友人に娘が勉強ができなくて困るとメールで愚痴ったことがある。そのときの友人の言葉は、「そんなことは問題ではない。良い人間であるかどうかそれが大切なのだ」と。すかさず、私は「でも、良い人間だからというだけで幸せな人生送るのむずかしいよ」と返したが、返事はなかった。
最近、つくづく幸せになるために人間は生まれてきたのではないと感じる。幸せかどうかは、普遍的な状態ではなく、一瞬一瞬の感じ方であり、それが長く続くか、断続的かの差であり、幸せな人生、不幸な人生とひとくくりできるものではない。人間は幸せになるために生まれてきたのではない。だから、自分が幸せであると感じることでまるで良い人生を送っていると人に自慢するものでもない。幸せな人間は謙虚にその幸福を感謝していれば良いのであり、不幸だと思う人間は、それは単に不幸なできごとが長く続いているだけであると思えばよいのである。
幸せでなければならないと感じるから余計あせるのであり、自分に何か欠如していると誤った錯覚をするのである。特別幸せに感じない自分をも愛することこそ大切なのである。だって自分が自分を愛さなかったら誰が愛してくれよう。
人間は自分の運命を(人生)を成就するために生まれてくるのである。何を背負って生きているかはそれぞれ違うが、それでも人生を生き抜くことに意味がある。ふとそんな言葉がついて出た。幸せになろうとしなくて良いことに気の楽さを感じる。
ロマンロランの言葉に「人は幸せになるために生きているのではない。自分の運命を全うするために生きているのです」(ジャンクリストフより)というのがあることを知った。自分の考えでそう口に出たと思っていたが、でも、若い頃読んだ彼の小説の言葉が潜在的に記憶していたのだろう。
人生に疲れたと思うとき、きっと多くの人がそういうときがあるに違いないと想像する。お風呂に入るときにこの頃口ずさむ歌がNobody knows the trouble I've seen. Only God knows.だからいやになっちゃう。でも、どうやら歌詞を間違えて覚えていたのだろうか、どのサイトを調べても歌詞はOnly God knowsではなく、Nobody knows my sorrowと続いている。Only God knows.でも十分意味は通じるけど。
ここ一年以上、私的にはピンチが続いているから、何十年ぶりかで再びジャンクリストフでも読もうか。それとも人間失格でも読もうか。ピンチってところでこれ英語?英語だよね。I am in a pinch.と言うし。
黒人霊歌で思い出したが、飛行機でBB Kingに会ったことがある。ファーストクラスにちょこんとした感じで座っていて、ギターのピンをしていたので、"Are you a guitarist?"と聞いたらにこっと笑って”Yes”と答えた。"Are you visiting Japan for a concert or something?"と聞いたら、”Yes”とまたもや笑って答える。思い切って"Are you famous?" (もっとましな聞き方ないのかよ)と聞いたら、"I think so."と答えて、私にそのピンをくれた。あとでそのことを知り合いの外人に言ったら滅茶苦茶うらやましがられたことがある。BB Kingはミシシッピーのプランテーションに生まれ小作人として働いていた。ギターで奏でる彼のブルースは、切なさと透明感が感じられる。人間BB Kingって感じである。私も生き方考えなくちゃ。
自分の心に響く言葉に出会うと友達を得たような豊かな気持ちになれますよね。一筋の明かりを見つけると生きていくのが楽になれます。
・・・trivialな話ですみません。
若い頃から、バートランドラッセルの「幸福論」を繰り返し読みましたが、私にとってバイブルのようなものです。幸福になる条件の一つに努力と諦めあがあげられてました。
明日が素敵な一日でありますように。
とても良い本ですね。最近の個人的興味に、「成人した人の意識(理性)がどの程度、無意識に働きかけることができるものなのか」というのがあります。ラッセルさんの考え、例えば、恐怖への対処法に理性的に考え抜くこと等、興味深く読ませて頂きました。
努力とあきらめの章では、真実の自分に直面する態度にはある種のあきらめが含まれるとあり、その通りだと思いました。セルフイメージに関して、画廊を所有して、滑稽な自画像など、問題に対処できるように多くの自画像を持っているのが良いとの説明は、乙な感じで良いですね。
ありがとうございました。
「成人した人の意識(理性)がどの程度、無意識に働きかけることができるものなの」興味深いテーマですね。日本語がややおぼつかない中国の気功の先生に意識という言葉をたたきつけられましたが、意識をどう扱うのかわからないまま聞き流していました。無意識というテーマも興味があります。
恐怖は逃げれば逃げるほど募ってきます。あらためて直視することの大切さ思い起こさせていただきました。
そう考えれば感情はいかに根拠のおぼつかないもので動かされるかがわかりますね。
考えているうちは幸せになんかなれないし、どうしたもんでしょうね(自分に向けての言葉です)
考えているうちは幸せになれない。。確かに。。わたしもだいぶ年を重ねて幸福とは?などと考えることをしなくても身近なことに幸福を感じるようになりました。幸福って恒久的なことではなくて瞬間瞬間に感じ取れるセンスみたいなもののように感じます。
たとえば最近感じた幸福な瞬間は、秋の虫の鳴き声。猫を病院に連れて行って心配事が払しょくされたとき。何を食べようかなと思ってレシピを考えてそれがうまくいったとき。幸福って感じる能力を磨いていけばいくほど幸福になれる瞬間が多くなります。
長く続くゆらぎのない幸福ではなく素敵な瞬間瞬間を追求していくところから始めたらどうかなって思いました。
些細なことでいいんです。ほんとに。