Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

2泊4日のサンフランシスコ出張旅行

2007-02-26 20:09:29 | 旅行

3泊4日のはずが、フライトがキャンセルになったので、結局2泊3日に。飛行機で見た韓国映画"Family Ties"なかなか味わい深かった。3つの別々のストーリーが最後に交差していくところが新鮮。それにしても「マリーアントワネット」は英語で見たせいか、さっぱりつまらなかった。主役を演じた女性が初々しく我々のイメージする高飛車な王妃とは違っていたのは予想どおりだったけど。

空港に着いた途端ホテルへまっしぐら。と言ってもこれはあたりまえのことか。チェックインしようとしたら、相棒が止める。このままミーティングルームへ行こうというのだ。確かに我々は一日をロスしているのだから、それもしょうがない。スーツケースを転がしながら、会議室へ。さすがに何回か睡魔が襲ってきてこのまま眠れたらどんなに幸せだろうという瞬間があった。しかし、仕事なんだと自分に厳しく言い聞かせ頑張りとおした。アメリカ人て本当に意見を自由に言うことこの上ない。別に質問の時でもなんでもないのに、ひとりが意見を述べ始めたと思ったら次々と手があがる。MCが「あとひとりだけ」と言うがそれを言ったあとにも5人は立て続けに意見を言っていた。別にどうしても言わなきゃいけないってほどの意見ではなかったけどね。

そういう私は無口をだいぶとおしていた。なんだか意見も考えもない単なる大人しい日本人と思われたのだろう。2日目の午後になっていきなり、自己主張したくなった。相手になんと思われるのかを気にするのではない。私がどう思うかをいう事が大切なのだと自分に言い聞かせ、途端に話し始めた。ほんの少し「あれっ」という雰囲気が感じられたが、話すのも聞くのも得意な彼らは、へたくそな英語の私の発言でもだまって話させてくれた。私の隣に座っているラオス系米国人が落ち着いて理論的な意見を展開するので、"You are cool"と言ったら、"You mean I am calm?"といわれた。そうだね、Coolと言ったら、かっこいいという意味になっちゃうものね。私は冷静だねと言ったつもりだったけど。

休憩の時間にチェックインをして、仕事が終わると、荷物を部屋において、すぐその足で再び空港へ。空港からBartという汽車に乗りダウンタウンへ向かう。Bartは3年前に開通したらしい。汽車が来るまでひまだったので、ハンサムな駅員さんをつかまえて写真をぱちり。ダウンタウンではケーブルカーに乗りフィッシャーマンズワーフへ。実はケーブルカーは乗り心地が悪い。私は気持ち悪くなってしまった。おまけに時間がかかること。帰りは絶対タクシーだ。

2日目は同様にダウンタウンへと思ったが、昔仕事で宿泊していたSan Mateoに行ってみたいと思った。たまたまSan Mateoに住む男性が同じテーブルにいたので、彼に乗せて行ってもらった。そのあとCalTrainでダウンタウンへ。切符を買わずに乗ったので$250罰金だよと言われた。結局、許してもらったが、汽車の中で買おうなんて考えは甘かった。乗車賃として出したお金もとってはいけないことになっているらしい。

路面電車に乗り継いでPowell streetまで行き、1908年にオープンしたというレストランで食事。切符の裏を見たらカスタマーサービスの住所が書いてある。5桁のZip codeが私の社員番号とまったく同じだ。なんだか宝くじにでも当ったような気分だが、何も景品はない。

たった2泊の出張旅行だったのに、Bartに、Caltrainに、ケーブルカー、路面電車、タクシー、米国社員の車、ホテルのVan、無賃乗車と色々な乗り物の経験ができた。

 


この頃

2007-02-25 01:58:09 | 日記

昨日、今日となんだか脱力感におそわれて寝てばっかりいた。とはいえど、今日は歌舞伎を見る約束をしていたので、ごろごろしていながらもさすがに3時には起きた。2等席8,400円は高いと思ったけど、それでも正規の料金は11,000円だ。今日の演目は 仮名手本忠臣蔵。ストーリーがわかっていたのとイヤホンガイドを聞いていたおかげで、よく理解できた。玉三郎のお軽役がなんとも魅力的だった。友人に笑われてしまったが、桟敷席ってテーブルもついていてお弁当やお茶も出るみたいであそこに座ってみたい。

2月3日にはご主人がチェンバロを製作し奥様がそれを演奏という船堀のご自宅でのコンサートに行って来た。このチェンバロはキースジャレットも絶賛したというから、すごい方が近所にいるものだ。バロック音楽は好きだが、曲の選択がちょっと私には高尚すぎたかも。途中で舟をこいでしまった。 高尚といえばこのチェンバロを演奏した方の名前は高橋尚子さんという。

