Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

古い通信簿

2009-12-22 19:38:23 | 日記

高速バスで金曜の夜実家に帰ろうと思ったが、切符が売り切れていたため、翌日新幹線で向かう。はやてプラスやまびこ号。生意気に指定席しかないとのこと。すいてる時期には、お客にとってはただ500円高くなるだけ。前回は24時間もたないと言われ最終新幹線にとび乗ったけど、今回もおみやげなんか選んでいたからけっこうあわてて乗り込む。

父は言葉はイエスかノーぐらい(日本語だけどもちろん)しか話さないけど、顔色は悪くない。カセットデッキで昭和の歌をかけていたら「おんなじものばっかり」と文句を言っいたらしい。意識はしっかりしている様子。2週間ばかり水しか口にしないので、梅干の果肉でもなめるかもと思い食べるか聞くと、「うん」とうなづく。しかし、梅干を見て一言「いろっぺ悪いな」。赤しその色で赤くなっている梅しか食べたことがないから、茶色っぽいのは色が悪いと思うらしい。

兄が物置を整理していたら父さんの通信簿が見つかったと報告。全部「優」だ。小学校1年~6年まで全部そろっていて、一つ残らず「優」か「甲」。そういえば野球も得意だったし、歌もののど自慢で初めて聞いたとき優勝してたっけ。何でもできるスーパーマンみたいな父というと聞こえがいいけど、実際はとろい母親にいらいらして怒っているのしか記憶にない。

父親が小学校の頃好きだったという人を父の同級生に兄が聞いたことがあるといって教えてくれた。聞いてびっくり。この夏訪ねていったI先生。I先生とは趣味が良いなぁと思う。私はI先生を尊敬しているし、家族全員慕っている。I先生は生涯独身だが、I先生の初恋の人は誰だったのだろう。父はI先生が好きで好きでたまらなかったそうだ。短気な父だから愛想をつかれたのかもしれない。

母から、実は離婚をせまられたことがあると聞いてまたびっくり。子供たちのために離婚したくなかったと。いつもけんかしてたから無理ないけど、実際そいう話があったのにびっくり。ずいぶん母は苦しんだのに私は何にも知らなくてのんきに外国に行くことばかり考えていた。

父親のみならず父の兄弟の通信簿が全部とってある。きれいな字で保護者として私が生まれたときは他界していた祖父の名。そして祖父の軍隊手帳。軍隊手帳には保護者として曽祖父の名前。そして祖父が電力会社に勤めていた頃の日誌。祖父の兄の名刺がまとめられている。几帳面だったという祖父らしい。

父も母もあまり幸せな人生ではなかったかもしれない。母はボーナスを一度も手渡されたことがないという。優しい言葉もかけられたこともなく、ただ病気になって気弱になった父から頼られるようになって初めて幸福を感じ始めたのだろう。父は遊んでばかりいたようだが、寂しさやむなしさから逃れるためだったのかもしれない。

でも、人の幸せは時間では計れない。看病している母は不幸には見えない。管につながれた父も苦しそうには違いないが穏やかな顔をしている。

人の幸せは他人が決めるものではない。そう思う。

 


いきなり24時間持たないと言われた父

2009-12-17 22:56:49 | 日記

兄が涙声で父さんが24時間持たないかもしれないというんだ。早く帰ってくるようにとの電話。2日前に入院した父は末期癌で年内もつかどうかと言われた。そして今度はいきなり24時間持つかどうか。

普通なら職場からまっすぐ新幹線に飛び乗るところだが、私にはそうできない理由がある。5匹の猫だ。どうやって猫の世話を頼むか。じっくり考えても一度は家に帰らなければならない。喪服だって用意しなければならないし。。。 5匹ともなるとトイレの用意、餌、水とも半端ではない。こういう日が5匹になって早速来るとは。

ペットシッターさんに留守電を残し、万一駄目な場合を考えて友人にも電話。明日ゼミでそれを受けなきゃ進級できないかもとかほざく娘は先に新幹線にのせる。 どうせたいした大学でもない、ゼミなんて人生の中のもっとも大切なものの一つではない。なるようになるさ。

父が孫娘にしばらくあっていないことをなげいていて、死ぬ前に会いに行ってあげなと言っていたのに。。だから、のらくらは駄目なんだよなとぶつぶつ思いながら、遭難事件のとき話ができてて良かったと思う。ここ数年はこれが最期かもと思いながら実家に帰ってたから。

父は7人兄弟の長男。実は数をまともに把握したのはたった今。3人のうち2人は癌で死去。姉は85だが、滅茶苦茶しっかりしている。私より話す言葉がはっきりしている。母方の姉も来月85になるが、またまたしっかりしている。親戚中でもっとも人間ができていて良い人間はこの二人のような気がする。今回初めて二人が父を見舞いに顔をあわせるのをまじまじと見て、そう思った。私もこう毅然としていられたらと思うが、猫が仲良くしているのを見ると私も仲間に入りたいと思うようなぐうたらな人間である。

父は来る日も来る日も死ななかった。痛いとも苦しいとも言わず、ぜんそくや心不全とも戦い苦しそうだったが、だいじょうぶとしか言わない。自分が最期だとはわかっていたみたいだが、言いたいことが山ほどあるのに言えないのが無念そうだ。

大体つい最近まで山に行っていてあと2年は生きるつもりでいたところを、いきなり管なんかつながれたらこれが最期かと思ってしまうのも無理ない。先生はまだ生きてる。意外と体力あるなぐらいにしか思ってないみたい。

5日残ってた有給休暇もなくなったので私は一旦東京にもどる。

親戚は葬式の準備を始めて、家の障子をはりかえたり、家具を移動したりし、兄は父の死後先祖代々の墓にするか、祖父の兄が築いた寺に眠らせるかどうか頭を痛めしぶい顔を見せている。お寺には200万もあげなければならないらしいとか、死んだあとのことばかり考えているのを見てうんざりだ。

実は父の入院の知らせを聞く数日前、また韓国に行っていた。自社のフライトがすいていそうだから行こうよと友人を誘っていたのだが、ちょっとした誤解から友人は前日の真夜中まで話はおじゃんになったと思っていて、すったもんだの末の旅行になった。

私が旅行を決めるのは50%の確率でたいてい前日か二日前だ。なんでも直前にならないとエンジンがかからないのである。だから 何週間も前から計画する人に合わせたりすると途中でめんどうくさくなってしまう。猫ちゃんとはなれるの寂しいなぁとか。あの子と旅行すると景色より彼女の話の印象のほうが強くて外国行った気がしないんだよなとか。ホテルが高すぎとか、貧相すぎとか。3人で寝ると洗面がめんどうとか。あれこれ考えて旅行前に疲れてしまうのだ。

物事を複雑に考えて疲れちゃうのだ。悪い癖だよね。なのに猫を見つけるときだけは複雑な思考なしに拾ってきちゃうのだから。基本はよい人間なのだろう。

今朝は電車でうずくまっている若い男性がいてみんな知らん顔してたけど、やっぱり気がつくと私は「大丈夫ですか」と声をかけている。もし、誰も声をかけずにこの人が死んだらどうしようとか考えてしまうのだ。

うちのクリス君とハヌちゃんだって私が助けなかったら毒殺されていた可能性がある。まったく同じ場所で猫の毒殺死体が発見されたと友人から聞いたからだ。

今週末はまた父の様子を見に行ってこよう。落ち着かない年末である。