から承諾がきてないとか、残高がないとか。。こっそり家族会員に申し込むがカードがなかなか届かず出発してから届いた。必着でお願いしてもクレジットカード会社ものんきな対応だ。なんのためにそんな必着日の記入欄があるのよ!いくら催促してももう普通郵便で手配してどうにもならないと。。

海外に行くとカードがないとえらい目にあうこともありうる。やたら仕事がらそういう場面に遭遇しているから娘の枠が低いカードでは心配なのである。しかし、ないものはしょうがない。現金で勝負しかない。

娘は出発前日にやっとスーツケースを引っ張り出した。なんとカギがかかってあかないと。最後に使ったのは10年前。カギなんてかけてないのに勝手にかかったというのはどういうスーツケース?猫がよく足台に使ってるから振動でかかったのかもしれない。カギをさがしてあけようとするが開かない。一回しか使ってないスーツケースなのに。そのスーツケースを買うとき旅行先でカギが開かないとかいうトラブルがあったらどうするのかと聞いたことがあるが、旅行に行く前からそういう心配があたるなんて。

旅行先でソフトなかばんがこわれて針と糸で縫ったこともあるし、キャリー用カートがこわれたこともある。安いものは買わないほうがいいですね。そのくせ30年以上前に買ったLongChampのかばん猫におしっこもかけられたことがあるけど、コンパクトにたためて旅行のときはセカンドバッグとして必ずスーツケースに入れておく。いまだに新品のように状態がよい。

娘はのんきに友人にスーツケース貸してなんてメールして出発当日もどうしようなんて言っている。お前初めての一人海外でなにしてんのとけとばしたくなる。結局私の2日用ぐらいのスーツケースともう一つのソフトバッグに詰め込むことになった。

娘のパッキングチェックしてあげようと思ったら田舎の郵便局からお母さんの保険のことでとかのんきな電話がかかってきた。母が死んだとき時間をかけずにまた相続税の負担なしに私に現金が入るよう保険を申し込みたいと言ってきたそうだ。いくらの?100万円。そうこうしているうちに、娘がじゃぁねと言っていなくなっていた。

やけに準備が早いじゃないの?空港で、Wifiの申し込みやお金の両替があるからさっさと行くようにとは言っていたが、4時間ぐらい前に着いたようだ。それからがメールや電話で荷物預けたんだけど次どこへ行くのかな?とか、ゲートがいつの間にか変わったらしい。とか、飛ぶ飛行機が仙台だか横田に行ったらしい。ゲートわかんないから聞いたらモニター見てるよう言われた~とか。結局さらに4時間おくれで出発。娘は8時間近く成田空港にいたことになる。

出発するまでのこの時間。Home Pageで情報をみながら娘にメールするが途中電池切れても困るなと思い、電池きれないようもうメールするなと書いたらちゃっかり空港のコンセントで充電したとのこと。

娘が空港で待っている間落ち着かない気持ちで近所のお店にワインを飲みに行った。ママさんに娘のことを言った。今日はNew Yorkに10時過ぎの到着らいしいけどちゃんと友達の家にいけるかな?なんてつぶやいていた。「もしかしてその友達って○○さん?聞いてみて」というのでメールしてみたら「なんでわかったの?」Small worldとはこのことである。

夜10時ぐらいの到着で空港からマンハッタンまで8万ぐらいしかもってないのにタクシーで行けばいいんでしょとお気軽なこと言っていたのでほかのTransportationも調べておくよう言っておいた。Shuttle bus一個ぐらい調べて調べた気分になっていたので、私がAirTrain+Trainを調べてそれのURLも送った。Penn Stationも二つあるからManhattanのPenn Stationで降りるようにとの注意もそえて。行く本人より留守番する私が調べてどうするのって感じだ。

私も初めての海外旅行が22のときでNew Yorkだったけど、英語は話せたし迎えに来てくれる人がいたので、Honoluluで入国審査をすませて、ロサンジェルス乗り継ぎのNew Yorkだったけど全然問題なかった。でも娘は準備が悪く英語が話せない。おばかなためにこわさを知らない。だから色々なこわい話を聞かせなきゃと思い、強制送還された人とかVanでへんなところに連れて行かれた人の話とか、へらへら笑うと怪しまれる話とか色々言ったつもりだが。。馬の耳に念仏。