今年になって5回も神楽坂に行った。古い友人と2回、会社の同僚と2回、近所の友人と1回。一度何かが気にいるとしばらくの間とりこになる私。中でもSorissoというイタリアンレストランはサービスがよく、2度目行ったときはすぐ名前を呼んでくれた。シェフまで挨拶に来てくれたときは恐縮してしまった。フランス語のぺらぺらの友人にフレンチレストランに行こうねといいながら、結局イタリアンに連れて行ってしまったのに、良い選択だったと喜んでもらえたくらい。

2月15日、実に15年ぶりに仕事のついでながらサンフランシスコ近郊のサンマテオに行った。なつかしい町だ。いろいろな思い出がつまった町に浦島太郎になったような気持ちになり悲しくなった。なつかしい場所にいるのになつかしい人たちがいない寂しさ。思い出の土地を訪ねるのはやめようと思った。過去のことだと昨日のことでもセンチメンタルになり気味の自分。なんなのだろう。年をとったということかしら。

やっとのことで韓国ドラマの恋愛ものを卒業した。もう十分と思えた。いつになったら飽きが来てやめられるのかなと思ったけど、見るだけ見れば必ず飽きがくるのね。子どもの頃、漫画が好きでいやっというほど読んだら自然に興味がなくなったときが来たように。今、ちょっと興味が出てきたのが日本の歴史。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み始めたら面白い。秋山兄弟が実に魅力的に著述されているので、日本史が苦手だった私でも楽しめている。


猫と犬 - うちのペットたち

2007-02-19 22:22:05 | ペット

 ミミは人見知りがはげしい。甲高い声の人が来ようものならすぐ隠れる。そうでなければ奥の部屋から顔だけ出して様子をうかがい、相手が自分にとって安全かどうか見極めようとする。 一応顔だけ出すということは、興味もあるということなのだろう。そんなミミも私にはべったり。私がPCの前に座るとたちまち、私の膝をめがけてのってくる。今もそうだが。とても不自然なかっこうで座っていてもなんとかバランスを保つよう自分の姿勢を調整しながら横たわるからよほど膝の暖かさが好きなのだろう。

                 

                          

   

ラブが使わなくなったトイレをそのままにしていたらちゃっかりミミが入ってひなたぼっこ。実はミミは拾ってきたとき一回洗ってあげただけで、あとはお風呂に入れたことがない。でも、毛は光沢があり艶々して美しい。下はつい2ヶ月前3匹がそろったところ。これが3匹そろった最後の写真となった(涙)。

 


さよならラブ

2007-02-14 01:19:09 | ペット
力なく横たわるラブに水を口元までもっていくと、ちびちび長い時間をかけて飲んだ。えさは一口も口にしない。身体をなでてものどをゴロゴロしない。抱き上げようとすると小さな悲鳴をあげる。苦しいのだね。そっとしててあげるね。床に苦しそうに横たわっているので、となりにベッドを作ってあげたら、立ち上がるのも大儀そうだったのにしばらくするとそこに入っていた。いじらしい。そんなラブを置いていくのがつらい。帰ってくるまで生きててね。

私のサンフランシスコ行きのフライトはゲートを離れ滑走路へと静かに向かった。救急救命具のデモが終わり、携帯電話・電子機器の使用を禁止するアナウンスが続き、私も携帯電話の電源を切った。しかし、しばらくすると機長からエンジントラブルを知らせるアナウンスがあった。左エンジンが問題なのでゲートに引き返すというのだ。今後のみとおしは30分後ぐらいになったら再度知らせるとのこと。フライトアテンダントが時間がかかるだろうからとワインを配ってくれた。そんなに時間がかかるならと思い、私は携帯の電源を入れメールをチェックした。「家に帰ったらラブちゃんが死んでた」という娘からの知らせに思わず声をあげてしまった。

「死んだ」という言葉。「死ぬかもしれない」でもなく、「死ね」でもなく、「死んだら」でもない。「死んだ」というその動かすことのできない冷たい真実。こんなに無力な言葉があるのだろうか。

私は今すぐにでも飛んで帰りたかった。でも、猫が死んだからと言って仕事を放棄できるわけにもいかない。やはり最近に愛猫をなくした上司に電話をすると、帰ってもいいよという。そんな選択肢くれないでよと思う。いくら上司がいいと言っても飛行機下ろさしてくれなんて言えない。フライトが飛ぶかどうかは50・50という声が聞こえる。7時出発のフライトが9時半頃になってやっとキャンセルが決まる。正直いってその間3時間近くも経っていたとは思えないくらい私はラブの死にとらわれていた。

