Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

自分のことって意外と知らないことが多い

2013-01-09 20:22:13 | 心理学

職場で相談を受けて困ることがある。だれそれがどうだから注意してくれっていう類。注意ってむずかしいんだよね。注意されて、はい、反省します。気をつけます。なんて素直な人はそういない。いたところで心の中ではふん、何よ。あいつだってXXなくせに。今度あいつには慇懃無礼を装ってかかわらないようにしよう。いちいち誰それがこういったからって相手を注意できるわけでもない。物事って一人だけで悪人にはなりにくいから。また、注意された人間は誰がちくったのだろうとあれこれ考える。

だからいじめをやめさせるのもむずかしい。中途半端じゃきかないし、間違えればさらなるいじめになる。大体誰かを訴えてくる人ようなはその人自身対人関係が不器用な人であることが多い。話を聞いているといつも被害をこうむってるのは自分だといわんばかりだ。だから、飲み会か何かで悪口が始まるものならどっと疲れてしまう。それから愚痴も疲れるよね。自分自身愚痴りたいことたくさんあるのに会社でまで聞かされたくないよね。

社会には自分の苦手な人や腹立たしい人など五万といる。でも、気に入らない人を自分の気に入る人間になどできるわけがない。自分の考え方を変えるしかない。そんなのわかっているけどというところが問題なんだよね。私だってちょっとしたことが原因で口を聞いてもらわなかったり無視されたりではらわたが煮え返りそうなこと何度も経験したことがある。そんなときでも、あいさつだけはきちんとし、言わなければならないことははっきりいう。それ以上のあいさつや媚びることは一切しない。

そうするとそれが普通になり苦にならなくなる。相手に認められようとか好きになってほしくて媚びることをしない。しかし最低限のあいさつや仕事上必要なことは普通にきちんと言う。相手がどんなに感じ悪く答えようが何しようが意に介さないようにする。毅然とした態度が必要だ。

よく丁寧に話してるのにあいつは無礼だという場合。その丁寧さって慇懃無礼の丁寧さってことないだろうか。慇懃無礼はやっぱり無礼の部類だ。

自分の声の録音を聞いたりすると、あまりのひどさにがっくりくることがある。私ってこんな話し方してるんだって。写真でも何でもそうだけど、自分の姿や声って自分が思ってるよりかなりひどい。相手のことを批判する前に自分が相手にどう見えているのか聞こえているのか客観的に考えてみることも、なぜ自分が多くの人とぶつかるのかの原因がわかるかもしれない。

私がその人にそういうこともできるけど、言ったらかなり傷つくだろうから、私はオブラートに包んだ言い方で言葉少なくヒントを言ってみる。たくさん言うと相手に考える余地を与えないからなるべく短く伝えてみる。感情的な問題は議論するものではない。

そういう自分も自分で解決のできない悩みがある。人のことはよく見えても自分のこととなると盲目になってしまう。人に言えないから悩みなんだよね。


加藤諦三先生の講義

2009-01-26 22:33:48 | 心理学

昨日は友人の名取になって初めての日本舞踊の発表会(と言うのかしら)に行ってきた。はっきり行って日本舞踊ってちらっと見る分にはきれいだけど、ずっと見てるの飽きるのよね。日本の古典芸能ちょっと苦手かも。茶道や華道はいいと思うけど、踊りは義理で行く以外はパスかな。義理も今回限りぐらい。習うことはまずないけど、ずいぶんお金がかかりそう。クラシックバレエなんか習ってる人は歩き方がきれいだから、同じ踊りでもそちらの方は習ってみたいと思ったこともあるけど、日本舞踊は特に歩き方をきれいにするわけでもないみたい。

今日は早稲田大学で加藤諦三先生の講義を聴きに行ってきた。1時間半の講義に盛りだくさん詰め込まれていたのでちょっと追いついていけなくなったけど、補足的に本を読めばもっと内容が理解できるだろう。

テレンバッハ(Tellenbach)の「メランコリー型性格」とは秩序を愛し、几帳面で仕事熱心、対人関係では律儀で誠実、他者への配慮が強く、責任感が強い。こういう性格がうつになりやすいのだそうだ。70%ぐらい私の性格かな。

社会性と非社会性。研究室にこもっているからといって社会性がないわけではなく、行動的で成功している人が社会性があるともいえない。社会性とは暗黙のルールを理解している人。また行動は社会的だけれど、心は反社会的な人がいる。そういえば加藤諦三の最近の本でうつになりやすい人というのが出ているが、紹介文にうつになりやすい人は不幸ながんばりをする人ってあるがちょっと読んでみたい本である。