New Yorkに着いてもいい頃なのに連絡がない。メールしても返事がないので電話したら、楽しそうな声。メールしようとしたが送れなかったと。電話は高いからするなと言っておいたのでしなかったようだ。Wifiの場合はWeb mailでなければだめなのですね。今は便利な世の中になったからスマートフォンかタブレットでもあればリモートで何でも連絡できる。でもホテルにWifiあるからと言ってた娘の言うとおりにしたら、ここまでのCommunicationはできなかったから、やはりWifiのルータぐらいは借りていってもらって正解。バカ娘の母親は頭を休ませているひまがない。今日はここまで。

 

 


新年の目標

2013-01-02 02:15:52 | 日記

今年は正月から働いた。何年ぶりだろう。1日に働くなんて。1日は年功の若い人が大体働くのできびきびした人たちでけっこう気持ちがいい。60歳になって給料が下がるなんてひどいと思ったけど、大方の人はやはり働きが悪くなるからしょうがないかもね。年をとった分だけワイズになっていい仕事をする人ってどれだけいるのだろう。給料に負けちゃう人のほうが多いかもしれない。謙虚にならないとね。

新年の目標なんてここ数年立てたことない気がする。でも、本当に記憶力とか覚える力って年をとると衰えるのかな?数年前、Show and Tell というContestに参加するというとき1週間足らずで原稿を用意してそれを暗記しなければならないことがあった。いざというときは原稿を読めばいいと思ったが、人前で話すのに原稿を見るなんてかっこ悪いと思い原稿は結局2日間で暗記した。

何度も何度もまちがえ穴があったら入りたいと思うくらいのできばえだった。私なんかより発音もよくてなめらかに話す人が何人もいたし、一緒の参加者も誰も私が入賞するとは思ってなかっただろう。なぜなら小声で○○さんが良かったとかxxさんがすごいとか聞こえたし、私のことを良かったといってくれたのは、Show and Tellに一緒に参加しようと言った友人ぐらいだったから。

こんなところで思い出話をすることからして年とった証拠だね。だから、3位の椿山荘のスイートルームの賞をもらえたときはえ~って感じだった。ビジネス英語の杉田先生や、どこかの大きな会社の重役さんから内容がよかったとほめられたときはすごく嬉しかった。

ここで何を言おうとしてるかと言うと、人間の能力って自分が思ってるよりもっとあるものだということ。だから、この辺でまた、何かにがんばってみたいと思うのである。

手始めに6月のハングル検定3級を受けてみよう。これだけ韓国ドラマを見てるのだからハングルの3級ぐらいとれずしてどうするってとこだ。

もう一つの目標。この間買ったインド料理用のスパイス、一袋100gもするコリアンダーやガラムマサラを減らすこと。減らすには料理するしかないので、インド料理をたくさんすること。特にダルカレーはたくさん作ってみたい。

とりあえずこの二つぐらいで。目標のなかった去年は何もしなかったね。仕事が大変だったからそれはそれでがんばったということでよしとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 


今年をふりかえって

2012-12-30 21:57:54 | 日記

今年はほとんどBlogを更新しなかったので、1年をざっと振り返ってみたい。

1月 明けるやいなや同僚の訃報。

3月 会社が合併して本格的に一つの会社として操業。新しいことを全部一から学ばなければならず、手足をしばられたようなもどかしさに無力感と憤りにさいなまれる。

5月 娘がどっかに行きたいというので、ゴールデンウィークはシアトルへ2泊4日の旅。雨のシアトル。ホテルの近くで食べた野菜とソーセージ入りハッシュドポテトおいしかった。空港の近くのアウトレットもグッド。

8月 ミミの死。よく吐いていたから長いことないと思ってたけど、13歳は若すぎる。正直のところ人間の死より、かわいがった動物の死のほうがかわいそうで悲しい。私が死んだら真っ先に会いたいのはミミやラブやチェリー。でも私のこと覚えているかな?

