桜の季節が来ると切ない気持ちなる。森山直太朗の「桜」の歌のせいでもある。彼の歌を聞くと桜を思い、上智大学の土手に咲く桜を思う。上智大学のドイツ語学科に行きたいと思ってた高校時代。色々な事情(と言うほど深刻でもなかったが)があって私はKDDに入社することに。実は担任の先生にこの会社面白そうだからだめもとで受けてみないかという声かけに外人と話をしたいと思ってた自分は「はい、受けてみます!」とニつ返事で答え、結果受かってしまったいうわけである。
皮肉なことにKDDの英会話のトレーニングは四谷の日米会話学院で行われたので、私はなんだかんだと上智大学の付近には縁があったのである。そのあとニューオータニの木版画店にも勤めたことがあるので、そこでも上智付近をうろうろ。
未来は変えることができても過去は変えられない。だからこそ切ない思いがよぎるのであろう。あの当時はオーストリアにあこがれていた自分も今やどこの国にも破格の値段でいける仕事につきながら、一度も行っていないのだから、私のドイツ語熱もたいしたことはなかったのだろう。ドイツ語の学校で生涯つきあえる友人を作ったことだけが収穫だったと思う。
皮肉なことにKDDの英会話のトレーニングは四谷の日米会話学院で行われたので、私はなんだかんだと上智大学の付近には縁があったのである。そのあとニューオータニの木版画店にも勤めたことがあるので、そこでも上智付近をうろうろ。
未来は変えることができても過去は変えられない。だからこそ切ない思いがよぎるのであろう。あの当時はオーストリアにあこがれていた自分も今やどこの国にも破格の値段でいける仕事につきながら、一度も行っていないのだから、私のドイツ語熱もたいしたことはなかったのだろう。ドイツ語の学校で生涯つきあえる友人を作ったことだけが収穫だったと思う。