 


加藤諦三先生の講義

2008-01-19 22:44:22 | 心理学

本当はね、スクーリングの真っ最中。おまけに一日は私の勘違いで出遅れ。さらに一日はよりによって会社のトレーニングがいきなり入って休めなくなり、超苦しいスクーリング。おまけは数学をとっているのです。そんな中、加藤諦三先生のご退職前最後の講義が早大の大隈講堂で一般も入れると聞けばそれもじっとしてられない。

加藤諦三先生は高校の頃先輩の影響を受けてよく読んだ。その後は、全然読むことはなかったというか、ほとんんどそういう心理学とは縁のない生活をしていたが、ここ数年気むずかしい人たちのことをよく理解したくて、ネットサーフィンをしていたら、再び諦三先生に遭遇してしまったのだ。日常の興味のわく話題が満載でその後も度々先生のHPを訪れてみた。

最近も読売新聞の記事に加藤先生が「ジャンクリストフ」を愛読されていたことが書かれてあった。 私も若い頃その本を読んで感動したことがあるので、その記事を洗面所に貼っておいた。娘にもさりげなく読んで欲しくてだけど。今回早稲田大学最終講義の話をしたら、娘も貼っておいた記事を見たらしく、何気に話にのってきた。

今読んでも先生の言葉は新鮮だ。私が漠然と生きてきた間も先生はずいぶん活躍されていた様子。とてもなつかしくそして、ますます尊敬してやまない。今でもこうして悩める人たちを勇気付けていらっしゃる。今、講義を聴きにいかなければ、一生チャンスがないかもしれないと思った。

早稲田で降りるが、方向音痴の私はよりによって外人さんに道案内してもらうことに。どうせ私も明日大隈講堂でパーティーがあるから、道を確認ついでにということだ。講堂前には時間前から列が何列もできている。開場時間になると先生の本が色々並べられている。販売かなと思ったらなんと好きな本を一冊プレゼントということだ。どの本も興味深かったけど、私は「やさしさと強さの心理」という本をいただいた。

2時間の講義は長いだろうと思ったのに、すごく短く感じた。先生も最後の方は急いでらしたが、あと30分は必要だったみたい。内容は「現代日本社会の非社会性」とてもとても深くて日本の将来が危惧される内容だった。アメリカの刑務所をそれも武装強盗犯を何ヶ月にもわたってリサーチされたエピソードもすごすぎ。人質になったとしても助けないからという約束で許可を得たとか。

また、私のやりたいことリストに新メニューが追加された。すなわち先生の講義をもっと聞きたいこと、先生の本を読みたいこと。

  


傷ついている人たち

2007-06-17 09:26:35 | 心理学

時々ささいな言葉に傷つくことがありませんか。こんなことでと思うことで。大人気ないなって思いながら、Rebelliousな自分はちくっとその場で気のきいた言葉で反発できればそれでよし、不器用な言葉しか出てこなかったり、言うチャンスを逃したりすると「あぁ、あぁ言えばよかった」なんて未消化の気分をしばらく味わいます。娘にさえ、いらいらしているときに「ママ、ご飯いれすぎだよー」なんて言葉に「ご飯たくさんいれたくらいで、文句うなっ!」って大声で言うことがあります。その反応に娘はびっくり。「そんなに怒鳴らなくっていいじゃん」「いらいらしてるときに声かけるからだよ」「イライラしてるなんて知らなかったんだもん」「もう、わかったんだから、もうだまって!!!」家庭内の会話だと抑制力ゼロの自分。これを職場でもやったらえらいことになります。怒りやイライラをぶつける相手を間違えてはいけません。たいていはそれは相手が怒らせることやイライライさせることを言ったからではなく、受け止め側の問題が大きいからです。ご飯をたくさんいれたという事実を娘がいった。私はそれを責められたと受け止める。そこでもともとイライラしている自分が、文句を言うなと文句を言う。 たとえがたわいないものだからピンと来ないかもしれませんけど、怒りやイライラの火をつける種なんてたいていささいなものなのです。

日頃から、会社関係の自己負担の交際費が多くて悩んでいるところに、上司から飲み会の誘いに対するのりが悪いなんて一言言われただけで心の中では火が燃える。「それには理由があるんですよ。なんなら全部言ってあげましょうか。。。」(心の声)