ほかのお客様には大変申し訳ないが、キャンセルは私にとっては救いだった。どうどうと家に帰れる。しかし10時近くになってのキャンセルなので、再入国の手続きまでしばらくかかりそう。ところが普段ならもっと手続きだけで一時間ぐらいかかるのが、今回は簡略化された手続きだったのか、手際がよかったのか、私はぎりぎり終電に間に合うことができた。

私はラブの最後を看取れなかったのが口惜しかった。そして出張がこの日であるのが口惜しかった。また昨日無理に医者に連れて行ったのが余計ストレスだったのではないかとそれも悔やまれた。

家に向かう道、一瞬私はびくっとした。ラブそっくりの猫がたたずんでいるのだ。目を閉じているのがいかにもラブの最後の目やにでつぶれたような目を思い起こさせてびっくりした。声をかけて近づこうとしたらその猫はさっと逃げていった。ラブそっくりの猫なんて野良では見たこともない。なんだかさよならを言いに現れたような気がして余計悲しくなった。

かえってきてラブの横たわってるのを見るのがこわかった。死んだ姿をこの目で確かめることになるからだ。さわってみるといつもと同じ毛ざわりだ。抱いてみるとすっかり固くなっている。明日からラブのいない生活になるんだなと思うと霧消に寂しく悲しい。

でも、ラブは少なくとも病気の苦しみから解放されたんだね。よくがんばったね。ラブちゃんがいた生活しあわせだったよ。ありがとう。そしてさよなら。大好きなラブちゃん。



結局ペットシッターさんに来てもらうことに

2007-02-13 09:18:00 | ペット
このままでは私のいない間に死んでしまう。でも、最後の日々を入院させるのもかわいそうだし。きっと知らない犬や猫に囲まれて落ち着かないだろうし、不安だろう。いつも旅行の時来てもらっているペットシッターさんに電話した。「私が留守の間死ぬかもしれないけどそれでも来てもらえますか」と聞いたところ、来てくれると言った。それどころか、今の様子も知りたいからと夕べわざわざ来てくださった。

「最後だからえさとしてさしみをやるのはどうかしら」と言うので私も同感だと言った。ラブちゃんはおばさんに抱かれてのどをゴロゴロしている。「これくらいだったらあなたが帰るまでもつでしょうね」死ぬのなら自分の腕の中で看取ってあげたいと私も思った。

今朝起きたらラブちゃんがいない。ありとあらゆるところをさがしても見つからないので娘をたたき起こしていっしょに探せと指示する。姿が見えないとついつい最悪を想像する。「ママここにいるじゃない」と言う娘の方を見るとキャリングケースの中に入っている。おかしいなさっきいなかったのに。おまけにその前におしっこをしている。おばさんが言ってたように歩く元気もなくなるとトイレまで行く元気もなくなるようだ。ケースの中にしいていたタオルも濡れていた。抱きかかえて外に出そうとするとタオルにつめをひっかけたまま出てきた。しばらく抱いていたが、姿勢を正すこともできなく、不自然なままでいた。えさは一口も食べず、水をやっと飲んだだけ。そして苦しそうな鳴き声を2・3回あげた。いつものようになでてあげるが、のどはゴロゴロしない。

夕べあんなに元気そうにしていたのはペットシッターのおばさんに会えたからなのかもしれない。こんな姿のラブを残して出張それも海外に行かなければいけないのが口惜しい。猫ちゃんは娘と私のたった二人きりの家族にとっては本当に大きな存在。娘が小学校から帰ってひとりぼっちで留守番しなければならないのがかわいそうで飼い始めた野良猫2匹と犬1匹。いつかはその日が来るとわかっていても7歳にしてこういう苦しそうな姿を見るのはしのびない。白血病ウィルスを持っていると死りながらも情が移って飼い始めたからそれもしょうがないけど。

今まで3度行方不明になってたけど、首輪をしていたため無事に戻ってこられた。今日、すっかりゆるゆるになってしまった首輪を重そうだったのではずしてあげた。

ラブちゃん、私が帰ってくるまで生きていてね。

元気だった頃のラブ

弱りゆく猫

2007-02-12 08:06:10 | ペット
ラブのその後。

昨日からラブは3回ほど大きな鳴き声をあげてたおれた。ちなみに普段はか細い声でしか鳴かない。体重は悲しいほどに軽い。たおれたら自力では立ち上がれない。食欲はなく水をやっとほんの少し飲むだけ。目は目やにでおおわれた状態。うんちも最後に出たのは豆粒ぐらいだったが、今はおしりにほんのかすがやっとついているくらい。

明日から出張で娘を置いて5日間留守をしなければならないのに。入院させておこうか。でも、ほかの動物たちのいるところに5日間もおくのはストレスだろうし。このままだったら数日の命だと思う。今日また医者に連れて行って相談しよう。先週は薬を飲まなかったら2・3ヶ月と言っていたけど、こんなに早く弱るなんて。。。