高速バスで金曜の夜実家に帰ろうと思ったが、切符が売り切れていたため、翌日新幹線で向かう。はやてプラスやまびこ号。生意気に指定席しかないとのこと。すいてる時期には、お客にとってはただ500円高くなるだけ。前回は24時間もたないと言われ最終新幹線にとび乗ったけど、今回もおみやげなんか選んでいたからけっこうあわてて乗り込む。
父は言葉はイエスかノーぐらい(日本語だけどもちろん)しか話さないけど、顔色は悪くない。カセットデッキで昭和の歌をかけていたら「おんなじものばっかり」と文句を言っいたらしい。意識はしっかりしている様子。2週間ばかり水しか口にしないので、梅干の果肉でもなめるかもと思い食べるか聞くと、「うん」とうなづく。しかし、梅干を見て一言「いろっぺ悪いな」。赤しその色で赤くなっている梅しか食べたことがないから、茶色っぽいのは色が悪いと思うらしい。
兄が物置を整理していたら父さんの通信簿が見つかったと報告。全部「優」だ。小学校1年~6年まで全部そろっていて、一つ残らず「優」か「甲」。そういえば野球も得意だったし、歌もののど自慢で初めて聞いたとき優勝してたっけ。何でもできるスーパーマンみたいな父というと聞こえがいいけど、実際はとろい母親にいらいらして怒っているのしか記憶にない。
父親が小学校の頃好きだったという人を父の同級生に兄が聞いたことがあるといって教えてくれた。聞いてびっくり。この夏訪ねていったI先生。I先生とは趣味が良いなぁと思う。私はI先生を尊敬しているし、家族全員慕っている。I先生は生涯独身だが、I先生の初恋の人は誰だったのだろう。父はI先生が好きで好きでたまらなかったそうだ。短気な父だから愛想をつかれたのかもしれない。
母から、実は離婚をせまられたことがあると聞いてまたびっくり。子供たちのために離婚したくなかったと。いつもけんかしてたから無理ないけど、実際そいう話があったのにびっくり。ずいぶん母は苦しんだのに私は何にも知らなくてのんきに外国に行くことばかり考えていた。
父親のみならず父の兄弟の通信簿が全部とってある。きれいな字で保護者として私が生まれたときは他界していた祖父の名。そして祖父の軍隊手帳。軍隊手帳には保護者として曽祖父の名前。そして祖父が電力会社に勤めていた頃の日誌。祖父の兄の名刺がまとめられている。几帳面だったという祖父らしい。
父も母もあまり幸せな人生ではなかったかもしれない。母はボーナスを一度も手渡されたことがないという。優しい言葉もかけられたこともなく、ただ病気になって気弱になった父から頼られるようになって初めて幸福を感じ始めたのだろう。父は遊んでばかりいたようだが、寂しさやむなしさから逃れるためだったのかもしれない。
でも、人の幸せは時間では計れない。看病している母は不幸には見えない。管につながれた父も苦しそうには違いないが穏やかな顔をしている。
人の幸せは他人が決めるものではない。そう思う。