10月 夜行バスで実家に帰省。おばが癌で意識不明になっているところを見舞う。優しいおばだったのに苦労がたえず、一番かわいがっていた息子には先立たれ、残った息子や娘は冷たい子たち。苦労して育てても親の心子知らず。

10月末 会社の引越し。引越しは大変だったけど、新しいオフィスは天井が高くて、ドラマに出るようなきれいなビルでみんなハッピーな笑顔。

11月 さらに新しいシステム導入でなんだかな~って感じ。

仕事のつらさはうちのかわいいニャンコたちで癒された一年でした。来年は韓国語3級受験したいな。


100万回大変と言っても誰もわかってくれない。。。

2012-03-14 22:48:58 | 日記

忙しいと人の気持ちを思いやる気持ちもなくなるのね。会社ではせいぜい大変と言いながらも前向きなメッセージを伝えるようには努めている。

 

20年間つちかってきたことをすべてどぶにすてて全部新しいものを受け入れろと言われてもそれが前のものよりもどう考えても不合理だと思ったときのつらさ。。。。進歩することなれていた私たちがいきなり振り出しにもどり不便な原始時代から始めるこのつらさ。誰もわからないだろうね、当事者しか。

 

光の見えないこの苦境。誰もわからないだろうね、当事者しか。


忙しいときに限ってこんなことしてる

2012-01-31 21:58:05 | 日記

会社が今滅茶苦茶大変。あれもこれもと今まで覚えたことを全部忘れて新しいことを覚えなければいけないからである。新しいのが今までよりベターならいいけど、前のほうがずっと良いと思えるときは口惜しい。まぁしょうがないわね。色々事情があるのだから。

そんなときにわたしはYoutubeにちょっと頭にきている。せっかく再生回数が1万を超えているのに、私の使った音楽がサードパーティーのコンテンツに一致していますとか言ってくる。それも数個のビデオに。せっかくライセンスフリーのを気をつけて選んでいるのに、異議を申し立てそれが認められても収益プログラムに組み込むまで延々と審査中が出るからである。まぁ、最近色々もめているからしょうがないでしょうが、じっと待つのが嫌いなわたしは一筆も二筆も書きたくなるのである。日本語でだめらなら英語でね。人生は戦いである。

収益プログラムといっても一日1000回ぐらいの再生回だとほとんどパソコンの電気代ぐらいにしかならない。別にもうかることを考えているわけではないけど、せっかくアップロードするのなら一つのメトリックスとして再生回数が多いと嬉しいし、それに伴ってちょっとでも何かの足しになるとへそくりをためているようで楽しい。

でも、ライセンスフリーのまでとやかくちゃちゃがつくとやる気がなくなっちゃうわね。

YoutubeにビデオをUploadすることで面白いのは統計を見ることである。国別、性別とか年齢別に自分のビデオが視聴されているかわかるからである。猫の動画なのに男性が多いのが驚き。里親募集したときも男性の応募が多かったものね。チャンネル登録をしてくれる人は20代とか若い人が多いけど、実際見る人は40台以降が多いかな。

それからある日急に再生回数が上がるのも面白いわね。2匹の猫のなぞの関係などは今年になってから急に1万回を超えたし。最初はアメリカでヒットし次に日本でその次はロシア。その流れも面白い。また、お正月に撮ったのは、台湾の旧正月に再生回数がアップしたという具合だ。

私のパソコンも容量がいっぱいになったので、外付けHDDというのを買ってそちらに移した。それにしても猫が好きな人が多いのね。そうそう普通のPCではなく、モバイルで見る人が半分以上というのも時代の流れかな。なのに私はスマートフォンではなくDocomoをわざわざPHSに変えた人間。

明日もまた一日8時間のトレーニングを受ける。がんばらなくちゃ。人間短期間にどれだけ詰め込まれるかの脳トレを受けてるようだ。会社の合併って気が遠くなるくらい大変なプロセスであることは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 