「怒っている人は傷ついている人だ」って聞いたことがあります。その言葉はすぐにはぴんと来なかったのですが、最近わかるような気がしてきました。自分を理解してもらえていない、理解されるほどに気にかけてもらえていないという嘆きがあるのでしょう。だから、小さなことが大きくひっかかるのです。大きなたくましい愛情につつまれているという安心感のある人は、その小ささが理解でき、上手に流せるのだと思います。大きな愛情というのは別に今のものでなくてもいいのです。過去のものでも。愛情が根底にある人はもっと寛容であり、怒りも少ないと思います。

今度は愛情の問題になりますが、どんな愛でもいいかというとそうでもないようです。愛情にも質があるようです。たくましい人を暖かく包み込む愛、束縛するひとりよがりの愛。。。臆病な愛はないほうがましと言った哲学者もいます。周りに美辞麗句で自分の怒りを正当化して武装している人がいたら、もしその人に困らせられているなら、実は孤独なのだということをわかってあげてください。 相手を変えるのが無理でも自分の受け止め方は変えることができます。

しょっちゅうイライラしているのなら、本当にイライラさせる原因は他者なのか、考えてみる必要があります。人を変えるのと自分を変える、どちらが簡単なのか。

 


たった一つの誘いに答えるだけなのに

2005-12-10 19:53:25 | 心理学
夕方からクリスマスパーティーに行かないかという誘いが12時頃来てイエスかノーか答えるだけなのに色々な考えがよぎってしまった。

なんで前からわかってたことなのに、今頃連絡来るの?(数あわせだけのメンバーなのね)でも、天気がいいから出かけるのもいいかな。えっ、4000円! ホームパーティーの会費にしては高いな。どうせ男の方がたくさん飲むんだから、女性はもう少し安くしてくれればいいのに。人のうちに行くとなると片付けとか気を遣うし。

前回と似たような面子だといまいちだし。でも、たまには会社以外の人と会うのも面白いかも。いや、今月交際費かなりかさみそうだし。4000円出すくらいなら5000円出してマッサージの方がリラックスできていいかな。なによ、この間私がいないとき電話くれたなら娘に内容ぐらい伝言しててくれてもよかったのに。行くと前からわかってたら朝から美容院に行ってたのに。

などど3分ぐらいの会話の間に色々な考えがよぎって結局ことわった。

いつもつまらないことに葛藤してるから疲れるのかもしれない。買い物などでも葛藤の末、疲れ果ててしまうことが多くすっかり買い物嫌いになった。私は頭がおかしいのかもしれない。もしかして、もっと右脳で決めたほうが良いのかな...

つまらないことで悩む自分に気が付くことってありませんか。

カウンセリング

2005-12-08 23:26:05 | 心理学
キャリアカウンセリングを受講したときは目からうろこと思って、続けてメンタル・ヘルス・カウンセリングも受講した。両方とも丸一日のセミナーである。

基本的には両方とも「聞く」ということが中心だが、キャリアは適切な質問で相手がゴールを見出し、それをイメージして今の自分と向き合うようガイドすることである。それに比べてメンタルはほとんど聞くことに徹し、相手の不安を受け止めることにある。メンタルの世界は深いし重いので一言ではまとめられないが、原因がわかっている場合(心因性)はカウンセリングが有効とのこと。

ところで、カウンセリングをするときの心得として「無心」になって傾聴することが大切だが、ふと「無」の哲学と重なった。邪心を入れずに聴くのである。そうすることにより、相手の言わんとすることにより理解が深まるからである。自分の意見や考えがついちらついてしまいがちだが、無心になることがカウンセリングの第一歩ということである。禅の心に通じるものがある。


本当の自分を知るのがこわいとき

2005-12-03 00:59:00 | 心理学
自分の悪い部分を人に指摘されるってあまりいい気はしませんよね。ほとんどの人はそういうことはあえてしませんけど、仕事が絡んでくるとそうもいっていられません。

仕事には仕事そのものと人とかかわる部分があります。仕事さえしていればいいじゃないかと思う人がいるかもしれませんが、人とのかかわりが仕事そのものより大事な要素となることが多いです。

