Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

たった一日だけのペット

2010-09-25 22:58:03 | ペット

今うちにいる猫たちはとても元気だけど、せっかく縁があって飼いはじめた猫でも短い命で終わったという話はよく聞く。

世の中でもっとも心優しい友人の一人は、特別にかわいがっていた猫ちゃんを今年失った。そしてある日玄関の外にいたみすぼらしい猫を飼いはじめた。1週間ぐらいは元気で食欲も旺盛だったのに、2週間目ぐらいから突然食欲を失い獣医さんのところで息をひきとった。生きているうちにほかの猫を救うことができたらと動物保護センターをたずね新しい猫をひきとった。その猫ちゃんは元気で甘えんぼでべったり友人にくっついている。いきなり肩に飛び乗ってくるというから大きな肩は猫ちゃんにとって大木のようなものだろう。最近ではパソコン操作をしているとじゃまでしょうがないからだっこひもを買って抱いたまま作業をしているそうな。

そんなある日シャム猫の子猫ちゃんを見つけたから飼わないかという話がまいこんだ。性格もとてもいい子らしく、自分の年も考えず特別な病気がない限り飼おうということにした。名前までKingにしようと考えて楽しみにしていたようだが、獣医に健康診断に連れていった翌日突然死んでしまった。

1年のうちに3匹の猫ちゃんを弔うはめになった友人。なんかこんなふうに考えてしまった。その友人は何十年も関節性リウマチに苦しんで痛みと戦ってきた。靴下を履くのも咳をするのも痛い。死んだほうがましと思うことも幾たびかあった。前立腺癌にもなって自分は2年も生きないだろうと思って住んでる家を2年後にひきはらう計画まで立て売る契約を結んだ。なのに最近痛みから解放されることが多くなった。意外と元気になってきた。そうシャム猫の赤ちゃんを飼おうと思うほどだし、それが2匹目にかかわらずだ。厳密に言えば3匹目だ。前からいた特別かわいくない猫ちゃんは、近所のうちに一時預かりを頼んだらそのうちにいついてしまったそうだ。遊びに行っても前の飼い主には目もくれなかったらしい。もっともその猫が友人宅に住んでた理由というのも近所の人がペットシッターを頼んだまま引っ越して行ったかららしい。

なんだか、私は彼が助けた猫ちゃんの分だけ健康を取り戻せ、命が長くなっているような気がしてならない。そんなことってあるだろうか。気のせいだよね。きっと気のせい。


ニューヨークはやっぱり遠いわ

2010-09-19 23:18:51 | 日記

前は直行便で行ってたからそうも感じなかったけど、今回サンフランシスコ経由で行ったからえらく遠く感じた。というかDoor to doorで20時間ぐらいかかったのだからそれも当然。着いた日はもう夜だったから娘につきあってColdstoneでアイスを食べ、Forever21で買い物。翌朝は、ニューヨークといったらベーグルよねと言って近くのお店でベーグルと絞りたてオレンジジュースを買って軽く朝食。

10時ごろPenn Stationに向かい、ロングアイランドレイルウェイのローカストヴァレー行き切符を購入。待っている間、KMartをうろついて軽くショッピング。ジャマイカというところで乗り継いでいくのだが、乗り越したら1時間に一本ぐらいしか来ない電車を待つはめになるので駅名を全部書いてきた。1時間と5分で友人の住むローカストヴァレイに到着。JPモルガンやチェースマンハッタンの会長とかもこの辺に住んでいるらしく一軒一軒が大きく離れていて、住所に番地がないほどだ。4エーカーもある敷地は思わず走りまわりたくなるくらい広くて気持ちよい。アメリカの金持ちってスケールが大きいよね、本当に。

庭でシャンペンとワインとバーベキューをご馳走になって再びマンハッタンへ。娘がダンスのレッスンを受けたいとかいうので、ブロードウェイダンススクールとかなんとかへ連れて行き、私と友人はTKTSでブロードウェイショーの切符を購入。マンマミアが40%引きで買えた。娘がいつもどるかわからないので、切符だけ部屋において携帯にメールをしておいて(アメリカではメールを受信するのにひどく時間がかかることがある)二人で先に劇場に出かけた。親と違って英語がへたっぴの娘を残すのは実はとても心配だったが一生くっついているわけにもいかない。I came to Japanなんて言っているくらいだから、トホホですよ。お金なんてかけたって無駄。

2日目は今は亡き友人が住んでいた建物を訪ねてみて、プラザでブランチ。リンカーンセンター経由(ファッションショーの最中)でセントラルパーク(乳がん撲滅のデモ隊に遭遇)。メトロポリタン美術館(イタリア展開催中)をちょっと見学して、Zaborに行き、スーパーマーケットに行き、くたびれはててホテルへ。レストラン行く元気もないので近くのDeliで買い物してホテルで夕食。中二日の超強行軍の旅行だったが無事終了。

 


