Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

アメ太

2009-05-31 20:40:33 | ペット

月曜日に日本を出て土曜日に帰った。動物がいると旅行中は何かと気になる。娘がいてもいまいち頼りにならないからね。そういうときに海外に通じる携帯電話は本当に便利だ。

ホノルルについて初日は自由行動。仲間がレンタカーしてワイケレのアウトレットに行こうということになった。さぁて買うぞーと意気込んでいるところに娘から電話。アメ太がトイレのホース的なものを噛んで水漏れしているとのこと。バケツを置いているがすぐいっぱいになる。学校におくれるし、水道やさんは9時にならないと開かないとSOS。水の締めかたを説明するがら致があかない。人目をはばからず、ぐずぐずしてないで隣の人を呼びなさい。私は私で近所の知人に電話をかけまくるが、そういうときって国際電話がうまく通じない。+を押して、国番号、ゼロを除いて市外局番、電話番号という順番だが、なぜかテレビ電話モードになったりして、イライラしてくる。

出勤寸前の友人がかけつけてくれて水道栓を締めてくれたのでまずは一安心。そういえば数年前の出張のときも、ラブちゃんが死んだというメールがあり、ゲートを離れた飛行機がたまたま機材に問題ありでもどって挙句の果てにキャンセルになり最後のお別れができたという事件があったことが思い出される。

水道事件の後、携帯電話がこわれ、ずっと圏外表示に。仲間の一人は新しい携帯電話なのに、アメリカで通じないと怒っている。電話会社に問い合わせるとその携帯はヨーロッパやアジアでは使えるけど、アメリカではだめらしい。一体どんな電話なのだ。

旅行から帰ってアメ太を友人とこに連れて行ったら、最初はいつものように家中を探検。堂々としたものだ。この家の猫は18歳のオスだ。ベッドに横たわっている家の主の猫ちゃんを下からしばらくじっと見つめていたが、右足をくねっとまげて一歩ややベッドから離れた方向に踏み出した。その後、こんな歩き方見たことないという、なんとなく弱腰の歩き方で私の方向に近寄ってきた。さすがのアメ太もこの家の主の猫ちゃんには遠慮を感じたようだ。ミミにはあんなに威嚇されてもものともせずちょっかいだしまくったくせにね。この猫ちゃんはなんたって7階のベランダから下に飛び降りて生き残った子だから。アメ太の別の一面を発見。きなこを相手にするとお母さんになるし、ずいぶん色々な顔を持ったアメ太君である。こんな子がいなくなったら本当に寂しくなると思う。

 

 

 


里親探しも楽じゃない

2009-05-24 12:58:41 | ペット

結局、茶白の子猫は墨田区の一人暮らしの若い男性のところへ。実家がすぐ近くでそこでは三毛猫を飼っているそうな。以前はアメショーの飼育も経験あるとのこと。彼のガールフレンド(?)も猫好きの様子。

肩のでっかいのは渡り心地が良いですなぁ

 

黒白ちゃんは、三鷹の若いカップルへ。ところが黒白ちゃんの片目がじゅくじゅくしている。よく見ると残ったもう一匹の茶白も。サバトラちゃんは最初から目がただれているのはわかっていたけど、移ったのかな。楽しみにしている、メールの文面からも電話での話し方からも優しさがあふれている里親志願者さんに引渡しを延期しようか、目のおかしくなっていない子にしようか、獣医さんに行ってからたいした病気でなさそうなら薬をもらって届けようか迷った。その方は黒白の美人ちゃんにひとめぼれしたけど、その子を欲しいという人が他にいたら(実はいたのです)、他の猫でも終生かわいがりますとの泣けるような言葉をいただいていた。

結局、目が平気な黒白のおひげちゃん(女の子なのにごめん)と目がじゅくじゅくしている黒白の美人ちゃんを連れて行き選ばせることに。獣医さんに見せたら結膜炎とのことだったので、薬を余分にもらい他の猫にもさしてあげることにした。

