Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

私のもっとも高齢の友人はもうじき95歳になります。

2011-12-07 21:45:53 | 日記

知らないうちに友人が亡くなっているという状態を避けなければと思い、今日は長年の友人に3年ぶりで電話をした。彼女は来年95歳になるという。一緒にバイオリンを習ったことのある人で、そのときわたしは18歳で彼女は56歳だった。彼女は50代になるまで家事や仕事や子育てで忙しく、やっと自分の好きなことができるといって、途端にバイオリン、ピアノ、マンドリン、ギターそして合唱を始めた。アマチュアとはいえ台湾公演にまで参加したことがある。うちの会社が今度合併して、世界一の○○会社になるの、でも人減らしや給料も減らされて大変なの。。。。という話を延々と話したが、彼女はすべての話を普通に理解し、そこに年の差はまったく感じられなかった。息子二人とも東大に行ったくらいだから彼女自身もかなりIQが高いのだろう。彼女のだんなさまは若い頃辞書をまるごと暗記したとかいった話も聞いたことがある。娘がお母さんが音楽にのめりこんでふりむいてくれないので、ハンガーストライキを起こしたことがあるという話も聞いたことがある。

今でも彼女のバイオリンの音色を覚えている。私がただ指を動かして音がずれているのにも気づかずにいるのに対して彼女はよく音を聞き分け繊細な音色をかなでていた。一週間に一回遊びにいってデュエットを弾いてその後はご飯をご馳走になった。今は昔。95歳になった今も昔と全然変わらない話し方にただ驚くばかり。私も彼女のように生き生きと生きていけたらいいと思った。


そこはかとなく悲しい

2011-12-02 23:31:38 | 日記

一枚のはがきを受け取って、その知らせにショックを覚え、涙した。親しい友人の死。父親を幼くして失くし、苦学生としてそれでも東大の博士号を取得した友人。わたしは彼を30年以上前から知っていた。彼がうつのときにわたしは一冊の本を送ったらしいがそれすら覚えてないくらいわたしたちは長いこと交流がなかった。私が癌で入院したとき、友人グループの中でひとり見慣れないメールアドレスの人が私をいたわる優しいメッセージをくれた。ところであなたはどなたですか?と聞いたらその友人だったのだ。わたしは彼をある英会話のグループで知っており、家に遊びに行ったこともあるのに、彼が東大で博士号をとったことも教職にあったことも覚えていなかった。または最初から知らなかった。それだけ私にとって彼は単なる知人に近い友人だった。

彼の短いけど優しい一言が誠実に感じられ、その一言のためにメールを交換する友人に発展した。友人はなんでも知っていて、たとえばなぜ水の色は緑なの?と聞くと彼はA42枚ぐらいの説明を書いてくれる。私の数行のメールに対して彼はいつもぎっしり書いてくれる。デジカメ写真をよく送ってくれたので私も影響を受けて、デジカメを買い、それが私の生活に大きな影響を与えた。

最近わたしは猫の動画を撮るのに夢中になったり他のことに夢中になったりして、彼にあまりメールを書かなくなった。それまでは色々なことを書いて、自分にとっては悩みの相談相手であり、愚痴を聞いてもらう相手であり、知的な刺激を受ける相手であった。いつもそばにいてくれると思っていた友人がこの世に存在していないと思うととても寂しい。メールを送ったらすぐ返事をくれそうなそんな気がしてしょうがない。