悪いところを指摘されると大げさに反応する人がいますが、大げさに反応すればするほどやっぱりその指摘は正しかったのだと判断されてしまうのがおちです。誰にも触れられて欲しくなかった自分の闇の部分を陽の下にさらされたような恥ずかしさ。小さな自分が必死で守ろうとするはかないエゴ。目をそむけずにそれを見据えられたら、また一つ大人になれるのに。自分ではわからない自分。わかりたくない自分。他人の目が曇ってるんだと思いたい自分。全部自分でありながら自分を知るのがこわいときってありませんか。

プライド

2005-11-30 23:54:57 | 心理学
よくプライドを傷つけられたといいます。でも、そんなに簡単にプライドは傷つけられるものでしょうか。本当のプライドは人によって傷つけられるものではないと思うのです。虚栄であれば別ですが。だから、傷つけられたとか傷ついたという言葉を簡単に使う人は一種のマゾ的心理に浸っているとも言えるのではないでしょうか。傷ついた自分をあわれんで悲劇の主人公を実は演じているというような。

若い頃にはよくわからなかったけど、自分は傷つきやすいのだとか、繊細なのだなんて言いながら、本当はそういう自分を演じて甘えられる人間に意識的か無意識の中で訴えていたのかもしれません。今、自分が逆の立場に立ってそれが見えてきたような気がします。

本当のプライドを持ちたいものです。

心理学って面白い - ジョハリの窓

2005-11-25 22:59:11 | 心理学
金曜日の夜は大体飲みに行くか、食事と決めているが、愚痴の言い合いだけに終わるのはむなしくつまらない。悩むのなら徹底的に悩んで解決の糸口を見つけるのが私の手法。

今晩は普通一年に一回七夕みたいにしか会わない友人と会った。今年は珍しく2度目だ。会うたびに昇進していき、色々な活動を積極的に行い、気持ちがいい。たわいのない話から仕事に関連して受けるセミナーの話になった。私も今年はリーダーズトレーニングとメンタルヘルスセミナーを受けたので、興味深く話ができた。

ジョハリの窓って聞いたことがありますか。四つの窓を想像してください。

Aの窓は自分が知ってて他人も知ってる自分(開放の窓)
Bの窓は他人は知ってるけど自分は知らない自分(盲目の窓)
Cの窓は自分は知ってるけど他人は知らない自分(隠された窓)
Dの窓は自分も他人も知らない自分、無意識の自分、抑圧された自分(未知の窓)

人間関係で悩む人はAの窓が小さくBやCの窓が大きい人。Aの窓を大きくするとBやCが小さくなり人間関係がスムーズになるそうだ。人にも自分にもわかりやすい人ということになる。BやCが小さくなると抑圧された部分が少なくなりさらにDも小さくなるそうだ。また隠された能力も発見できるかも。

ちょっと面白いと思いませんか。

愚痴とは

2005-11-22 23:00:17 | 心理学
「愚痴を云っていると一時の気休めになるがかかる気休めをしていると、ますます症状に乗ぜられる。自分のわなに自分がかかってゆく。人は愚痴を云わぬだけでも強くなる。偉い人と云われる人は概して愚痴を云わないものである。愚痴を云わぬことは凡人にはむずかしいことであるが、それを止めることが出来れば、それ丈でも心は鍛錬される。」という説明を読んで、そうだそうだ愚痴をこぼしてはいけない理由はそうなんだと納得。

今日一日、愚痴を言わないよう気をつけようと思った。昼間、よっしゃ愚痴をこぼさないようにと同僚とカラオケに。昼のカラオケは一年ぶりぐらいかな。780円でコーヒー、ヨーグルトつきのキムチチゲ定食。カラオケも楽しめるから一石二鳥。実は音痴なので歌はへたくそ。音域もせまいので歌える歌が5曲ぐらいしかない。それでも楽しめた。いきなりカラオケに二つ返事でつきあってくれる同僚に感謝。

愚痴とは「言っても仕方のないことを言って嘆くこと」また、仏教用語では「三毒の一。物事を正しく認識したり判断したりできないこと。愚かであること」とか。

「愚痴」って 三毒の一つか。ちなみにあとの毒は貪欲と瞋恚(しんい-怒り・憎しみ・怨みなどの憎悪の感情)。

リクルートの採用基準にこういうのがあった。

人物を重視。
前向きな人、仕事に努力できる人。
愚痴をこぼさない人。笑顔の似合う人。
人が好きな人。コミュニケーションが上手な人。
気がつく人。正直な人。真面目な人。

うん、いけるかも。