小さなことがこたえる

2010-09-04 11:01:24 | 日記

親しんでいた人が自分の生活圏からいなくなるのはかなりこたえる。それも理由がわからないとなおさらだ。父親の死は覚悟していたからそういうのは意外と平気なのである。

5年ぐらい前、花の名前を知りたくてたどりついたサイトがある。はいらさんという栃木の管理者が運営しているサイトで、花の名前を教えてくれると同時にいつでもどうぞという親切な返事をもらった。それ以来花や猫の写真を投稿してはていねいなコメントをもらって、生活の一部になっていた。それから数年、ある日ラブちゃんが死んだあたりから、はいらさんの掲示板からコメントが突如として止まった。、掲示板があらされて一日とほっておく方じゃなかったのに、その後何年も荒れ放題。せっかくの美しい花のコレクションも更新されることは二度となかった。

そして今年。サイトが消えた。別に会ったこともないし、掲示板だってたまに投稿するだけだったのに、いつもあると思って安心して訪ねられるサイトという存在にすぎないはずだったのに、更新がなくなってものすごく寂しさを感じた。そしてサイトがなくなってそこはかとなく悲しく思う。栃木のはいらさ~ん生きてますか?

そして、今日美容院に予約をいれようとしたら担当の人が退職したと聞いて、ショックで椅子にへたばりついてしまった。あんなに前向きでやる気まんまんの美容師さんてそうはいないと思ってたのに、夏のだるさからいつも以上に間隔をあけてしまったために理由を聞くチャンスを逃してしまった。それが悔やまれる。お正月には1年の目標を決め、それをいつも目に見えるところにはって、着実に遂行するよう努力していると言ってたキムタク似のイケメン。で、「一年経ってちゃんと実行できているの?」と聞いたら「まずできてますね」とさらっと答える。優等生だったから、きっとどこかに引き抜きにあったか独立したかのどちらかよね、きっと。また新しい人さがさなきゃいけない。。。年をとってくるとこういう変化にたじたじしてしまう自分。ちゃんと行き先とかわかっていたらこう思わないのだろうけど。

仕事がらいろんな人と話さなければいけないのだけど、プライベートではけっこうShy.美容師さん一人とってもなかなか気にいった人を見つけて一箇所に落ち着くまで何年もかかる。また一からやり直し。

 


同じ誕生日の友人

2010-09-01 06:39:26 | 日記

NYには友達もいないし、でも誰か運転してくれる人がいたら、ちょっとはずれたところにはきれいな所があるのに。。。私はペーパードライバーの超方向音痴。運転手が欲しい。一緒に行く友人も街よりアップステートニューヨークに興味があるとのこと。

前つきあってた人に連絡してみようか。アウトドアの好きで超ストリクトベジタリアンの超動物愛護の超環境保護派、家に塩すらおいていない、超健康主義派。バターはりんごバター。アイスはバナナやいちごを凍らしてブレンドしたもの。初めてデートしたとき手作りのビスケットランチを持ってきて動物園に行ったのがなつかしい。塩も使っていないというレンズマメ入りのスープが意外に味があるのは驚きだった。毎月自然保護団体に切るチェックが十数枚。畑も自分で作ったり、冬でもハイキング。自分で作ったダウンジャケットを貸してくれて今はひきこもりの私も真冬のNYの山をハイキングさせられた思い出がある。今思えばためいきつくようなきれいな場所にたくさん連れてってもらったのは宝の思い出かも。

いやいやもう一人同じ誕生日の友人がいるのを思い出した。15年ぐらい会ってないけど、彼女のアドレスも古いPCに入っているだけ。古いPCはマウスすらなぜかあうのがみつからない。仕方なくキーボード操作で彼女の電話をさがして電話してみた。

彼女はフィリピン人で、外交官の娘。夫を自家用飛行機の事故で亡くしたが、ストリートナンバーのない住所に住んでいる。アメリカでストリートアドレスのない人ってこのひと以外知らない。敷地内には召使の小屋まである。電話したらうちに泊まる?それともマンハッタンのアパートに泊まる?ディナーとブロードウェイショーは私もちよと言ってくれたが、実はカントリーサイドに行きたいだけなのといったら彼女のうちのプールサイドでバーベキューをしようということになった。

彼女との共通点は同じ会社に勤めていたことと誕生日が同じだけだけど、なぜかとっても気があうのよね。全然気づかれしない、姉妹のようにすら感じる。弟の嫁も私と同じ誕生日だけど、やはりよく気があう。会社にも一人同じ誕生日の人がいるけど、彼女も気楽な友達だ。ネパールにいた同じ年の同じ誕生日の友人なんて双子のようにものの考え方や感じ方が似てたものね。最後にもらった手紙にはカトマンズーは戦争のようだと言ってたがそれ以来音信が途絶えた。昔彼の田舎の家に泊まらしてもらったけど、それもなつかしい思い出だ。もう何十年も会ってないけど、いつかまた会いたい。