高速を走れない前にしかシートベルトのないおんぼろ自動車で1時間半もかかって三鷹に到着。猫の保護者もボランティアのおばさんも、車の運転手もみんなご高齢の方だ。

車の中での様子

 

まだ20代と思われる几帳面そうで優しそうな男性が住居の前に立って待っていてくれた。事情を話しおひげちゃんと美人猫の選択をせまった。二人とも優しすぎて選べない。美人ちゃんはやんちゃですぐ遊びに反応する。おひげちゃんは出された餌にまずは腹ごしらえ(朝ごはん食べたのにね)。用意された紙砂(普通の砂しか使ったことがないのに)で用を足し、キッッチンのキャビネットの奥にさっそくひきこもり。

ご飯も食べたし、おしっこもしたし、ちょっとわたくし奥に入って休ませていただきます。

 

一般にはやんちゃな美猫が好まれると思うが、女性がおひげちゃんが頭がよさそうとそちらも気に入る。二人とも決められずにいる、お互いに決めて決めてとゆずりあっている。目の調子の悪いのは問題視はしていなかったので、かわいい猫を二匹めの前にして選べって言うのも酷な話か。いっそのこと2匹飼えばいいのにと思ったがそこのアパートは1匹までという制限がついているそうな。

結局、美人ちゃんは引き取り手がすくに出ると思うといったら、売れ残りそうな方を飼いたいといってくれた(泣けるねぇ)。

一匹残った猫が帰り道、もう一匹を探して鳴くのを聞くのがつらい。悲しそうなんだよね。前日お母さん猫が一匹いなくなったのに気づいてさがして鳴くのを聞いたときも切なかった。捨てられた猫の里親探しが一番精神的には楽だね。私はきなこを拾ってきたときだって、親猫が生きていて子猫がいなくなっているのを見つけたら悲しむだろうな。いや周りに親猫らしいのはいなかったからきっといいことをしたんだよと言い聞かせてはいる。

お母さん猫は私に警戒している。私が行くたびに子猫が減るから。ごめんね。この親猫にとって私は単なる猫さらい。

 

うちにはアメ太という面倒見のいいアメ太兄さん(お乳まであげるお兄さんがどこにいる)がきなこを退屈にさせていないからいいけど(むしろかまいすぎ)、11匹家族から1匹になるのはかわいそうだなとか色々な思いが錯乱する。でも、優しい里親さんに大切に飼われてきっと幸せだよね。人間と違って猫は親子そろっていつまで一緒というのは自然界では短い間だけだものね。

うちの猫たち。ソファでごろんとしようと枕を置いたらいつの間にかこれです。

 


子猫の里親募集その後

2009-05-21 00:26:17 | ペット

7・8件問い合わせがありました。そのうち2匹はとんとん拍子に決まり、とっても優しそうな男性二人がひきとってくれることになりました。メールの文面からもお話の仕方からも猫ちゃんが幸せになりそうな印象を受けました。

とりあえず、掲載をいったん削除して、あとはハワイ出張から帰ってから今度は一匹ずつ出します。一度にたくさん出すととても大変。かといって子猫があまり大きくならないうちに決めたいし。いやはや、それにしてもみんな遠くに住んでるのです。今度は東京限定にします。おかげでYRP野比駅なんてあるのを知りましたけど。

 

 


子猫の里親募集

2009-05-17 22:06:25 | ペット

なんとなく慌しい5月だ。同僚のご主人が結婚1年で亡くなり、悲しみの告別式。いくら宗教で永遠の生を約束したとしても、凡人にとっては死に別れほど切ないものはない。気丈な同僚の挨拶には、彼女のご主人を知らない我々にでも涙を誘うものがあった。

ホノルルのマネージャーが来るというので、ばたばたとさぼっていたレポート類をしあげる。彼女もなんと一泊で帰るという過密スケジュールを覚悟で来るのだから忙しいなんて言い訳できないし。