私のもっとも高齢の友人はもうじき95歳になります。

2011-12-07 21:45:53 | 日記

知らないうちに友人が亡くなっているという状態を避けなければと思い、今日は長年の友人に3年ぶりで電話をした。彼女は来年95歳になるという。一緒にバイオリンを習ったことのある人で、そのときわたしは18歳で彼女は56歳だった。彼女は50代になるまで家事や仕事や子育てで忙しく、やっと自分の好きなことができるといって、途端にバイオリン、ピアノ、マンドリン、ギターそして合唱を始めた。アマチュアとはいえ台湾公演にまで参加したことがある。うちの会社が今度合併して、世界一の○○会社になるの、でも人減らしや給料も減らされて大変なの。。。。という話を延々と話したが、彼女はすべての話を普通に理解し、そこに年の差はまったく感じられなかった。息子二人とも東大に行ったくらいだから彼女自身もかなりIQが高いのだろう。彼女のだんなさまは若い頃辞書をまるごと暗記したとかいった話も聞いたことがある。娘がお母さんが音楽にのめりこんでふりむいてくれないので、ハンガーストライキを起こしたことがあるという話も聞いたことがある。

今でも彼女のバイオリンの音色を覚えている。私がただ指を動かして音がずれているのにも気づかずにいるのに対して彼女はよく音を聞き分け繊細な音色をかなでていた。一週間に一回遊びにいってデュエットを弾いてその後はご飯をご馳走になった。今は昔。95歳になった今も昔と全然変わらない話し方にただ驚くばかり。私も彼女のように生き生きと生きていけたらいいと思った。


そこはかとなく悲しい

2011-12-02 23:31:38 | 日記

一枚のはがきを受け取って、その知らせにショックを覚え、涙した。親しい友人の死。父親を幼くして失くし、苦学生としてそれでも東大の博士号を取得した友人。わたしは彼を30年以上前から知っていた。彼がうつのときにわたしは一冊の本を送ったらしいがそれすら覚えてないくらいわたしたちは長いこと交流がなかった。私が癌で入院したとき、友人グループの中でひとり見慣れないメールアドレスの人が私をいたわる優しいメッセージをくれた。ところであなたはどなたですか?と聞いたらその友人だったのだ。わたしは彼をある英会話のグループで知っており、家に遊びに行ったこともあるのに、彼が東大で博士号をとったことも教職にあったことも覚えていなかった。または最初から知らなかった。それだけ私にとって彼は単なる知人に近い友人だった。

彼の短いけど優しい一言が誠実に感じられ、その一言のためにメールを交換する友人に発展した。友人はなんでも知っていて、たとえばなぜ水の色は緑なの?と聞くと彼はA42枚ぐらいの説明を書いてくれる。私の数行のメールに対して彼はいつもぎっしり書いてくれる。デジカメ写真をよく送ってくれたので私も影響を受けて、デジカメを買い、それが私の生活に大きな影響を与えた。

最近わたしは猫の動画を撮るのに夢中になったり他のことに夢中になったりして、彼にあまりメールを書かなくなった。それまでは色々なことを書いて、自分にとっては悩みの相談相手であり、愚痴を聞いてもらう相手であり、知的な刺激を受ける相手であった。いつもそばにいてくれると思っていた友人がこの世に存在していないと思うととても寂しい。メールを送ったらすぐ返事をくれそうなそんな気がしてしょうがない。


スティーブジョブスの死に思う

2011-10-08 00:18:52 | 日記

AppleIIに始まった私のパソコン歴。今はアイポッドでブラームスを聞きながら通勤する日々。同年代であるスティーブジョブスの訃報に思わず仕事の手を止めてしまった。パソコンを立ち上げてメールのチェックから始まる一日。その日はなぜか削除しようとして触った別のアイコンをクリックして彼の死をいち早く知ることになった。誰かに話しても私ほどショックな様子を見せる人はそれほどなく世代の差なのかなぁとも思った。そこはかとなく寂寥感を感じる。

色々ある癌でもすい臓がんはなかなか早期発見ができないという。私が癌で入院したとき隣のベッドにいる人はすい臓がんだった。親しくなったけど、彼女はその後数ヶ月して亡くなった。彼の人生は出生からして奇異な人生だったけど病気までむずかしい病気だったんだね。いくら天才で大きな成功を収めたとしても死を前にした彼は平凡な人間と同じくらい恐怖を覚えたのではないのだろうか。病気という宿命には彼も無力感を感じたのであろう、おそらく最初で最後の。