Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

自分のものさしは短く....

2005-11-20 05:04:10 | 心理学
客観的な物の考え方と主観的な物の考え方がある。主観的な物の考え方の強く出る人は得てして自己中心的ともとれる。自分がそうだからと言って相手もそうではないかと勝手に推察したりする。人と自分は同じところもあれば違うところもある。自分のものさしを使いすぎると単なる思い込みになることが多い。

つきあってて疲れると思う人間がいる。被害妄想的傾向が強かったり、何かにつけてひりひりしたり、いらいらしがちだったり、negataiveに物をとらえがちだったり。依存心が強かったり、やたら批判的だったり、強い意見に同調しやすかったり、逆に反抗的だったり。かと思えば自己内省的で反省を繰り返してもいる(反省が曲者である)。ほとんどの人間は仲良くやっていきたいと思うので、ある程度相手に合わせるようするが、あわせるのがむずかしくなるとなるべくかかわりをなくしてしまいたいと思う。何も恋人でも親友でもない人に自分の大切なエネルギーをむなしく消耗したいとは思わない。気軽に物が言えなくなり、さしさわりのない会話だけしかしなくなる。自分にとって大切なことが相手にとってはどうでもいいことだって多いはずだ。

そういう自分も自分の世界に入りがちのところがあり、つい上司に指摘されることがある。何故か上司は私の話を聞きたがる。別にたいしたこと考えてないと思うのだけど、今聞いてなかったでしょうとか、目が飛んでたとか、何々と考えてたでしょうとか言われる。はずれてることも多いから、それも面白いなと思う。客観的に生きていると思われる上司にでさえ、いかに私が考えてることと、私が考えていると思われてることが違うかということを言いたいのである。

自分には何人かのよい友人がいるが、私のものさしではとうてい量れない。量ろうともしないし量る必要性も感じない。ほっといても心配にならない。気も遣わない。この間勝手にせんべいを私に送りつけた友人(私は甘党なのに)がいる。礼はいらないと書いてあったので、礼をしてない(世間の常識では絶対礼をすべきだと承知の上。彼女の場合は言葉どおりの人で礼をしたら、むしろ他人行儀と思うだろう)。「私は甘党なのですが」と書いてやろうかとも思ったがやめた。ちなみにこの友人はよく物を送ってくれるので、娘も「ママもたまには何か送ってあげなよ」というが、私はほとんど送ったことがない。一度、何か送ったら、自分のタイプじゃないので、人にあげたという返事が来た事がある。かなりユニークな友人である。えらく無愛想だが、困ったときはすっとんで来てくれる人である。