もう健康上日本に来ることはないだろうといっていたアメリカの友人が、意を決して日本に来ることになった。菜食主義者だ。うちの猫たちは彼の穏やかさを感じとってか普段は人見知りのミミまで現われて愛嬌をふるまっていた。彼はある病気のため人生の約半分を痛みと戦ってきた。奥さんとは別居して、2匹の猫と同居している。ある日突然玄関のドアの前に猫が現われたというのがMr.Catである。もう一匹は近所の人が彼に預けたまま引っ越して行ったということだ。長年一緒に暮らしたMr.Catは彼のbest partnerであり、特別な猫で知性と猫格をがあるそうだ。その猫は最近腎臓が悪くなり、自分が想定していた寿命を超えて生き延びているという彼自身は色々な病を持っていながら痛みから解放されているというから不思議だ。彼の今までの善行に対して神様が与えた最後のギフトなのかしら。。。なんて思いたくなる。ニューヨークタイムズに20回投稿して10回コメントが載ったというから考えが深いのね。私も英語の文章を何度か構成してもらったことがあるけど、ほれぼれしたものである。

今日は近所のうちに猫の写真をとりに行った。ある夫婦が野良猫に餌を与えているうちその猫がその夫妻の家の押入れで子供を5匹産んだそうだ。その猫をどうしようかと悩んでいるうちに、数ヶ月たってその一匹が6匹産んで大変なことになっているということなのだ。人がいいだけじゃね。結局近所の猫おばさんが見るに見かねて私に里親募集をかけてくれないかということになった。そこでデジカメをもって写真をとりに行ったのである。みんなめちゃくちゃかわいい。

来週から私は出張があって1週間留守することになりうちの猫のことだけでも心配なのに。なんだかばたばたと落ち着かない。優しい飼い主さんがあらわれてくれるといいのだけど。うちなんてアメ太ときなこの運動会だけでも近所迷惑だからね。気持ちだけではどうにもならないものである。


記憶の片隅から

2009-05-04 09:16:19 | 旅行

田舎の街を花見がてらに散歩していたら、ある線路の脇に来て心地よいなつかしさがよみがえってきた。この道を通るのは何十年ぶりだろう。誰かの家が近くにあってそのうちに遊びに行ったことがるのを思い出した。誰の家だったんだろう。ふとI先生の名前が浮かんできた。I先生には教わったことがなかったけど、兄が2・3年教わったことがあり、母や兄からいい先生だったことをよく聞かされていた。残念ながら私は自分の小学校の時代の先生にはあまり好ましい思い出はなく、I先生だって兄のつてで何十年も前に遊びに行った私のことなどわかりもしないだろう。母に聞くとI先生は父と同じ年で80になるという。

せっかくだから先生のうちに田舎らしく、何の約束もなく立ち寄ってみることにした。耳が遠く、記憶力の弱まったか弱いおばぁさんの姿を覚悟していた。庭で植木の世話をしていたI先生は私と母の姿を見るなり、いきなり「あらYuko-chanじゃないの」と呼びかける。「よくわかりましたね。」「だって、あなた有名だったもの」つつましく(?)生きてきた私にも有名という言葉があてはまる時期があったのだろうか。それにしても、I先生の記憶力の明瞭さ。話し方も動き方もぜんぜん衰えを見せていない。

私は○十年ぶりにお会いしたのだが、私についての話は10分程度であとは母の、ほとんどテーマが誰のことなのかいつのまにか変わっているとりとめのない世間話で2時間は過ぎた。先生は本当は私の話の方を聞きたかったのにと苦笑しながらも、母のつまらない話につきあう優しさを持っている。心地よいなつかしさは、I先生の大きな包容力だったのかもしれない。直接教えをいただいたことはないが、2学期間のみ同じ学校の屋根の下にいたことがある(これも私は先生に言われるまで忘れていた)。私の担任の先生の名前まで覚えてらした(私は忘れていたけど)。転校生だったが田舎では転校生が珍しくていつも注目の的になり、それで先生が有名だったとおっしゃったのだろう。

なつかしさをひもどく甘美なひとときだった。