Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

能楽囃子コンサート

2007-06-24 14:16:01 | 音楽

能楽囃子コンサートに行った。招待でもされなければまず行くことのなさそうなコンサート。最近は映画すら行ってないくらいだから。今回招待券をいただいたので国立能楽堂に赴いた。両祖父ならびに父親が人間国宝という能楽のサラブレッド、大鼓方の亀井広忠の解説入りの若手能樂家による珍しいコンサートである。

西洋の音楽に慣れている自分には、いきなり笛方の息を力いっぱいに注いだ吹き方にびっくりしたが、しばらく聞いているとあぁ、能楽だなぁとなじみを感じてきた。正直のところ早く終わらないかなぁなんて飽きてしまったが、亀井広忠の解説が上品で魅力的で、聞いてて心地良かった。コンサート自体は豚に真珠だったかもしれないけどね。

 


傷ついている人たち

2007-06-17 09:26:35 | 心理学

時々ささいな言葉に傷つくことがありませんか。こんなことでと思うことで。大人気ないなって思いながら、Rebelliousな自分はちくっとその場で気のきいた言葉で反発できればそれでよし、不器用な言葉しか出てこなかったり、言うチャンスを逃したりすると「あぁ、あぁ言えばよかった」なんて未消化の気分をしばらく味わいます。娘にさえ、いらいらしているときに「ママ、ご飯いれすぎだよー」なんて言葉に「ご飯たくさんいれたくらいで、文句うなっ!」って大声で言うことがあります。その反応に娘はびっくり。「そんなに怒鳴らなくっていいじゃん」「いらいらしてるときに声かけるからだよ」「イライラしてるなんて知らなかったんだもん」「もう、わかったんだから、もうだまって!!!」家庭内の会話だと抑制力ゼロの自分。これを職場でもやったらえらいことになります。怒りやイライラをぶつける相手を間違えてはいけません。たいていはそれは相手が怒らせることやイライライさせることを言ったからではなく、受け止め側の問題が大きいからです。ご飯をたくさんいれたという事実を娘がいった。私はそれを責められたと受け止める。そこでもともとイライラしている自分が、文句を言うなと文句を言う。 たとえがたわいないものだからピンと来ないかもしれませんけど、怒りやイライラの火をつける種なんてたいていささいなものなのです。

日頃から、会社関係の自己負担の交際費が多くて悩んでいるところに、上司から飲み会の誘いに対するのりが悪いなんて一言言われただけで心の中では火が燃える。「それには理由があるんですよ。なんなら全部言ってあげましょうか。。。」(心の声)

「怒っている人は傷ついている人だ」って聞いたことがあります。その言葉はすぐにはぴんと来なかったのですが、最近わかるような気がしてきました。自分を理解してもらえていない、理解されるほどに気にかけてもらえていないという嘆きがあるのでしょう。だから、小さなことが大きくひっかかるのです。大きなたくましい愛情につつまれているという安心感のある人は、その小ささが理解でき、上手に流せるのだと思います。大きな愛情というのは別に今のものでなくてもいいのです。過去のものでも。愛情が根底にある人はもっと寛容であり、怒りも少ないと思います。

今度は愛情の問題になりますが、どんな愛でもいいかというとそうでもないようです。愛情にも質があるようです。たくましい人を暖かく包み込む愛、束縛するひとりよがりの愛。。。臆病な愛はないほうがましと言った哲学者もいます。周りに美辞麗句で自分の怒りを正当化して武装している人がいたら、もしその人に困らせられているなら、実は孤独なのだということをわかってあげてください。 相手を変えるのが無理でも自分の受け止め方は変えることができます。

しょっちゅうイライラしているのなら、本当にイライラさせる原因は他者なのか、考えてみる必要があります。人を変えるのと自分を変える、どちらが簡単なのか。